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あの音がなければ…。 note #04 今の自分を作った印象的なできごと

山倉ボッサです。
読んでいただきありがとうございます!
今回は今日までの人生を少し振り返ってみて、印象的だったことを書きたいです。
これを読んでくださっている皆さまにも

・自分の人生を変えることになったあの出来事
・いまだに忘れられないあの人のあの言葉

そういった今の自分の体の一部となった思い出があると思います。
たくさんある人もいれば、たった一つだけの宝物のように大事にしてきた人もいるかと思います。とても素敵なことですね
今回はボッサの思い出から3つ絞ってお話ししたいと思います。

・「ストラトキャスター弾かないの?」

エレキギターは形状によって「⚪︎⚪︎タイプ」と名前が呼ばれることが多く、このInstagramのReelで僕が弾いているのがストラトキャスタータイプと呼ばれるギターです。Fender社が開発したタイプで、僕が使っているのは同社の正真正銘のストラトキャスター(以降ストラト)です。
Reelで音聴いてみてください!

大学生になってからエレキギターを始めた僕は最初の一本を買うまでに色々楽器屋さんで試奏しましたが、どうしてもストラトはしっくり来なかったのをよく覚えています。
3年生になった時、馴染みの楽器屋さんに新しいスタッフ(以降とっつぁん)が店舗に配属されました。とっつぁんとはよく新しい商品が入荷した時に
「おい、ちょっとこれ弾いてみようぜ?」と僕に試奏させることを理由に自分が気になる商品をチェックをさせては、(利用されてることに気づいてない僕は)勉強させてもらっては店長に「お前ら遊びすぎ」と一緒に怒られたりしてました。
そんなとっつぁんは当然何度も僕の試奏の時のフレーズを聴いて癖を知り尽くしています。そして突然こんなことを言いました。

「ストラトキャスターは弾かないの?」

すぐ首を横に振った僕はストラトが好きじゃない理由を伝えたところ、一枚のCDを貸してくれました。
「これ聴いたらストラト欲しくなるよ」
そう言って渡してくれたCDはJohn MayerRoom For Squaresというアルバムでした。

実際にストラト使っていたかは定かではありませんが、このNeonという曲はまさにストラトのいい成分を取り出した可能ような音だととっつぁんはおすすめしてくれました。
それもそのはず、その当時からJohn Mayerは現代の3大ギタリストとして名高いスーパープレイヤーだったのです。

容易く影響された僕はストラトを買う決意をしましたが
「どうせなら長く使いたいから親父になっても弾ける色がいい」と白いストラトをとっつぁんと一緒にカタログから探しました。

なんとJohn Mayer Modelの白いストラトが現行品で載っていたのです!
これは神様のお告げだと思い、人生で初めてローンの分割払いを契約しました。(すべての浪費癖はここから始まった←)

そのお陰でいまも楽しくギターが弾けています。John Mayerはまだ演奏したことがないけどそのうちやりたいな。

とっつぁんはしばらくして地元に帰ってしまったのですが、元気かな。

・「自分が楽しんでないくせに客が楽しめるわけねぇだろ」

大学3年生のときの学園祭でバンド部の僕らは恒例の学内フェスに出場し演奏をしました。3年は部活内の幹部が交代するタイミングなのですべてのメンバーが結構気合い入れて音楽活動に励んでいたのをよく覚えています。ライブ自体は順調に進んだのですが、ちょっとした事件が打ち上げの飲み会で起こったのです。
みんないいライブした後だったので疲れを感じながらも、今後どんなライブをしようかと少し先の未来を想像しながらしていた話でした。

「確実にお客さんを楽しませるようなライブしていきたいよね」
と僕が言ったことに対して

「は?自分が楽しんでないくせに客が楽しめるわけねぇだろ」
半笑いで僕の意見に甘噛みしてきたのは同じバンドメンバーのベースだった。(以降ラッキー)

ラッキーはそもそも洋楽が大好きなギターボーカルだったのに入部してみたらみんな邦楽しか演奏してないことにイライラしてそもそも入部自体を躊躇していたやつだったが、1年生のとき僕が楽器弾けなかったので無理やりギターとコーラスとして巻き込む形で入部させ、次第に馴染んでくれたもののラッキーはそれとは別に洋楽を演奏するバンドを組んでいた。
「好きを貫く、あとはしらん」というスタンスの彼は正直眩しかったです。

そんな彼だからこそ「他人の顔色伺ってする演奏のないが楽しいの?」
という具合に捉えられたように思えてしまった僕は激怒、そこから後輩たちに仲裁されて収まるまで多分20分くらいずーっと口論し続けました。
争いは面倒なので折れることが多かった僕が全く歯止めが効かないくらい怒ったのはこの時が初めてです。

今自分一人で音楽活動を独自に続けていく上で彼の主張はただしかったと思います。いまはサポートメンバーも一緒に活動してくれているのでなおさらなのですが
「たのしそうな人に集まってくる」それは覆せない事実だと。

その上でお客さんが頼んでくれる方向を、という僕のビジョンを両立させるところを今は目指しています。

・「30超えてからの人生がさ…一番大変で、一番楽しいのよ」

大学での音楽生活は完全燃焼して自分の音楽生活に幕を下ろしたつもりでしたが、細々と趣味でギター弾いたりカラオケで歌ったりはしていました。
最初の自己紹介の記事でも触れた2社目のコーヒー屋での出来事です。

入社から3年目、仕事の忙しさだけでなく社内での人間関係に悩んでいた時期に、常連のイケメンお花屋さん(以降ハナさん)が先輩社員たちを誘ってBlue Note Tokyoでディナーに招待してくれた。そもそも僕は招待客に呼ばれていなかったのですが当日一人先輩が来れなくなってしまい、コース料理の欠員が出てしまったそうです。当時一番僕を悩ませていた店長が
「音楽好きだったよね、よかったらどう?無理には言わないけど」と誘ってくれました。

ぶっちゃけ断ろうと思った。
でもBlue Note Tokyoは正直興味があったので渋々お邪魔することに。
(ご馳走してもらうくせに本当に図々しいですよねまったく←)

会場で現地集合しハナさんにご挨拶の後、いったいいくらかかってるんだろう?と思うようなボックス席に案内されて、最初のドリンクと前菜が運ばれました。数口食べるうちに演奏がスタート。
Joyce Morenoさんというブラジル本家のボサノバシンガーでした

ドラムのカウントが始まった瞬間に、ステージから強い風がブワァッ!と吹いてきたかのような感覚が全身を包んだのを覚えています。
とにかくいい音に包まれていて、ブラジルの香りに五感全てを支配されていました。セットリストの終盤だということに英語のMCで気付いた時先輩に声をかけられました。

「全然食べてないじゃん(笑) もうすぐ終わっちゃうよ」

その一言は一瞬だけ僕を現実に戻してあることに気づいてしまいました。
なぜこれだけの演奏を見せられて普通にご飯が食べられるのだろうか。
そんな余裕なんて僕にはない。なんならみんなはすこし話しながら演奏を聴いていた(らしい)。
「ぁー、僕だけがみんなとチューニングがずれているんだ」
「もうやめよう、この会社に居場所がない」
大袈裟ですがそう思ってしまいました。
一瞬だけ引き戻された現実も、演奏が始まればまた夢心地へと引き戻してくれました。

アンコールも終わって、僕は牛丼を爆速でかき込むように高級ディナーを食べてみんなに遅れないように店を出ました。
残すことはできなかった、ご馳走してもらっていたから。
でも味は覚えられなかった、演奏の激しさと一抹の孤独感だけが心を支配していたから。

お店を出た後はハナさんが全員を最寄り駅まで送ってくれて、一人一人お花を用意してくれていた。
どこまで紳士なのだろうか…。僕以外は女性だったとはいえ素晴らしい気配りだ。
僕は一番最寄りから遠かったので最後までハナさんとお話ができた。
先輩の目を気にする必要がなかったので今日のライブの感想をありのまま伝えました。ハナさんには僕がお店で険しい顔で困惑しながら働いているように見えてたようで、はしゃぎまくっていた僕のことがとても新鮮に見えたようです。正直また音楽やりたくなってることをお話しした時に、ハナさんが落ち着いた口調で話し始めました。

「お花の仕事して随分経つし、店長になってから本当に忙しい。でもこの東京での暮らしが目まぐるしくて面白くてさぁー、地元で仕事しようとか全く思わないくらいにね

特に30超えてからの人生がさ…一番大変で、一番楽しいのよ

わァーッ!いいですねェッ!!!と僕が声を出して答えたと同時に僕の中で花火が爆ぜるような感覚がありました。ここで会社を辞めて音楽をやる決意が固まってしまったのです。

辞職する旨を伝えたのはそのライブから1ヶ月後、もちろんハナさんにも報告しました。辞めた後もあの日の気持ちを裏切りたくない一心でずっと活動に打ち込んできました。

今「山倉ボッサ」という名前で活動しているのはなんだかその日を刻んでいるような感じがして嬉しいです。

※ボサノバは関係ありません、髪の毛ボッサボサの山倉ボッサです

ここに書き連ねたそれぞれのエピソードが今も心の中で音として生き続けているお陰で今日まで音楽を続けてこれました。挫けそうになった時は必ずリフレインするエピソードです。
読んでくださった皆様にも自分だけの感動エピソードはあると思いますので大切にしていけたらいいですね。
僕も大事にします。

最後まで読んでくださった皆さま、ありがとうございました。
すごく長くなってしまいました!

次に会うのはnoteか、ライブハウスか。
またお会いしましょう。

山倉ボッサ
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