『東洋の至宝を世界に売った美術商ーハウス・オブ・ヤマナカ』朽木ゆり子
京都の泉屋博古館にいくと、とんでもなく古い青銅器がたくさんあって、しかもそのうちのいくつかは、世界で2つか3つのうちの1つだとか学芸員さんに教えてもらって腰を抜かします。そんなものが、なんで日本にあるのかと驚くのですが、よくよく考えると清朝末期に多くの国宝が流出したことは映画『ラスト・エンペラー』でも、陳舜臣さんの直木賞を受賞した小説『青玉獅子香炉』でもおなじみでした。
あとは、何気なく読んでいたラノベ『宝石商リチャード氏の謎鑑定』では、古美術のオークションがあって、古美術商といわれる人たちの話がおもしろかったり(ツッコミどころもありましたが)、近代の博物館が昔の古物商といわれる人たちとつながっている小説『博物館の少女 怪異研究事始め』なんてのがあったりして。
そんなわけで、少し専門的な本を読んでみたいと思っていたときに目にしたのが、朽木ゆり子さんの『ハウス・オブ・ヤマナカ』。朽木さんといえば大英博物館にある略奪美術品と騒がれたギリシャのパルテノン神殿の話を書かれたライターさん。読む前から期待が高まります。
戦前のヤマナカ&カンパニーはニューヨークに拠点をもち、ボストンやロンドンにも視点があった国際的な美術商。彼らは大阪から世界に進出した山中商会で、学校の教科書にも出てくる、フェノロサや岡倉天心の活動を支えた人たちです。でも、ほとんど日本では知られていません。
メトロポリタン美術館、フリーア美術館、シアトル美術館、シカゴ美術館、大英博物館などに美術品を数百点供給した山中商会の歴史は、たくさんの美術品にまつわるエピソードのオンパレード。美術品に詳しくない私でも、読んでいてワクワクしましたので、美術に詳しい人ならもっとおもしろいはず。
20世紀の初頭、ジャポニズムは下火になっていたけれど、日本美術品の需要はまだまだ多く、しかも中国大陸では辛亥革命で清朝崩壊し、大量の中国美術品が海外に出たことで、中国美術の需要も急増しました。この波にのったのが山中商会。いやあ、革命後の満州貴族の美術品や家具を家ごと全部買うってすごい……
ヤマナカ&カンパニーの創始者山中定次郎は伝説的で、丁稚から身を起こして28才で渡米。ニューヨークに仮店舗を出したのが1894(明治27)年、以後矢継ぎ早にボストン、アトランティス・シティ、ロンドンに支店を出す超人です。
1894年といえば日清戦争が勃発した年ですが、日本有利の状況があって、山中たちは成功する気満々でアメリカに出発したようです。当時の日本は、工業製品を輸出できる状況ではなく、政府に奨励されたのは生糸や茶、そして美術工芸品。山中より先に、すでに海外で成功した美術商や貿易商たちもいたようで、当時の美術品輸出は国益でもあったのだとか。
そんなわけで、有名な美術品の流転のありようがすごくおもしろい反面、山中商会に限らず、20世紀の海外貿易って、とことん欧米の買い手の価値観や懐具合に従って商売しないといけなかったので、21世紀のニンゲンにはそれがなんだか理不尽で辛い。まあ、今でも海外で商売するって、そういうことなんだろうけど。
伝説的な山中定次郎には、死後まもなく出版された『山中定次郎伝』という伝記もあります。ただ、昭和初期に書かれた私家版の評伝ということなので、専門的に詳しく知りたい方は、朽木さんの『ハウス・オブ・ヤマナカ』をぜひ、どうぞ。
美術品ではないけれど、仏教聖遺物をめぐって日本と中国、台湾が国際的にもめた話には以下の本もあります。
美術商をもう少し泥臭くすると、こちらの本にようになるのかも。図書館と古本屋店主と古書泥棒の境がなくて、クラクラします。マニアックなのが好きな人におすすめです。
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