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会話するときの確認事項

会話を始めるときに、確認しておくべきことが多い。なぜならば、私は会話のポリシーやその前提である感受性が他の人と異なる、有り体(ありてい)に言えば、ゆがんでいる・ひねくれているとも言えるからだ。少なくとも自分がこの日本文化圏において多数派であり、「常識」や「相場」を無根拠に自分の直観によって判定できるとも思わないし、またその権利があるとも思わないからである。

そのため、会話の前にいくつか前提を確認しておく必要がある。なぜならば、会話を空転させず、会話相手も私自身も不必要に疲労しないためにそれは必要なことだからである。

とはいえ、この前提確認作業もなるべくシンプルなもの、簡素なものに留めておけるものならばそうした方がいいだろう。なぜならば、前提確認作業だけでお互いに疲弊してしまっては本番の会話を楽しんだり、会話の目標が達成困難になるからである。もし、仮にシンプルに整理した前提確認作業すら苦痛だという相手であれば、それはあまりにも前提が異なるために敢えて敬遠しあう No Deal ということでもそれはかまわないと思う。なぜならば、それがお互いのためだからだ。仮に敬遠しあったからといって、二度と会話するチャンスを持たないとか、絶交だとか、そういう意味ではない。ただ、双方最低限の余裕をもって会話に望んだ方が想定外のトラブルは回避できるだろうというだけである。

会話のタイプ

会話にはいくつかのタイプ分けがなされている。これから始める会話がひとつのタイプに完全に収まるということはレアだろう。しかし、会話にはタイプがあることをあらかじめ共有しておけば、異なる会話のタイプだと解釈して返答している可能性に気がつけるかもしれない。

  • 雑談:もっとも自由な形式である。会話そのものを楽しむことが目的なので、重たい話題は回避した方がよい。会話内容はお互いを知る一助とはなっても、お互いをあまりみつめ過ぎない方がよい(なぜならば、相手を分析しそうになるからである)。また、信仰やアイデンティティに関することなど、激しく好みが分かれること、誇りと尊厳に関すること、人権や正義といった理念について言及しないほうがよい。また、重大な約束を取り交わすことも回避したほうがよい。この状態ではあいさつ、軽口、冗談が重要な役割を果たす。

  • 交渉または取引:なにか取引をしたいとか、この会話が終わった後に契約を結びたいといった場合には交渉や取引のような商談に近い会話のタイプになる。この場合も相手の人格に言及するのではなく、飽くまでお互いの利益のために何が譲歩できて何ができないのかをハッキリさせること、あるいはどのような原則にしたがってお互いの取り分を決めるのがお互いにとって納得的できる基準・原則になるのかを共同探求することが重要である(参考:『ハーバード流交渉術』)

  • 傾聴または自己紹介:片方が何かの事件の当事者であったり、マイノリティの当事者であったり、なにか体験談を持っている場合はそれについて丁寧に聴き取る必要があるかもしれない。この場合も何某かの「判決」をくだすための証言として聴き取るのか、それとも相手が単に誰かと体験を共有して楽しみたい、つまり雑談の一環としてここでは自分がコンテンツを提供しようとしてくれているのかを識別した方がよいだろう。ここでの会話の目標は、体験談を話してくれた側に対してそれを聴いた側がさらに連想した自分の体験談を話してくれたり、それらを聴いて「生まれて初めて」気づけた点があれば共有することである。なぜならば、誰もが他人の目線から長期間を過ごしたことはないのだから、手垢のついていない深い語りや自己開示はそこに何らかの驚きや新しい視点を他者に提供してくれるはずだからである。

  • 宣伝:誰かが自分自身の訴えを広く認めてほしい。あるいは公正であると承認してほしい。自分の支持者を増やしたい。このような動機から、誰かが長くスピーチすることもある。あなたが司会者や進行役やホストでその場にそぐわないスピーチだと思ったら、その点を申し添えてイエローカードを出し、なおも繰り返すようだったらレッドカードとして一旦その場からは降りてもらうのがいいだろう。そのスピーチが場に合ったものだとして、支持できる人と支持できない人がハッキリした時点で一定の成果が出たものとしていったん場をクローズするのも悪いタイミングではないかもしれない。

ハイコンテキストかローコンテキストか

相手が善意で話してくれているのか、悪意で話してくれているのか、常に両方の読みを考えられればベストである。すなわち、「この発言は悪くとればこういう意味になる一方、好意的に取ればこういう意味にも取れる」と最低でも2個以上の解釈を構成した上で、どちらを選ぶかを選択するということだ。これはハイコンテキストな解釈である。なぜならば、言語表現に直接現れない相手の「内面」を推測してそこに接続したかたちで表現を解釈しているからである。原則としては好意的な態度で話してくれているものと仮定すべきであるが、相手との解釈がギクシャクした場合、常に悪意に解釈するというバイアスに陥る危険性がある。

相手との解釈がギクシャクしている場合はどうするか。「常に悪意に解釈する」というポリシーを選ぶ人もいるのだが、私としては「テキスト通りに解釈し、相手の内面は意図的に読まない」というポリシーに寄せている。言い換えれば、機械になるということだ。これが正解だというつもりはない。しかし、それでも、既に関係がギクシャクしてしまっている以上、文言(もんごん)通り以上のことを仮定するのは危険だからそうするのである。言わば多少の軋轢(あつれき)があったとしても最悪の事態を回避するために同じ態度を取り続け、後は相手の出方に任せるということである。

距離感

相手との距離感はどうだろうか? 既に親密であったり、夫婦や肉親であったりするかもしれない。その場合はいったん距離を取ってみたり、まるで赤の他人が取引をするようにリフレーミングしてから会話するのがお互いのリラックスを引き出すかもしれない。

一方、インターネットなどでは初対面の赤の他人と話すことも多い。その場合、相手の内面や私生活、個人情報に踏み込んだ発言というのは相手が会話や情報開示の方針を提供したり明示したりするまでは回避すべきだろう。このようなときには「答えたくなければ答えなくて差し支えないんですけれど」とか「その個人的課題について多くの試行錯誤を繰り返されてきたかと思うので、私の感想や助言が今更なものでないといいのですが」といった配慮あるいは予防線の言葉が重要である。あなたは相手とわずかなことしか共有していないのだから、相手を最もよく知っているのは相手自身であることを思い出して、釈迦に説法やお説教をしないように気をつけたいものである。

落とし所、着地点の確認

雑談以外の会話は何らか双方が納得できる落とし所や着地点、あるいはそこに至る進捗確認をして終わるのが望ましい。なぜならば、それらは会話を楽しむこと以外に目標があるタイプの会話だからである。会話の目標は途中で変化するし、例えば冗談の言い合いから意地の張り合いや正義や公正、財産の配分について論じるような抜き差しならない切実な話題になることもある。

会話のタイプが変化したら、これは会話自体を楽しむという観点で継続しているのか、それとも会話が仮に楽しいものにはならなかったとしても共同で一定の回答なり、次のアクションを決めようとしているのかを確認してみよう。もしそのような確認自体に相手が難色を示すとしたら、相手はそこを確定させずにもっと話してもっと自分の話を聴いてもらいたいのである。それを聴いてあげるかどうかはあなたに決定権があると言えるだろう。


私なりに確認すべきと思う事項を挙げてみたが、たったこれだけでも十分くどい印象を持つ方もいるかもしれない。なぜならば、これは会話が事故になりがちな私が考えた確認事項だからである。もしあなたにこれらのことを確認しなくてもスムーズに話題が進み、話題が切り替わり、次の学び、次のアクション、次の行動変容につなげられる話し相手がいるなら、あなたにとってなすべきことは「確認」などという無粋(ぶすい)なことよりも、相手に感謝を示すことになるだろう。

(3,408字、2024.04.20)

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※なおサムネ画像は取り急ぎWikipediaから引っ張ってきたものだが、たまたま全員男性が会話しているという写真になった。しかし、この記事は男性の会話だけを念頭においたものではないことをことわっておく。

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