- 運営しているクリエイター
#粟田色絵恋模様
錦光山窯の天才的絵師・素山の正体とは⁉
ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館には錦光山宗兵衛の作品が数点ありますが、そのなかでも、わたしは「色絵金彩山水図蓋付箱」という小さな作品がとても好きです。
蓋(ふた)の表面には静謐な筆で山水図が描かれ、蓋の縁は花尽くしが描かれ、箱の四面には鶏や鹿、孔雀、鶉などの動物が描かれ、蓋をあけた内部には鴛鴦(おしどり)が、蓋の裏には鴨が描かれています。
それはまるで美しい宝石のようです。
ヴィ
横山美術館・講演会の超レアDVDプレゼント
開拓社の新春プレゼント 企画としまして、
横山美術館「錦光山と帯山」展の
関連講演会 『京薩摩と錦光山の魅力をさぐる』(講師錦光山和雄)の
超レアDVD が
・開拓社広報の新春プレゼントの投稿をRT&開拓者広報をフォロー
・抽選で4名様
・2月末まで抽選
でプレゼントされます。
講演内容は、約10分のダイジェスト版と約1時間半のフルバージョン版になっておりまして、京焼の歴史と魅力が存分にお楽
帯山与兵衛の美の秘密:Martin Reynolds氏の知見
わたしはかねてから粟田で禁裏御用を勤めていた粟田焼の名家である、九代帯山与兵衛の雅で華麗な世界はどのようにして出来たのだろうかと思っていました。
そんな折に、イギリス人で帯山与兵衛コレクターであるマーチン・レイノルズさんと知り合い、マーチンさんから九代帯山与兵衛の雅で華麗な世界の秘密の鍵を解く新しいヒントを教えていただいたので、この場でご披露させていただきたいと思います。
まず、次の画
"Taizan Yohei" collector and Kinkozan
帯山与兵衛のイギリス人のコレクターと知り合ったことをきっかけに、錦光山や京薩摩の魅力を世界の人々に知ってもらおうと英文で発信することにしました。
*
Recently I come to know Mr.Martin Reynolds.
He is a "Taizan" collect
圧巻「上絵金彩花文麒麟鈕大香炉」:横山美術館「錦光山と帯山」展、拝観記
名古屋の横山美術館「錦光山と帯山」展に行ってきました。
展示作品も錦光山と帯山の作品で80点以上、粟田焼ゆかりの諏訪蘇山や宮永東山、伊東陶山、河村蜻山、丹山青海や錦光山宗兵衛の盟友である松風嘉定、さらには清水焼・五条坂の乾山伝七、清風与平などを含めると優に100点以上、さらには文章の解説も充実していて素晴らしい展覧会でした。
まず錦光山の作品ですが、今回初見の作品をいくつか紹介したいと思い
横山美術館「錦光山と帯山」展の講演会のお知らせ
#横山美術館 #錦光山と帯山 展 #講演会 #京薩摩と錦光山の魅力をさぐる
2023年9月24日(日)
定員30名 事前申し込みが必要です。
ご興味があればよろしくお願いします。
まだ未確定ながら
世界でトップ3にはいる世界的な"SATSUMAコレクター"の
アフシン・エムラニ博士も招待して
来られるかもしれません(講演するわけではありませんが)。
My lecture
横山美術館「雅の世界で輝きを発する 錦光山と帯山」展開催のご案内
名古屋の横山美術館様で2023年7月7日から10月9日まで「雅の世界で輝きを発する京焼 錦光山と帯山」展が開催されます。
横山美術館様は、錦光山宗兵衛をはじめ帯山与兵衛など「京薩摩」の名品、逸品を数多く所蔵していて、今回70~80点ちかくが展示されるそうです。初見の作品も展示されるようでわたしも大いに楽しみであります。
上の展覧会のチラシをご覧になっていただきますと、右が七代錦光山宗
京都の雅な金箔押しの世界& 京都はマネキンのメッカだった⁉ 粟田焼の名工岡田久太家とのご縁の序章
縁とはつくづく不思議なものだと思います。
見えない縁(えにし)にみちびかれるように、京都粟田焼の名工・岡田久太家系のゆかりの方々と巡り合うことができました。
まず最初に、岡田久太はどんな人物かといいますと、
江戸時代後期の京都・粟田焼の陶工で、粟田神社の近くに居をかまえ、南蛮写しの白泥(はくでい)、朱泥(しゅでい)、素焼きの急須づくりを得意とし、数寄者におおいに愛玩されたと
拙著『粟田、色絵恋模様』装幀の苦心談
拙著『粟田、色絵恋模様 京都粟田焼窯元 錦光山宗兵衛外伝』の装幀ができあがってまいりました。今回は拙著の内容に触れずに、僭越ながらカバーの装幀の苦心談を書かせていただきたいと思います。
まず最初に考えたましたのが、祖父・七代錦光山宗兵衛の「花蝶図大鉢」をカバーの表紙の真ん中に持ってくることでした。なぜかと申しますと、原あゆみさんが大学院の修士論文で「花蝶図大鉢」を研究されて、わたしもその
金継ぎと父の残してくれたもの
わが家には錦光山の焼物は何点かありますが、父が残してくれた祖父錦光山宗兵衛の焼物は一点しかありません。
それは象嵌透彫の「茶錦瓷 香爐」であります。透かし彫りの蓋(ふた)には火で焼けて茶褐色になったところがあるので、おそらく錦光山で実際に使われていたものと思われます。どういう経路で明治時代の京都からわたしの家までたどり着いたのか、父から詳しく聞いておりませんでしたのでわかりません。
ただ