見出し画像

「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」 第11回 ついに『GO! GO! NIAGARA』発売

ようやく『GO! GO! NIAGARA』が発売された。谷川はジャケット製作、旧譜再発、パンフレット作成、広告出稿などの準備にいそしんだが、あの手書きのライナーノーツまで自身で書くこととなった。

発売準備

『GO! GO! NIAGARA』発売に向けて、谷川は準備に余念がなかった。

アルバムの表面のジャケットは、大滝がWORKSHOP MU!!の中山泰に頼み、だいぶ前に完成している。裏面に使う写真は、カメラマンの常世昌利に依頼して撮影してもらったものだ。常世は、谷川がプロデューサーを務めた鈴木弘の『キャット』でも撮影を頼んだ信頼できるカメラマンである(註)。

さらにエレックから発表されていた『ソングス』と『ナイアガラ・ムーン』も日本コロムビアから再発し、売り上げの相乗効果を狙う。

「売り上げになるから、カセットも出すぞ。」
谷川は、大滝に声をかけ、カセットテープでも新たに販売をすることにした。カセット用のジャケットも、それぞれ新たなデザインで作るなど、発売に向けた作業も同時並行で進めていく。

『GO! GO! NIAGARA』プロモーションのアイディアの1つとして、3月に発売した『ナイアガラ・トライアングル』を含め、コロムビアから発売されるナイアガラ・レーベルのアルバム4枚をPRするパンフレットも作ることとした。大瀧詠一をアーティスト兼プロデューサーとして全面的に宣伝する内容である。

パンフレット作成に当たり、谷川はパシフィック音楽出版(PMP)の朝妻一郎に寄稿を頼んだ。

「こんどつくる大滝のパンフレットに何か書いてよ。」
「何を書けばいいでしょう。」
朝妻は、2つ返事で快諾した。

「字数は、どのくらいでしょうか。」
「字数は…、分かんねぇから、後で言いに行く。」
後日、朝妻からは、大滝の魅力を存分に表現した、暖かい励ましの言葉が届いた。註2)

「こんなパンフを作った。まずはしっかりと曲を作って、アルバムが出て、それが10万枚、20万枚売れる。そんな風になればいいなぁ。これで世の中は明るいな。」
ナイアガラ・オフィスの担当者にも、コロムビアの作ったパンフレットは配り、メッセージを伝える。

怒ってばかりいたところでいい曲はできない。どんなに大変でもアーティストを大事にするのが自分の役目だと、谷川は考えていた。



註1)日本コロムビア版『ナイアガラ・ムーン』の裏ジャケットの写真も常世が撮影した。

註2) 2022/1/30追記 『All About Niagara』(2001)白夜書房 には、コロムビア時のプロモーション用パンフレットが紹介されている(p209)。文字が小さいが、このコロムビアのパンフレットには、朝妻一郎の「大瀧詠一について」が掲載されており、その内容は『GO! GO! NIAGARA』プロモーション・チラシ(p212)の朝妻一郎の原稿と同一の内容である。このことから谷川が、朝妻一郎に寄稿を頼んだのは、『GO! GO! NIAGARA』制作時点ではなく、『ナイアガラ・トライアングル』制作の時期(1976.1~3頃)と思われる。


お詫び広告

「大滝詠一待望のニューアルバム‼」

ディスクジョッキーがプロ野球のラジオ中継をしている『GO! GO! NIAGARA』のジャケットを前面に押し出した、雑誌広告の横に記載された一言が、谷川にもまぶしく見える。

制作開始から発売まで約半年だが、かれこれもう2年ぐらいかかったような気がする。ともあれ、大滝詠一ソロ・アルバム『GO! GO! NIAGARA』が発売される。発売日は10月25日。これは何があっても、もう動かさない。通常、プロの世界では、発売日を決めたら、逆算してレコーディングは3日で済ませるし、アルバム用の曲も1週間あれば集まるものだ。

社内会議の結果で、レコーディングまでしたものが発売中止になることはあるが、当初計画していた6月、発売日が決まって7月から10月まで1か月ずつ、合計で5度も発売予定日を変更したというのは、異例中の異例の事態である。

《制作進行遅延のため度々発売日を変更しておりましたが、10月25日発売と決定いたしました。ご迷惑をおかけしたことを深くお詫びいたします。》 

雑誌の記事自体にお詫びを記載したが、これはファン対策でもあり、レコード店へのメッセージでもある。予約した客から地方のレコード店への苦情が寄せられており、その声の一部はコロムビアの営業所を通じて、谷川にも寄せられていた。


手書きライナーノーツ

日本コロムビアには、文芸部だけでも2人の女性タイピストがいる。
歌詞カードや編成会議の資料を作るときは、彼女たちにタイプを頼む。歌詞カードの制作は、専門の用紙に打ち込んでいくが、縦打ちと横打ちが混ざったり、罫線を引いてもらったりする作業は、タイピストもやりにくい。

前回の『ナイアガラ・トライアングル』の時に依頼した歌詞カードの作成が、まさにこの面倒な仕事だった。「ナイアガラ音頭」の歌詞は縦書きにしたり、写真を多用したり、アルバムタイトルに斜めの文字を入れたり、ずいぶんと手間のかかる仕事で非常に嫌がられた。

今回、歌詞カードの印刷について、社内の締め切りはとっくに過ぎていて、無理強い出来る状況にはない。

大滝と二人で作って、写植に出すしかない。谷川は、早速、準備にとりかかった。

「俺の方が字がきれいだから、ライナーは俺が書いてやる。ライナーや解説はどうするのよ。また、前回のように色々と書くのか。」
「はい。Dedicationとして、ミュージシャンたちの名前を挙げさせてもらいます。」
「あまりマニアックにしたら、誰もわからないぞ。」
大滝は、自分の作った曲に込めた意味や関わった人を入れるのが好きだが、読む方に伝わるのか、谷川には疑問だ。

「これまで番組リスナーから面白いハガキが届いているので、それを紹介するのはどうでしょう。」
大瀧が作ってきた歌詞カードの案には、歌詞の代わりに番組リスナー紹介のコーナーがある。

「それはお前の仕切りで、好きにすればいいだろう。」
「歌詞は付けずに、ラジオでどんな歌詞を歌っているか、当ててもらおうと思っています。」
「プロデューサーの意思があって、作品ができあがる。お前がプロデューサーなんだ。それでいい。」
谷川は、大滝の作りたいもの、作るものを応援する立場である。

「じゃあ、まずは曲名から書いていくぞ。」
 谷川は、タイトルとアーティスト名と曲名を書き入れるスペースに囲み線と点線を引き、清書していった。

 次に、ミュージシャンの記載だ。
ドラムの上原裕、ベースの田中章弘。キーボードが坂本龍一とバンブーのジョン山崎。ギターに村松邦男、スティールギターが駒沢裕城、いつものメンバーである。ここに今回は大滝が演奏した変名も多用された。 大滝はベースとバリトン、テナーの多重録音も行い、 ジャックトーンズとしての記載も行った。

レコーディングとミックス・スタジオのエンジニアとして、大滝は変名である笛吹銅次をあげ、そのアシスタントとして谷川恰と技術の後藤博の名前をあげた。

「何度もいうが、ナイアガラ・レーベルのものに、コロムビアの人の名前を載せる必要はないぞ。」
谷川はナイアガラ・レーベルから出す今回の作品では、大滝の名前のみが光ればよいと考えている。

「関わった人は、載っけないとマズいでしょう。」
大滝は、意にも介さず、にこやかに微笑んだ。

また、一緒に麻雀をやった仲間として、福生麻雀連盟の部分にも、谷川を“谷ヤン”として掲載するとのことである。 

さらに最後のナイアガラ・オフィスのメンバーなどの関係者を紹介する、ナイアガラ・ダイヴィング・ファン・クラブのコーナーにも名前を入れたいとのことである。

「谷川さんの名前を入れるところがないんですよ。審査委員長でどうですか?」
「だから、載っけなくていいと言っているだろう。」
谷川は何度も同じ話をしたが、最終的に折れて、審査委員長としても名を連ねることとし、アルバム3箇所目の名前の登場となった。 


Dedication

次に、フィル・スペクター、アラン・トゥーサンなどのミュージシャンやタレントなどについても名前が書かれたメモをもとに、Dedicationとして名前を書いていく。

「なんで愛川欽也なの?」
気になる名前があると、谷川が質問する。
「キンキンはTBSラジオのパックインミュージックやっているでしょ。CMで、赤坂見附歩けないってある。こういうの、知っているかい、谷川さん?」
理由もあわせて、大滝から説明が返ってくる。

「三木トリローはいいけど、今頃、坂本九なんていうと、みんなビックリするよ。」
三木鶏郎は谷川も尊敬する偉大なミュージシャンである。坂本九が売れたのは、昭和30年代であり、なぜ今、坂本九を取り上げるのかという疑問もでてくる。

「「素敵なタイミング」です。「こいの滝渡り」の中で「タイミング大事だよ」と歌詞に入れました。」
大滝はすました顔だ。

「お前さぁ、スリーファンキーズって、なんで、スリーファンキーズなの?」
スリーファンキーズの「でさのよツイスト」は「コブラ・ツイスト」で一節入れてある。
「スリーファンキーズって、俺、あんまり好きじゃなかったんだよねえ。」
谷川がひとつずつ私的な感想を言いながら進めていくと、ライナーノーツの制作にも思った以上に時間がかかる。

歌詞カードをいれず「ハガキ大会」には見開き2面、最後の頁に「ゴーゴーナイアガラが出来るまで」として、谷川が撮った写真も使いながら、現像された写真をかき集めて、ようやく形にした。

「よし。次はコンサート準備だぞ。今日、俺はこれをもって会社に行くから。じゃあな!」
谷川は10月7日に渋谷公会堂で開催される、招待制のコンサートについて念を押したうえで、印刷工程に回すための原稿を携えて、その足で会社に直接向かった。


ついに発売

10月25日『GO! GO! NIAGARA』がついに発売となった。

谷川は、レコーディング終了後も、渋谷公会堂での発売記念コンサートなど発売後の対応に追われてきたが、毎日毎日、福生に通う生活も一旦、ひと段落となる。

渋谷公会堂では、アルバム発売が延期となった8月にも、大滝たっての願いでDJパーティを行った。再度10月にコンサートを開催することになり、会社のレコード宣伝課や営業側にも負担をかけてしまった。

それでも、今回完成したアルバム・ジャケットを改めて見返してみると、裏ジャケットの大滝の写真は、よく撮れている。その下にジャック・トーンズの挿絵を入れたのは、大滝のアイディアである。

アルバムのコンセプトは、さながら”趣味趣味音楽”ということになるだろうか。このように苦労して発売までこぎつけたアルバムである。もちろん売れて欲しいが、谷川の頭の中は、もう次の曲、次のアルバムに向いていた。

オン・アソシエイツの大森昭男からは来年の三ツ矢サイダーのCMへの楽曲提供の話が来ており、来月には録音を始めるし、来年は3月、6月と順番に次のアルバムを作っていく計画を大滝とは練っている。大滝が作曲したCMソングを集めたアルバム、女性ボーカルのアルバム。今回のアルバムからシングルを切る予定はないが、いずれ強力なシングルヒット曲もねらいたい。

7月発売としての告知から3か月遅れで、ようやく完成したアルバムの最初の曲「Go! Go! Niagara のテーマ ~Dr. Kaplan's Office」は、野球場での喧噪、打音、ドラムと手拍子、フィル・スペクター作曲のインスト・メロディに続き、つぎのラジオ調の語りから始まる。

「ハーイ! Boys and girls & Ladies and gentlemen & Otottsuan Okkasan. This is Each-Otaki's GO! GO! NIAGARA from 45 Studio in Fussa.
お待たせいたしました。大滝詠一の趣味の音楽だけを集めた『GO! GO! NIAGARA』。Side Oneです。」


はい、いかがでしたでしょうか。

今週は、ついに『GO! GO! NIAGARA』発売、でした。

次は「SUMIKO LIVE」を予定しております。
日本コロムビア所属のアーチスト、やまがたすみこのライブなどについて、ご紹介したいと思います。

それではまた、本NOTEにて。Bye Bye!

  2022.01.24
  霧の中のメモリーズ

連載一覧は、こちら↑
日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」(noteマガジン)


(これまでの回一覧)
はじめに <2021.10.25>
第1回 プロローグ(舞台袖の谷ヤン) <2021.11.15>
第2回 コロムビアレコード移籍 <2021.11.22>
第3回 『ナイアガラ・トライアングル』レコーディング <2021.11.29>
第4回 『ゴー・ゴー・ナイアガラ』放送終了危機<2021.12.06>
第5回 『ナイアガラ・トライアングル』レコーディング パート2 <2021.12.13>
第6回 ナイアガラのパッケージ・デザイン<2021.12.20>
第7回 ナイアガラのパッケージ・デザイン パート2 <2021.12.27>
第8回 『ナイアガラ・トライアングル』プロモーション <2022.01.03>
第9回 「ナイアガラ音頭」プロモーション <2022.01.10>
第10回 難産の『ゴー!ゴー!ナイアガラ』 <2022.01.17>
第11回 ついに『GO! GO! NIAGARA』発売 <2022.01.24>
第12回 SUMIKO LIVE (Coming Soon!)

【一言コラム】
豊川稲荷 <2021.11.29>
日本コロムビア本社 <2021.12.13>
niagara ✕ COLUMBIA バインダー<2021.12.27>
ABC会館ホール <2022.01.03>
日本コロムビア・グランド・スタジオ・ロビー <2022.01.10>