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「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」 第7回 ナイアガラのパッケージ・デザイン パート2

「幸せにさよなら」のシングル盤を入れるスリーブを、コロムビアのカンパニー・スリーブでなく、ナイアガラのオリジナル・デザインにすることについても谷川は苦心した。

紫のエンベロープ

「お前が工場に出した指示書、通常のコロムビアの袋があるのに、新たに作るというのはバカか。」
谷川は、今日も朝から、製作部長から叱責された。

『ナイアガラ・トライアングル』の録音・編集作業は2月中旬に終了した。完パケである。現在、プレスとデザイン作業を同時並行で進めている。

テープは、コロムビアの担当ディレクターが確認した後、次のプレス工程に回すことができる。谷川は「幸せにさよなら」のマスターテープを大滝から受け取り、テープの箱の裏面に、曲名、アーティスト名、「ナイアガラ・レーベル、外部」の注釈を書き込み、川崎工場に送った*。

デザインについては、谷川は今回の作品発売にあたって「ジャケット、タスキ、全部”ナイアガラ”デザインで統一してしまおう」という計画を立てた。

エンベロープと呼ばれるシングル盤のスリーブ作成をナイアガラ専用の「紫色に白い横線の袋」に入れることにして指示書を回したが、これが制作部でひっかかった。

DENONレーベル創設の時にも新しいスリーブを作った。その時は目を惹くオレンジを基調として3段階で色が変わるものだった。

今回のスリーブは紫を基調としており、社内でのレーベル創設と同じように、ナイアガラを新レーベルと位置付けたものだ。どうやら、川崎工場から制作部にクレームが入ったようで、制作部長に説明を求められたのは、昨日の話だ。

「ナイアガラの袋があってもいいでしょう。」
谷川は反論した。

「新たに袋を作るぐらい売れるのか?」
「売れますよ、俺を信じてください。」
部長の質問にも谷川はひるまない。

「スリーブを新たに作るというのは、紙から工場から全部変えることになるんだよ。そんなこと、他のどこのレコード会社でやっている?」
「アメリカではこれが普通です。これを認めないと、日本コロムビアはアメリカのレコード会社のようになれませんよ。」
何度も行かせてもらい、自分の目で現場を見ている、アメリカのレコード・ビジネスを思い浮かべながら部長の問いに答えた。

「そんな簡単なものじゃないんだ、工場に迷惑かけているんだ。まず、工場に行って頭下げてこい。」
部長から、打開策についての提案があった。


*註)『NIAGARA 45RPM VOX』(2017)のブックレットには、コロムビア時代のマスターテープや箱の写真も多数掲載されている。
「幸せにさよなら/ドリーミング・デイ」の箱に、谷川の文字と昭和50年2月18日の日付印を確認することが出来る。


川崎工場と編成会議

京浜東北線を川崎方面に乗り、蒲田駅を過ぎると、すぐに多摩川だ。電車が鉄橋にさしかかる頃、左手には京急線の鉄橋と国道15号線がみえる。その河川敷の対岸、左手に見えるのが川崎工場である。 

工場の上に設置されている、赤いペンキで彩られたColumbiaの文字と音符を形どったネオン塔は、夜になると存在感を増す。

国鉄の川崎駅で降りて、工場まで歩くと20分以上かかる。4月の天気の良い日であれば、川崎競馬場の横を歩いていくこともできるが、近くまで京急線が通っているので、あえて歩いていく必要はない。

川崎大師が終点となる京急大師線に乗り換えて、1駅だけ乗り、「港町(みなとちょう)駅」でさっと降りると、そこはもう日本コロムビアの城下町である。

この駅は、戦前は名前が「コロムビア前駅」だったそうだ。美空ひばりの「港町十三番街」はこの駅をモチーフに、石本美由起が全国でも歌をイメージしやすいようにあえて「みなとまち」と読ませたものだと先輩から聞いている。工場周辺には味の素工場があり、製造時に出てくる調味料の混ざったにおいがどことなく立ち込めている。

これから工場長をはじめ、部長や課長にエンベロープの顛末を説明に行かなければと思うと、谷川はあまり気乗りしなかった。

工場に入っていくと、1か月先の発売のレコードのプレスの真っ最中だ。

プレスなどの予定は編成会議で事前に決めており、機械や人に空きが出ないよう調整がされている。プレス工場内には70台を超すプレス機がならび、若い女性が1人で2台のプレス機を担当して、スタンパーを上からおさえ、30秒に1枚の割合でレコードを作っている。月に200万枚を超えるレコードの生産体制が整っている。 

このため、前もって予定を立てていないと工場がストップしてしまい、機械や人繰りの手配に支障を生じる。

編成会議は、毎回赤坂のコロムビア本社で9時半から開催されることとなっており、工場の部長・課長も、このときは川崎から外勤して会議に参加することとなるので、事前に工場に謝っておいた。このことが功を奏し、課長は谷川のナイアガラ構想の一環である紫のエンベロープ作成について会議の席で援護してくれた。

「きちんとやっておいたからさ。新しいことやるのはツラいよな、お互いに。」
編成会議に参加した工場の課長が谷川に声をかけてきた。

「今回は、ありがとうございます。」
谷川は丁寧にお礼を言った。

自分のツラさは外には出さず、コロムビアの川崎工場、商品部など、どこに対してもいかに強くメッセージをしていくか。楽しく、こうなるかもしれないと未来を見せていくことが大事だ。

アルバムが完成したら、次は、ナイアガラ・トライアングルのプロモーション・ビデオ作りだ。2インチテープはまだ高価だが、インディーズでは負担できそうにない費用をかけてでも、しっかりしたプロモーション活動をすることが大事だ。

コンサート、地方回り、まだまだ色々と目立つことや、メッセージを発信していこう。そんなことを考えながら、谷川は自分のデスクに戻った。

ナイアガラのコロムビア移籍後の第一作『ナイアガラ・トライアングル・Vol.1』は1976年3月25日に発表された。


<一言コラム> niagara ✕ COLUMBIA バインダー<2021.12.27>
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はい、いかがでしたでしょうか。

今週は「ナイアガラのパッケージ・デザイン パート2」でした。

次は「『ナイアガラ・トライアングル』プロモーション」を予定しております。ABC会館ホールで行われた『ナイアガラ・トライアングル』発売記念・お披露目コンサートの様子などについて、ご紹介したいと思います。

それではまた、本NOTEにて。Bye Bye!

2021.12.27
霧の中のメモリーズ

「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」
はじめに <2021.10.25>
第1回 プロローグ(舞台袖の谷ヤン) <2021.11.15>
第2回 コロムビアレコード移籍 <2021.11.22>
第3回 『ナイアガラ・トライアングル』レコーディング <2021.11.29>
第4回 『ゴー・ゴー・ナイアガラ』放送終了危機 <2021.12.06>
第5回 『ナイアガラ・トライアングル』レコーディング パート2  <2021.12.13>
第6回 ナイアガラのパッケージ・デザイン <2021.12.20>
第7回 ナイアガラのパッケージ・デザイン パート2 <2021.12.27>
第8回 『ナイアガラ・トライアングル』プロモーション (Coming Soon!)

【一言コラム】
豊川稲荷 <2021.11.29>
日本コロムビア本社 <2021.12.13>
niagara ✕ COLUMBIA バインダー<2021.12.27>