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「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」 第3回 『ナイアガラ・トライアングル』レコーディング

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コロムビア移籍の最初の仕事『ナイアガラ・トライアングル』のレコーディングは、1975年11月7日に開始された。大滝、伊藤銀次、山下達郎のレコーディングは分業で行われた。大滝のパートは「FUSSA STRUT Part-I」「夜明け前の浜辺」「ナイアガラ音頭」の3曲である。その中でも大滝が熱を入れていたのは「ナイアガラ音頭」だった。
 谷川は連日連夜、福生まで通い、大滝のアイデアを実現していった。

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福生通いの日々

今日も福生から会社への直行である。大滝詠一と毎日アイディア論を交わしてレコーディングにとりかかったり、作業が進まなかったり、そんな生活が1か月ほど続いている。夜は、毎晩のように麻雀に誘われる。今日も朝まで、たっぷりとつきあった。

『ナイアガラ・ムーン』制作の頃から、近隣に住んでいるミュージシャンやスタッフたちとの麻雀をずっと続けていたようだが、今では自分も既に"福生麻雀連盟"の定番メンバーに入れられている。大滝の起用するミュージシャンは、いつも自分が使っているスタジオ・ミュージシャンとは180度違うが、ミュージシャンとの交流は大事である。音は、サックス隊にプロを使っていて、テナー・サックスのジローちゃん(稲垣次郎氏)が入っているのが大きい。

ナイアガラ音頭

アルバムの曲決めでは、元々3人で歌う予定だった「ホンダラ行進曲」の代わりに、布谷文夫を歌い手として起用した「ナイアガラ音頭」を入れたいと、大滝から相談があったのは11月のことだった。

「布谷君をなんとか世の中に出していきたい。音頭のリズムをディスコのリズムのように、作っていく。いいでしょ?」
三波春夫「ニッコリ音頭」に対抗したらどうか、というリスナーの提案があったそうで、大滝は、満面の微笑を浮かべ、谷川の方をみた。

「いいんじゃない。俺も音頭をやりたいからさぁ。やるんだったら、中途半端でなく、徹底してやろう。音頭を”ONDO”と英語にして、それを売っていこうぜぇ。」
谷川もアイディアを出して応じた。

「谷川さん、お囃子さんとか三味線の方とかを紹介してもらえませんか。」
 大滝から邦楽のミュージシャン確保の依頼があった。「ナイアガラ音頭」に邦楽部隊も入れ、しっかりと作りこもうという作戦だ。


「わかった。俺が相談してみる。」
谷川は2つ返事で大滝の依頼を引き受けた。


コロムビア邦楽部へのつなぎ

日本コロムビアの制作は、大きく分けると文芸部と邦楽部に分かれ、邦楽部にも、民謡、浪曲、謡曲、浪花節など専門のスタッフがいる。すでに邦楽より文芸部や歌謡曲の売り上げの方が大きいとはいえ、邦楽も今でも売れている。

民謡の赤坂小梅や斉藤京子、神楽坂はん子や、端唄の藤本二三吉などスターも沢山輩出しているし、広沢虎造の浪曲「清水次郎長」シリーズなどもまだ人気がある。なにより美空ひばりが民謡を歌えば、確実に一定数の売れ行きが見込める。

会社でも民謡コンクールを地方でやり、静岡でやる中央講習会やブロック別講習会、フォークダンス連盟ともタイアップしながら民謡の普及に力を入れている。この大所帯の中で、いつも邦楽で笛を吹いたり、三味線を弾いたりしているミュージシャンに新しいことをしてもらうようお願いするのは、苦労しそうだ。

谷川は、まず、コロムビアの邦楽セクションの人に相談した。
「今、作っているアルバムで邦楽のミュージシャンを使いたいんだけれど、紹介してくれない?三味線とかお囃子さんとか」
「太鼓、鉦(かね)、お囃子など、全般ですよね。三味線は、本條流を創流した本條秀太郎さんなど、どうでしょうかね。」
邦楽担当が、これから文化庁の芸術祭をもらえそうな新進気鋭のミュージシャンとして本條流の家元を紹介してくれた。

 「俺が頼みに行くから、先にロック関係のやつが本條さんに会いたいって言っているって、言ってくんない?」
 谷川は、邦楽担当に事前に頼んだうえで、直接交渉し、面会の了承を得て本條秀太郎本人の家まで行くこととした。


「本條さんにロック・バンドと一緒に演奏をお願いできませんか。新しいことをやりたいんです。」
 谷川が頼むと、
「変なことを考えるなぁ。でも、面白い。谷さん、あんたとやろうぜ。」
と、本條は快諾した。仕事がうまくいった帰り道、谷川の心も弾んだ。


ナイアガラ音頭のレコーディング

「純邦楽の人がOKって言ってくれたのさ。12月にレコーディングやるぞ。」
谷川は、日程調整とレコーディングの準備に入った。

まずは、布谷文夫の歌を録る。福生45スタジオで大滝がピアノを弾き、ナイアガラ・ムーンの時に導入したGUYATONEのリズム・ボックスだけを聞かせて、布谷文夫が歌を歌う。こういう作品は面白がってやらないといいものはできない。

「もっとハッピーになって、歌いなさいよ。」
谷川は布谷にアドバイスした。

歌の音入れが終わった後、今度はコロムビアのスタジオで布谷文夫が歌った歌のみを聴きながら、三味線や太鼓の邦楽隊が音を作っていった。

谷川は昔から和楽器と融合したロックにも取り組んできた。DENONレーベルでは尺八奏者の村岡実のレコード「禅」をプロデュースしたが、寺内タケシ&ブルージーンズの「津軽じょんがら節」のようなヒットを飛ばすことはできなかった。

今回のナイアガラ音頭は面白いものに仕上がったと感じている。こうやって苦労して出てきた「ナイアガラ音頭」をもっと売りたい。

レコーディングも進んできた。キーボードのしっかりしたミュージシャンがいるとナイアガラの音楽も引き締まる。

谷川は芸大出の凄腕を使おうと、坂本龍一を紹介した*。彼はタンジェリン・ドリームなどに興味をもっているとのことで、その話題を投げかけると「谷川さん、タンジェリン・ドリームを知っているんですか?」と驚かれた。谷川は常に、ビルボードを読んで、新しい動きも押さえるようにしている。

坂本龍一は、コロムビアのアーティストとしても活躍できそうだ。細野君と演奏した「FUSSA STRUT Part-I」も面白い仕上がりだ。

「夜の散歩道」として、以前録音した曲のリズム・トラックを使用して、「夜明け前の浜辺」の歌入れも行われた。サント&ジョニーの雰囲気の駒沢裕城のスティールギターが秀逸だが、もっと浜辺らしさを入れたほうがよいと、イントロに波の音を入れることになった。谷川はコロムビアから波のテープを持って行くなど手伝った 。


福生〜赤坂見附

麻雀明けの朝、大滝詠一の妻から「朝ごはんを作ったから一緒にどうですか」と誘いがあった。しかし、始発のバスに乗らないと、朝の会議には間に合わない。ジャパマー・ハイツのある辺りから福生駅までは、歩いていくのも厳しい。

「いいからさぁ。オレ、早く帰らなければいけないの。着替えて、そのまんま会社に行かなきゃいけないから。」
谷川は申し出を断り、福生駅のバスに飛び乗った。

福生発の電車の始発は5時40分。できれば、この始発に乗りたいと思っているが、たいていその次の便に乗ることとなる。4両編成の電車には、拝島、立川と、途中からも通勤客が次々乗ってきて、ビッシリとなる。福生の乗客は1日3万人を超えるらしい。順調にいっても都心に着くまで2時間半かかる。座れた通勤客はたいてい腕を組みながら寝ている。谷川もしばしの眠りについた。


赤坂見附〜薬研坂

国鉄を四谷駅で降りて、1駅だけ地下鉄丸ノ内線に乗る。谷川は、赤坂見附駅で降りて、眠たい目を擦りながら、青山通りを上っていく。車通りも激しく、通勤途中のサラリーマンが行き交う朝の通りは少しせわしない。

通りの右手に豊川稲荷が見える。とらやの本店を超えた先、左手に薬研(やげん)坂が見える。

標高差にして5、6mほど、なだらかに少しくぼんだ坂道を軽く下った後、一気に上りに転じる坂は、左手にゆるやかにカーブしている。薬を砕く薬研に似ていることから名づけられたそうだが、徹夜明けにはこれでもキツイ坂だ。

薬研坂のあるコロムビア通りを上り始めると、青磁の色をした社屋の壁上に白い看板に音符と横文字で”COLUMBIA”の大きな文字が鎮座しているのが目に入る。会社に到着した。 


会社業務

コロムビアでは、月曜日に全部門ミーティングがあり、その後、文芸部長から色々な言付けがある。売り上げのほか、日によっては健康診断のような業務連絡があり、朝礼が終わる。

グループ・ミーティングも必ず週に2回はするようにいわれており、火曜日と金曜日にすることとしている。12月から今月にかけては、福生に朝までいることが多く、今日も2時間位しか寝ていない。谷川に疲れがたまっているのをさすがに見かねたのか、文芸部長が声をかけてきた。

「お前のセクションだけはミーティングを減らすとか、月曜日の全社ミーティングに出なくてもいいぞ。福生からなら、そう簡単に会社に来れないだろう」
「部長、お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です。」
谷川は感謝の意を明るく伝えた。

部長が許しても、「あいつは部長のお気にいりだから」など陰口を叩かれかねない。20代でディレクターになり、「一番若いやつが何やっているんだ」という目で周りが見るであろうことはよくわかっている。疲れているところを職場で見せるわけにはいかない。

大変なところも多いが、これほどやりがいのある仕事はない。最後は、いつでも明るく笑いに変えながら、アーティストと一体となって、新しい時代の音楽の世界を作っていく。谷川は福生と会社の生活を存分に楽しんでいた。

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(赤坂・薬研坂)


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<一言コラム> 豊川稲荷  <2021.11.29> (別ページへのリンク)


はい、いかがでしたでしょうか。

今週の「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」は「『ナイアガラ・トライアングル』レコーディング」でした。

次は「「ゴー・ゴー・ナイアガラ」放送終了危機」を予定しております。 谷川氏がラジオ関東の「ゴー・ゴー・ナイアガラ」継続にあたって、奔走した様子などについて、ご紹介したいと思います。

それではまた、本NOTEにて。Bye Bye!

                             2021.11.29 
                             霧の中のメモリーズ


「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」
はじめに <2021.10.25>
第1回 プロローグ(舞台袖の谷ヤン) <2021.11.15>
第2回 コロムビアレコード移籍 <2021.11.22>
第3回 『ナイアガラ・トライアングル』レコーディング <2021.11.29>
第4回 『ゴー・ゴー・ナイアガラ』放送終了危機 (Coming Soon!)

【一言コラム】
豊川稲荷 <2021.11.29>

*註)坂本龍一のナイアガラ関連初仕事は、山下達郎「パレード」のピアノ・イントロとされている。これは、日本コロムビアのスタジオ録音である。
当時、山下達郎のマネージャーだった長門芳郎が、布谷文夫のライブのバンドメンバーとして坂本を福生に連れていったとの資料もある。