日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一
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日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一

霧の中のメモリーズ

 谷ヤンの名前を聞いたことがありますか?

 谷川恰(たにかわつとむ)。

 1970年代、フォーク、ロックなど新たな音楽の潮流が生まれ、大手レコード会社も歌謡曲からロックに目を向けはじめた頃の、日本コロムビアのディレクターです。

 1976年にナイアガラレーベルの日本コロムビア移籍に尽力し、コロムビア時代の大滝詠一の最初の2年間を担当しました。

 谷川氏の名前は『ゴー!ゴー!ナイアガラ』などのライナーノーツに小さくクレジットされているものの、その人物像や大滝詠一との関わり合いはあまり知られていないものです。

 ナイアガラファンの筆者らは、『ア・ロング・バケーション』を浴びるように聴き、『風待ろまん』や、コロムビア時代の大滝詠一まで遡り、その深い音楽性に惹かれていきました。そうした中、幸運にも谷川氏とめぐり合い、当時の貴重な話をうかがうことができました。

 インタビューは2017年から断続的に続き、現在も継続されています。

 この度、谷川氏の許可を得て、その物語を公開する運びとなりました。
 谷川氏の話しには、『ナイアガラ・ムーン』と『ア・ロング・バケーション』をつなぐミッシング・リンクとなる内容が含まれています。特に、日本コロムビアという出資側の視点や、大きな組織の中での若きディレクターとミュージシャンの動きを記録することを通じて、新たなナイアガラ作品の魅力発見につなげられればと思います。

 公開は、準備が整い次第、本NOTEにて連載予定です。

 “期待は失望の母“ですが、いましばらくお待ちください。

           2021.10.25 
           霧の中のメモリーズ

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 本NOTEにて、今後も谷川氏からの補足や、当時を知る皆様から多角的な視点での指摘をいただく【暫定版】としての公開をはじめました。

 それでは、霧の乙女号とは一味違う“赤い”ポンチョをまとった、ナイアガラの滝クルーズへ。

          2021.11.15追記
          霧の中のメモリーズ

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「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」
はじめに <2021.10.25>
第1回 プロローグ(舞台袖の谷ヤン) <2021.11.15>
第2回 コロムビアレコード移籍 <2021.11.22>
第3回 『ナイアガラ・トライアングル』レコーディング <2021.11.29>
第4回 『ゴー・ゴー・ナイアガラ』放送終了危機<2021.12.06>
第5回 『ナイアガラ・トライアングル』レコーディング パート2 <2021.12.13>
第6回 ナイアガラのパッケージ・デザイン<2021.12.20>
第7回 ナイアガラのパッケージ・デザイン パート2 <2021.12.27>
第8回 『ナイアガラ・トライアングル』発売記念コンサート <2022.01.03>
第9回 「ナイアガラ音頭」シングルカット <2022.01.10>
第10回 難産の『ゴー!ゴー!ナイアガラ』 <2022.01.17>
第11回 ついに『ゴー!ゴー!ナイアガラ』発売(Coming Soon!)

【一言コラム】
豊川稲荷 <2021.11.29>
日本コロムビア本社 <2021.12.13>
niagara ✕ COLUMBIA バインダー<2021.12.27>
ABC会館ホール <2022.01.03>
コロムビア・グランド・スタジオ・ロビー<2022.01.10>

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《経歴》

谷川恰氏 略歴 
1941年(昭和16年)3月生まれ
1963年(昭和38年)北海道大学経済学部卒業、日本コロムビア入社
1968年(昭和43年)DENONレーベル創設、運営担当
1975年(昭和50年)(契約)から、1977年(昭和52年)の間、大滝詠一担当(LP『ナイアガラ・トライアングルvol.1』~LP『ナイアガラ・カレンダー』企画まで)
1983年(昭和58年)日本コロムビアを退社。アメリカに自分のレコード会社を作る夢を実現させるため、渡米。A.S.A.Pなどを手掛ける。
その後、VAPレコード統括管理部長などを歴任。



「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」終わるまで続きます(^^)
霧の中のメモリーズ
ころころと  小石流るる  谷川の 水のきらめき  青空の滝