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<一言コラム>日本コロムビア・グランド・スタジオ・ロビー (第9回関連)

1970年代、日本コロムビアの本社ビルのすぐ隣には、レコード録音用のスタジオ棟「Grand Studio(グランド・スタジオ)」が併設されていました。

スタジオ棟の地下1階には社員食堂、駐車場、1階にはロビー、2階に録音部(事務室)や小さな第3スタジオ、テープ編集室やカッティング室、その上の3階から4階にかけて吹き抜けでグランド・スタジオと第2スタジオ、4階はエコー・ルームや1スタの観覧席がありました。

谷川氏によると、ロビーのあるスタジオ棟は、本社ビルと分かれた浮き構造となっていて、本社ビルの玄関から入った後、階段を4,5段(40cmほど)トントントンと下がっていく作りになっていたそうです。

ヒット賞などがでた際に、きちんとしたパーティーは「第一ホテル」でやっていたようですが、ロビーだと会場代がかからないこともあり、ロビーで外部から料理を持ち込んでパーティーをやることもあったそうです。モノを運ぶときには、この階段が曲者だったようです。

ロビーに入り、右側には、少し高めの丸みを帯びた受付カウンターがあり、花を飾ったりすることができるよう、流し台も常備されていたとのことです。

また、ロビー奥にはレッスン室があり、地下にも、通称”スタジオ・セブン”という練習室があったそうです。

第三スタジオまでとは違い、小さなスピーカーなどちょっとした機材のみがあり、ミュージシャンが少し気軽に練習できる場所で、このスタジオは、谷川氏をふくめた制作側が総務部と交渉して作ってもらったものだったそうです。

ロビーの左手、コロムビア通り側にはガラス窓が並び、応接セットがならんでいたということで、「ナイアガラ・トライアングル」や「ナイアガラ音頭」の撮影は、まさにこのロビーで応接セットを除けて行われたそうです。

なお、谷川氏は、ロビーにおいてある灰皿も総務に話して洗練されたものに替えてもらったそうです。この灰皿が「ナイアガラ・トライアングル vol.1」の裏ジャケットに写っています。

「ナイアガラ音頭」のジャケットには、真剣な顔をしてシルクハットに着物姿でカメラマンを見つめる布谷氏の履いている革靴や金屏風の影がほのかに映りこんでいる床が写っています。

この床には、レコード大賞のパーティーに参加したディレクター、レッスンに向かったミュージシャン、そして地下食堂に向かう社員たちが行き交った歴史も浸み込んでいるんだと思うと、その床の反照はまばゆさを増し、軽い靴音の響きさえも聞こえてくるような気持になります。


写真:日本コロムビア・正面ロビー
保柳健「日本のレコーディング・スタジオ 日本コロムビア」(1972)より
*谷川氏によると「QXとは4チャンネルのこと」

2022.01.10
霧の中のメモリーズ

2022.5.4 訂正
当初「QXとは4チャンネルテレビのこと」と記載していましたが、日本コロムビアが発売した「QX-4チャンネル・ステレオ」というステレオ・システムのことだということが判明したので、訂正いたします。

<参考文献>

  1. 井上のぼる 「まんが訪問/録音からプレスまで―日本コロムビア川崎工場」 (雑誌『中二時代』13(2) 旺文社 1968-05)

  2. 穴沢建明「日本コロムビア 最新録音機械を備えたスタジオ紹介」 (雑誌『ラジオ技術』 26(4)(306) アイエー出版 1972-04)

  3. 保柳健「日本のレコーディング・スタジオ 日本コロムビア」(雑誌『レコード芸術』21(5)(259) 音楽之友社 1972-05)


連載一覧は、こちら
「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」(noteマガジン)

「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」関連項目

第9回 「ナイアガラ音頭」シングルカット に戻る
(大滝、布谷がロビーに集合して撮影した「ナイアガラ音頭」のシングルジャケットについても記載しています)

第6回 ナイアガラのパッケージ・デザイン
(大滝、伊藤、山下の3名がロビーに集合して撮影した「幸せにさよなら」のシングルジャケットについても記載しています)