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<一言コラム>niagara ✕ COLUMBIA バインダー (第7回関連)

谷川氏は、1976年初めのナイアガラ・レーベルの日本コロムビア移籍にあたり、あらゆる機会を利用して知名度を上げようと努力されたそうです。

その1つとして、大滝詠一の宣材写真やこれまでの作品を紹介するパンフレット、楽譜などを入れて常に持ち歩くことができる、「niagaraのロゴ入りバインダー」を製作しました。

このバインダーの製作には、「niagara」という文字が、ふとした瞬間にどこからともなく頭の中に浮き上がってくるような、人々の目を引き付ける宣伝効果の高いものを作りたい、という狙いがありました。

また、谷川氏自ら、このバインダーを持ち歩くことで、
「大手レコード会社の日本コロムビアが、ナイアガラという新しいレーベルと"共同して"仕事をしている」
という事実を、ミュージシャンや社内の他部署のみならず、音楽を取り扱うマスコミ全体に対しても、広く知らしめたいという思いもありました。

バインダーは、通常2穴、6穴、12穴などが多く、特に使い勝手が良い、2穴のものが一般的だったようですが、パンフレットなどに穴を開けなくてもよいように、下部が差し込み式のビニール仕上げになったものを特注で誂えており、バインダーの外側は、表裏両面とも同じデザインで、上部にナイアガラのロゴ、下部にコロムビア・レコードのロゴが印刷されています。

niagaraのロゴは、黒いベタ塗りであれば白い影が、他の色(例えば黄色)であれば黒い影か背景色と同色とするのが一般的ですが、このバインダーのロゴは水色の影がつけられ、niagaraのロゴを見慣れたファンにとっても目を惹くものとなっています。

写真:ナイアガラバインダー(谷川氏提供)

1970年代当時、日本コロムビアには、本社や、川崎、三鷹の事業所のほか、全国各地に10か所の営業所がありましたが、バインダーは200冊程度作られ、マスコミやコロムビアの各営業所にもナイアガラ・レーベルの宣伝をしてほしいという思いを込めて、チラシやパンフレットを同封して、配られたそうです。

こうした販売体制についての話を聞くと、日本コロムビアという会社が、ナイアガラ・レーベルにとって単に16チャンネル・マルチトラック・レコーダーの購入に貢献しただけではなく、営業部門の販売網を活用し、パートナーとしての頼もしい役割を果たしていたということについても、少し誇らしげな気分にもなります。

また、ナイアガラ・エンタープライズの社員が自社レーベルの宣伝をするのと並行して、札幌や広島、高松など全国各地の日本コロムビアの社員がniagaraとCOLUMBIAのコラボ・バインダーを小脇に抱えて背広姿で営業している様子や、谷川氏がniagaraレーベルを浸透させようと意気んでスタジオやTV局などの外回りをしている様子を思い浮かべると、それぞれの立場で知名度や売り上げ向上に奮闘されてきた、全ての方に対する感謝の気持が自然と込み上げてきます。

写真:コロムビア・レコード目録(1978)
最後の頁に営業所一覧も掲載されている

<参考文献>

  1. 「コロムビア番号順総目録 : 文芸・邦楽 1979年度版」 日本コロムビア (1978)


         2021.12.27 
         霧の中のメモリーズ

「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」

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