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タグチテルヒコ
2023年7月14日 18:16
遠い昔の学生時代。私が卒業制作に描いた絵は「ヒューマニズムと自然」というタイトルでした。ずいぶんと哲学的かつ難解で、今となっては自分でもさっぱり理解できないんですが、まぁ、ずっと過去のことです。きっとあの頃は、少しばかり賢かったのでしょう。で、その高尚なテーマのもと何を描いていたかと言えば、「サル」の絵なのです。いったい何でサルだったかはここには書きませんけれど、もちろん当時の私のなかで
2023年7月10日 18:47
その昔、戯れにボール遊びなどした時であった。誰かが、「キャッチボールができない奴は信用できない」といったことを口走った。わたしはキャッチボールが苦手である。この日のことは、今でもたまに思い出すし、苦い気持ちにもなるので、結構悔しかったのだと思う。キャッチボールが苦手なのにはわけがあって、わたしは生まれつきの弱視で、左目の視力が極端に弱かった。人間は右目と左目の視点のズレから、対象
2023年7月7日 17:16
Twitterで「講評」について話題になっていたらしい。まぁごくごく狭い範囲の、しかもマイナーな分野でのお話で、その上、わたしのタイムラインなんて貧弱そのものだから、元々のツイートすらよくわからない。ただここ数日、そんな話題がちょこちょこ流れてきて、おもしろいのは、そのほとんどが、なんというか自分語りなのだな。みんな「講評なんて、ふんっ」と言うようなスタンスで、それでもそれなりに思い入れが
2023年7月6日 12:57
庭にある、百人乗っても大丈夫的な物置。訳あって中を整理して解体することとなった。中にあるのは、ここ20年分のわたしの作品である。さすがにも20年たつと、作ったことすら忘れているような作品も多い。あと、大概は展示しているのだが、こんな出来の悪いものを並べていたのかと、冷や汗をかくようなものとか。まぁ心臓に悪い。これを、とっておくもの、バラして材料に還元するもの、そしてその存在を永遠
2023年7月4日 20:03
昭和の時代はまだまだいろいろなことに無自覚で、(女性の)ヌードデッサンみたいなことも、しばしば下世話なエロ話として語られることがままあった。初めてヌードデッサンに挑む高校生男子は、先輩からからかい半分に、様々な忠告だか警告だかをうけて、ガチガチに緊張して当日を迎えたものである。しかしながら、いざその場にたつと、拍子抜けするほど何もなく(いや、まあ何かがあるわけもないのだが)淡々と、普段描い
2023年7月3日 19:16
何年か前だったか、母校の大学で、フェミニズムの観点から、ヌードデッサンの課題がなくなったという話が流れてきて、その時は何じゃそれと思った。人体の構造や佇まいを理解するのに、ヌードデッサンというのは大変重要な課題だし、美術の専門教育の場がそれを手放してしまうのは、どうしようもない愚行に思えたのだ。しかし、そもそもフェミニズムのという件が正確かどうかわからないし、女性ヌードがなくなったのか、男女と
2023年7月2日 21:07
覚え書き。美術の世界には、形の人と色彩の人がいて、分かりやすい例だと前者がセザンヌで後者がルノワールである。 ピカソとマチス ドガとロートレック 安井曽太郎と梅原龍三郎。彫刻の人と絵画の人というのもいる。モディリアーニは画家だが、本質は彫刻の人だと思われるし、ジャコメッティはその逆。ミケランジェロは絵も彫刻もよくしたが、圧倒的彫刻の人。一方ダ・ヴィンチは万能の天才だが彫刻の香りは
2023年7月2日 00:44
努力と才能について時々考える。自分が長く教員であったことが理由だと思う。このテーマは散々論じられてきたことだと思うけれども、あまりしっくりくる論考を見たことがない。結局両方大事なんだよというのが、当たり前の結論なんだが、例えば努力する才能だとか、続ける才能、みたいなことまで考えはじめると、何が何だかわからなくなる。ところで世間一般には、芸術系は才能、学力系は努力のように語られることが多い