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クリームソーダシティを知っているか?

それとも、ガンダーラ。

 「人は皆、桃源郷を探している。」
目が覚めた瞬間、窓の外に広がる砂漠を目にした時、耳元でそんな声が聞こえた。窓を隔ていて触れられないにも関わらず、ぼくは一面に広がる砂が最上級のさわり心地であることを知っていた。包み込まれたらひんやりと気持ちがいいに決まっている。飛び込みたくてたまらない。もしここが本当に砂漠で、あの太陽が偽物でないのなら。そんなことをするのはよっぽどの死にたがりで、だけどぼくはきっと飛び込むぞ、と思いながら。

ほんとうはぼくは、和室にいる。ばあちゃん家の一室、神棚のある部屋。ここで一人過ごす時間が大好きで、夢のようで、しまいには本当に夢と錯覚し、何処かいつも遠い世界へと出かけてしまうのだった。特にあの、縁側にあるロッキングチェアに座ったら最後、旅へ出なかった試しがない。ゆらゆらと気持ちよく揺れているうちに、自分の向かいにもう一つのロッキングチェア、すなわちもう一人の自分が見え、対話が始まる。それが”あいず”だった。白いカーテンに透ける日差し、鳥の囀り、少しの音も鳴らさず揺れるロッキングチェア。この家にたった一人、衣擦れの音すら立てず存在する自分。あまりの静寂に、何故ゆれているのかわからなくなる。「本当にゆれているのか。」こちらの世界は暗く静まり返っているというのに、窓一枚隔て隣の世界は温かで音と光に包まれている。本当に、"こちら"と”あちら”の間にあるのは窓だけなのか。このカーテンを開けるとそこは、別の宇宙に繋がっているのではないのか。「開けてはいけない。」もはやぼくが存在するこの空間が、何か大きな別の生命体の手のひらで、この異様な薄暗さは"彼"が覗き込んだ影ではないのか。「考えてはいけない。」耳を澄ます。閉じた瞼で感じる光と、左右全く異なる音。一つも逃さないように、全身を空間に溶かす、研ぎ澄ます。目を閉じたまま、次に見える景色はいつも見たことのないものだった。

ある時は砂漠、ポツンと置かれたガラス張りの部屋から眺めていたね。ある時は谷底、グランドキャニオンみたいな岩に囲まれた道を車で走っている。夜空が何故か温かく、それはそれは美しい月を見ていた。ある時は花火のプール、水なのか空なのかわからず仕舞いだったけど、光に吸い込まれるよう飛び込んだ。


「カタン、」家のどこから鳴ったかもわからない音で旅は終わる。目の前にはいつもの本棚があるばかりで、ロッキングチェアは確かに自分で重心を動かして漕いでいた。ただの、縁側。

クリームソーダシティを読んで、思う。あれらはぼくの桃源郷だったのだろうか。ガンダーラを聞くたび、思う。人生は桃源郷を探す旅なのではないか。だとすれば、生きることはなんて悲しいことだろう、と。そんな悲しみに満ちた、存在しない桃源郷探しをぼくたちは今日も続けているのだ。





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