どこにでもいる平凡な女

30代半ば 会社員 独身 どこにでもいる女が、どこにでもいる毒親について生い立ちや気…

どこにでもいる平凡な女

30代半ば 会社員 独身 どこにでもいる女が、どこにでもいる毒親について生い立ちや気づいたことを書いていきます。自分の整理のためですが、読んだ誰かに、もしかすると何かのヒントや支えになると嬉しい、とも思います。

最近の記事

  • 固定された記事

「食べること」≠「母の愛情」

盛大に思い違いをしていたことに気付かせてもらった。 「食べない」ことと「病気になる」ことを、 かなり太い「=」で結んでいた。 さらに、「病気になる」と「自分ではどうしようもできない」と、 「なかなか治らない」も強めに結んでいた。 そして、それを「正しいこと」にするために、 「食べない」と「痩せる」を何とか結びつけないようにしていた。 「健康に痩せたい」と思い続けていた。 20代前半に摂食障害になった。 摂食障害になる前は、若さもあって、食べながら普通体型まで痩せた。

    • 毎秒・毎分・毎時間・毎日・毎年

      今、この瞬間の1秒、自分は自分に対して、どんなまなざしを向け、どんな言葉を投げかけているだろうか。 私はずっと、否定的で、押しつぶすような、おさえつけるような、不安を煽るような、そんな眼差しや言葉ばかり、自分に手渡していたように思う。 それらは、幼い頃から傷ついてきた私を、とりあえずその時の瞬間、なんとか生き延びさせようと守るために必要なものだった。 そうしないと、自分の心が死ぬか、親を殺してしまうか。 そのくらい切羽詰まった状況で、なんとか理性を保ってなけなしの未来に

      • 不安になることで、身を守れるのか

        HSP診断を受ければ、大体どの診断でも強度とでる。 愛着タイプ診断を受ければ、不安定型とでる。 立派な不安障害であり、いつも答えを探している。 目の前の人の機嫌に左右され、目の前の人の気持ちに左右され、 気を張って、気を遣って、気を読んで、親に合わせなければ 生きていけないと思い込み、安心することができなかった。 親の理屈も機嫌もめちゃくちゃであること、頭でようやく理解ができてきて それでもなお、無意識に親をなぞり親に合わせてしまう。 振り回された時に、めちゃくちゃな

        • 「悲しかった自分」と向き合うとき

          大切な誰かが喜んでいると嬉しくなる。 大切な誰かが悲しんでいると辛くなる。 物事は本当にシンプルであり、シンプルな心でできているとわかっているはずなのに、私はすぐそれを忘れてしまう。 すぐに目の前の出来事や相手から目を逸らし、「悲しかった自分」に目を向けてしまうのだ。 「悲しい・苦しい・悔しい・遣る瀬無い・虚しい・寂しい」 こういうできれば避けたいと思ってしまうような感情と、親の愛情の記憶が私の中で結びついてしまっている。 私の親は私にかなり無関心で、子供の自分はネ

        • 固定された記事

        「食べること」≠「母の愛情」

          「役に立つこと」の難しさ

          「人の役に立ちたい」 「人に必要とされたい」 「人に感謝されたい」 小学校とか、中学校とか、物心ついた時には既にそう思っていた。 どれも普通の人が、普通に感じるような、普遍的な欲に見える。 だけど、私はしっかりと親子問題を拗らせたアダルトチルドレンなので、この気持ちの裏にはとっても利己的な欲が隠れている。 そんな自分に気づきたくなくて、自分をいい人間だと思いたかった。 だから「役に立ちたい」気持ち、「必要とされたい」気持ち、「感謝されたい」気持ちを、誰もが持つ普遍的

          「役に立つこと」の難しさ

          目に見えても、きっと難しいこと

          「自分のことは、自分が一番よく分かっている」 それは本当のことだけれど、実際には「わかる」までには時間も、お金も、エネルギーもかかるのが現実だ、と、痛感する。 本当の自分が現れる前に、自分で自分を覆い隠してしまう。 本当の自分と出会うことは、耐えきれなくて深く深く沈めた痛みも悲しみも苦しみも、全て思い出していくことだから。 ダメすぎる自分も、クズすぎる自分も、醜い自分も、怒りでドロドロに煮えたぎった自分も、全て向き合うことになるから。 それらを隠すために、私たちはテ

          目に見えても、きっと難しいこと

          傷を治すのは自分

          大切なことは、よく見えなくなってしまう。 本当に大切なことは自分の中にあるのに、見失ってしまう。 本当は何も悪いことをしていないのに、理不尽に八つ当たりされたり、怒りをぶつけられたり、誰かと比べられたり、ネガティブに思えるようなレッテルを貼られたりして、どんどん、見えなくなってしまう。 純粋な気持ちや行為が、自分にとって羨ましかったり、妬ましかったりして、痛く刺さることがある。 幸せが有限なもののように思えて、自分じゃない誰かの幸せや喜びは、自分へ分け与えられるはずだっ

          間違ってばかりいる

          私はいつも、間違える。 自分がしたいことを、間違える。 間違えていないけど、間違っている。 誰かを助けられる人間にならないといけない、と思い込み、誰かが困っているのを敏感に察知する。 タチが悪いのは、誰かが困っていると「察知している」と思い込むように、仕向けてまでいる、と言うこと。 本当は、その人は、困っていない。 困っているかもしれないけれど、私の助けなんて、必要としてない。 困っているかもしれないけれど、自分で解決できる。 親を重ねて、親にして欲しかったことを

          傷の下に、大事なものがある

          気がついた時には、自分の家が、自分の家族が普通じゃないと感じていた。 普通なんて何かもわからなかったけれど。 友達のあの子の家みたいに、父親と母親で出かけることなんてない。 他の友達のあの子の家みたいに、相談しあっているところは見たことがない。 他の友達のあの子の家みたいに、父親や母親と笑い合えたことが、ない。 私の家では、どうしていつも、父親は怒鳴っているのだろうか。 どうしていつも、母親は悲しそうなのだろうか。 どうしていつも、2人とも苦しそうなのだろうか。

          傷の下に、大事なものがある

          自信って、どうやったら持てるの

          「自信」って何なのか、全くわからなかった。 「自立」って何なのか、全く分かっていなかった。 「大人」って何なのか、全く分かっていなかった。 働けていて、お金が入っていて、一人暮らしができれば自立していると言えるのか。 社会的信用があって、好きなものが買えて、家や車が欲しければ銀行でローンが組んで買えたら、大人なのか。 お金があるって大人なのか。全く、分かっていなかった。 社会人経験もある。サラリーマンとして働いて、毎月一定のお金が入ってくる。一応、普通に生活できて

          自信って、どうやったら持てるの

          悩んでいる時、相手も悩ませている

          立派にアダルトチルドレンな私は、立派に不安障害がある。 すぐ不安になるし、すぐ悩むし、すぐ困る。 誰かに決めてほしい、助けてほしいと思っている。 もっと言うと、母親に関心を持ってほしい、動いてほしいと心の底で思っている。 それは、不安になったり、悩んだり、困ったら、「母親の都合のいい時だけ」助けてもらえたからだ。 母親にとっては一生懸命な子育ての中で、母親にとっての努力の結果だったかもしれないが、当の私にとっても、世間から見ても「母親の都合のいい時だけ」に「母親に都合の

          悩んでいる時、相手も悩ませている

          認知が歪むと世界も歪む

          chatGPTで認知行動療法ができる。 アプリでも公式LINEでもAIカウンセリングがあるし、認知行動療法+マインドフルネスが今の主流らしい。 認知行動療法、スキーマ療法、精神分析、カウンセリング。 認知が歪みまくっているアダルトチルドレンの私にはどれも必要に思えるし、同時にどれも「自分が変わらない限り頼っても無駄」でもある。 認知が歪んでいると、何が悪いのか。 認知が歪んでいると、誰が苦しいのか。 そういうことが少なからず自分事として理解できたり腑に落ちて、「変わり

          認知が歪むと世界も歪む

          自分の味方にならない限りはずっと終わらない

          立派なアダルトチルドレンである私は、毎日失敗している。 自分を、他人を大事にできずに毎日を過ごし、自分を大切にできなかった母親の影を追い求める。 「こうしたら母親が振り向いてくれるんじゃないか」 「こうしたら母親が助けてくれるんじゃないか」 「こうしたら母親が私に関心を持ってくれるんじゃないか」 天地がひっくり返っても叶わない願いだと頭では分かっていても、なかなか私の中にいる小さな私はまだまだ納得していない。 納得していない自分の声を聞かずに、蔑ろにしてしまい、 そう

          自分の味方にならない限りはずっと終わらない

          憎んで、怒って、恨んで、それでも生きていくしかない

          「毒親」とか「アダルトチルドレン」とか「発達障害」とか「愛着障害」とか、家族にまつわる問題と、その加害者と被害者を表すような言葉がたくさん溢れているし目に飛び込んでくる。 私は紛れもない「当事者」であり、同時に自分で自分を「当事者じゃない」と否定し続けた人間でもある。 だって「親を悪者にする」ことが怖かったから。 「親を悪者にする」ということは、「傷ついている自分」と「怒っている自分」と「悲しんでいる自分」と向かい合わないといけないから。 怒っているどころか、憎んで、

          憎んで、怒って、恨んで、それでも生きていくしかない

          今思えばあの家は地獄だった

          30数年前、快晴の日なんて年に数日しか見られないような、どんよりとした空ばかり見上げなきゃいけないような北陸の地で、私は産声を上げた。 家族構成は父・母・祖母。唯一生まれた一人娘が私。住んでいた家は父の実家だった。 家は曽祖父の代から続く古い古い木造で、屋根はトタン作り。間取りは3Kと言ったところだろうか。自営業を営んでいたのでうち1部屋は仕事場だった。そのため祖母の部屋、父母と私の部屋、居間と狭い狭い台所と風呂があるくらいの家だった。 台所も狭く大人1人が立てるくらい

          今思えばあの家は地獄だった

          無駄ばかり

          いつも、いつも、間違えてしまう。 相手のやりたそうなことを優先したり、言われてもないのに想像して、気を回したり。 自分のやりたいことを考えずに、感じずに、信じずに、モノゴトを進めようとしてしまう。 相手に頼まれてもないのに、「相手のやりたいことに合わせないといけない」と思い込んで、相手のことばかり、見たり考えたりして「やったほうが良さそうなこと」を探したり。 「やりたいことがある」のに、それを自分が邪魔してたり、自分に気遣いして、言えないんじゃないだろうか、と、気にしたり