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悩んでいる時、相手も悩ませている

立派にアダルトチルドレンな私は、立派に不安障害がある。

すぐ不安になるし、すぐ悩むし、すぐ困る。
誰かに決めてほしい、助けてほしいと思っている。
もっと言うと、母親に関心を持ってほしい、動いてほしいと心の底で思っている。

それは、不安になったり、悩んだり、困ったら、「母親の都合のいい時だけ」助けてもらえたからだ。

母親にとっては一生懸命な子育ての中で、母親にとっての努力の結果だったかもしれないが、当の私にとっても、世間から見ても「母親の都合のいい時だけ」に「母親に都合のいいように」助けられたのが、事実。

「母親とは、自分を犠牲にしても子供を身を挺して守るもの」
「愛情は注がれるもの」
「子供は大事に思ってもらえるもの」

「守る」とは、「愛情」とは、「大切」とは何かもわかっていなかった。
同時に、「守る」も「愛情」も「大切」も、どれも誰もわかっていない家庭で育ってきた。

ずっと私は混乱し続け、落ち着けない世界を生きてきた。

何もわかっていないけれど、「守られたい」「愛されたい」「大事にされたい」と、「その価値が自分にある」と信じたくて、自分の母親に自分の価値を作って欲しくて、私は「助けられたかけら」を大事に大事に握りしめて、こんな年まで生きてきてしまった。

その「助けられたかけら」は「尖ったガラスの破片」みたいなもので、握りしめたら手が切れてしまうのに、大事に大事に握りしめてきた。

それを大切にしないと、愛された実感が持てなかったから。

心の基盤がグラグラで、不安定で、子供でどうにもできなかった自分を、自分でなかなか愛せなくて。

愛着障害とか、アダルトチルドレンとか、摂食障害とか、不安障害とか、HSPとか、結婚できないとか、人と深く関わるのが怖いとか、色んな問題をたくさんたくさん自分に作って、なんとか助けてもらって、「愛された実績」を作ろうとした。

「愛されなかった」って思いたくなかったし、親を悪者にできなくて「愛されなかった自分に落ち度がある」と思い込み、思い込まされてきたし、「愛されさえすれば大丈夫」って、また自分でも自分に条件をつけてきてしまっていた。

そうして、自分で自分を愛せることから、ずっと逃げてしまっていた。

だから、すぐ不安になるし、困るし、悩む。

もう子供でもなんでもないし、むしろとてもいい歳の大人で、助けられるより助ける側の人間で。

自分の心と身体を壊すほど、壊して不安障害やら摂食障害やら、色んな問題を抱えても親に笑って欲しかった私たちは、同じように大切な誰かに笑ってもらえるよう、頑張ったり努力したりできるはずで。

大切な誰かが笑ってくれることを、心から嬉しいと思えるはずで。

「はず」と思うのは、これまで逃げてきてしまったから。
「はず」と思うのは、誰よりも注いでくれたメンタルトレーナーが、圧倒的な存在として、現実として教えてきてもらえたことは「わかっている」から。

できるはずの能力を持っていたって、磨かないと何にもならない。
磨いて、動いて、実践して、失敗を重ねても、絶対に諦めては行けなくて、大切な人を笑顔にできるよう、動き続けるしかない。


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