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傷を治すのは自分

大切なことは、よく見えなくなってしまう。
本当に大切なことは自分の中にあるのに、見失ってしまう。

本当は何も悪いことをしていないのに、理不尽に八つ当たりされたり、怒りをぶつけられたり、誰かと比べられたり、ネガティブに思えるようなレッテルを貼られたりして、どんどん、見えなくなってしまう。

純粋な気持ちや行為が、自分にとって羨ましかったり、妬ましかったりして、痛く刺さることがある。

幸せが有限なもののように思えて、自分じゃない誰かの幸せや喜びは、自分へ分け与えられるはずだったものが流れていったような勘違いをしてしまう。

ひどく焦り、ひどく混乱して、ひどく落ち込み、ひどく怒る。

そうして、幸せは奪い合わなければいけないと、誰かより優れなければいけない、そうしないと受け取れないと、思い込んでしまっている。


傷ついていない人は誰もいなくて。

ただ、誰かに傷の痛みを共感してもらえた人、痛いと感じることを認めて、受け止めてもらえた人、傷は治せることを教えてもらえた人、傷が治せると信じてもらえた人は、誰かの痛みも同じように大切にできる。

傷ついたことを受け止めてもらえなかった人、傷から目を逸らされた人、傷の治し方を教えてもらえなかった人は、傷を治さないままに隠してしまう。
目を逸らされるだけじゃなくて、傷ついていることを叱責されることだってある。むしろ、深い傷をつけられることもある。

それでも、
「傷ついた自分が悪いんだ」
「傷ついてないから、目を逸らさないでほしい」
と、いろんな理由で相手を悪者にできなくて、傷を深く深くに隠してしまう。

傷を受け止められない人も、傷に目を向けられない人も、誰かを傷つけてしまう人も、みんな、深く傷ついている。

傷ついているのに、治っていないのに、深くに隠してしまう。
そして、その傷がずっと痛むことに怒っていて、悲しんでいて、悔しがっていて、寂しくて、でも、どうしようもできなくて。

そうしていると、同じように人を傷つけたり、傷ついている人をさらに踏みつけたり、相手の傷から目を逸らしてしまう。

相手のテリトリーまで土足で入り込んで、怒りをぶつけたり、一緒の傷をつけようと刃物を振り回して。

自分で受け止めていない傷に、相手に気づいてもらおう、助けてもらおう、一緒に怒ってもらおう、一緒に悲しんでもらおうと、する。

そうして、また、傷つく人が増えていく。
どんどん傷は濃くなって、次の人、次の人、と深く広くなっていく。

傷つくのは、傷つけられるのは、いつもその時に一番優しくて、一番弱い人が傷ついていく。

私も、ずっと、自分の傷を受け止められなかった。
今だってまだ見えていない傷が山ほど、たくさんある。

自分で見てなかった傷を、癒やそうと手を差し伸べてくれる人や、癒してくれそうに思えた人を見つけた瞬間には、ここぞとばかりに甘ったれて相手に傷をつけようとしてしまう。

そうしても、ずっと、自分の傷は癒えないし、なくならない。
ずっと、痛いままで、また、大切な人を傷つけていく。

自分の傷は、自分が治す、治せると、決めるしかない。
どんなに理不尽でも、どんなに傷をつけてきた相手が悪いように思えても、自分が治すと、決めるしかない。


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