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「食べること」≠「母の愛情」

盛大に思い違いをしていたことに気付かせてもらった。

「食べない」ことと「病気になる」ことを、
かなり太い「=」で結んでいた。

さらに、「病気になる」と「自分ではどうしようもできない」と、
「なかなか治らない」も強めに結んでいた。

そして、それを「正しいこと」にするために、
「食べない」と「痩せる」を何とか結びつけないようにしていた。
「健康に痩せたい」と思い続けていた。

20代前半に摂食障害になった。
摂食障害になる前は、若さもあって、食べながら普通体型まで痩せた。
摂食障害の始まりは、社会人になってから。
「吐かない拒食」からスタートした。

拒食にまでなったのに、痩せていくこと、また痩せている状態を
維持できたのは半年程度のもので、その後は過食症に転じて物凄く太った。

過食が止まらず、最大に太っていた時からはその後10kg程度落ちたが、
それからは標準体重以上を維持し続け、なかなか痩せなかった。

痩せていく間、そして痩せている間も、嬉しさや楽しさはなくて、
ただただ「自分は痩せないと価値がない」と思い込んでいた。
いつもつらいこと、悲しいことを探して、
被害者意識にどっぷり浸かっていた。
とにかく食べていなくて、エネルギーが全くなくて、
一人でいても友達といても、なんだか光景が霞んでいて、
心にも靄がずっとかかっていて、何も楽しめなかった。
楽しもうとしていなかった。

太っていくことも勿論つらかった。
「痩せていないと価値がない」はずなのに、食欲は止まらず、
食べないことで代謝が落ちていただろうし、
そうじゃなくても尋常じゃない量を食べるのでどんどん太っていった。

過食の症状は、「吐くと治らない」という、
摂食障害克服者の言葉を盲目的に信じて吐かずにいた。
つらい気持ちを続けていたかったから、相変わらずつらかったけれど、
食べることで「一時的には満たされる」し、「麻痺できた」んだと思う。
だから、吐かなかった。

それでも、とにかくすごい量を食べるので、その後はとても体が重かった。
自分の食欲が底なし沼みたいな感覚で、もう1人の自分が引いているのだ。
買い物袋いっぱいに、その直後に過食するものを買っている時の
自分の異常さにも、もう1人の自分が引いていた。

そして、食べた直後は体が重いのにハイでじっとしていられず、
夜中であっても、次の日が仕事であっても自転車で出かけて、
しばらく走らせて動かないと落ち着けなかった。

もう1人の自分が、過食の時のこういう衝動的な自分、止められない自分、訳が分からない自分が怖くなって向き合えなかった。
そして、太っていく自分を直視できず、メイクも、ファッションも、
ヘアスタイルも、何も興味を持てなかった。

この、摂食障害に隠されていた私の気持ちが見えてきた。

拒食になったことも、過食になったことも、
「病気になりたかった」、「つらくなりたかった」のだ。

「つらい」から、母親に助けてほしかったし、
「病気にまでなった」から、母親に助けてほしかった。

過去にタバコを吸ったり万引きしても母に助けてもらえなかったけど、
さすがに病気になれば助けてもらえるだろうと思った。


母はどんな時でも食事は欠かさずつくってくれたし、
私の好きな食べ物を覚えていて、誕生日も、普段も、お弁当も、
いつも私が「好きな食べ物」を準備したり、入れるようにしてくれていた。

母が実家を出ていって、私と別々に住んでいる間も、
定期的にお弁当をつくって持ってきてくれた。

だから、「食事が食べられなくなるほどつらく」なれば
心配してくれると思った。

「拒食」では心配してもらえなかったけれど、
「過食」になればさすがに異常さに気付いて心配してくれると思った。
心配して、助けて、甘えさせてくれると思ったのだ。

現実は、私の願いはかなわなかった。
「心配」も「助けて」も「甘えさせて」も、
私から見た世界ではしてもらえなかった。

「何をしても気にかけてもらえない」と思ったし、
「痩せたって意味がない」と思った。

むしろ、食べていれば、ある程度食べられる体格であれば、
母から不定期に「食材の差し入れ」が届き、食べることができるので
「愛情だ」と思ってしがみつくことができた。

「病気」や「食べない」じゃ、母の気を引くことができなかっただけだし、
「異常なほど食べない」ことを、
「病気になるための手段」として使っただけだった。

「食べない」から「病気」になったわけじゃないし、
「痩せる」ことが「病気に繋がる」わけじゃないし、
変化には負担が伴うものだし、
多少健康を損なったって後から取り返せるし、
「食べなくて」も
「母親の愛情が受け取れない自分になってしまう」わけじゃないし、
「愛される自分」と「痩せている自分」は相反するものじゃないし。


色んなことを、ぐしゃぐしゃに絡めて、無理やり結び付けて、
めちゃくちゃな理由をつけて、先に進まないようにしていた。

「助けてもらえなかったと感じている」ことがつらかった。
いつまでも「母に助けてもらわないといけない子供」でいたかった。
いつまでも「母に手をかけてもらえる子供」でいたかった。
いつまでも「母の愛情(食事)を受け取れる子供」でいたかった。
ずっと、「悲しみや苦しさでないと母に注目してもらえない、
関心をもってもらえない、繋がれない」と思っていた。

「痩せてしまう」と、母から離れて大人になってしまうと思っていた。
「食べること」が少なくなる、なくなってしまうと、
母との繋がりがなくなると思っていた。

全く関係のないことだったんだ。

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