目に見えても、きっと難しいこと

「自分のことは、自分が一番よく分かっている」

それは本当のことだけれど、実際には「わかる」までには時間も、お金も、エネルギーもかかるのが現実だ、と、痛感する。

本当の自分が現れる前に、自分で自分を覆い隠してしまう。

本当の自分と出会うことは、耐えきれなくて深く深く沈めた痛みも悲しみも苦しみも、全て思い出していくことだから。

ダメすぎる自分も、クズすぎる自分も、醜い自分も、怒りでドロドロに煮えたぎった自分も、全て向き合うことになるから。

それらを隠すために、私たちはテストの点数や、学歴や、職歴や、経験年数や、営業成績や、年収や、肩書や、資格や、いろんな優劣や順位などの「線」に乗せられた基準で自分たちを取り囲む。

私もそうだった。

働けてるから、大丈夫。
お金を稼げているから、大丈夫。
会社員をやれているから、大丈夫。
成績を残せているから、大丈夫。
学歴も職歴もあるから、大丈夫。
まだ30代だから、大丈夫。

実際は何も大丈夫ではなくて、誰かに会いたいと思ってもらえることも、頼りにし合える友人もいなくて、恋人や結婚相手はもちろんいなくて、そもそも、誰にも心を開けなくて、開けないくせに誰かに優しくしてほしい、愛してほしいなんて思って、「自分を何も変えない」ただの迷惑でクズな人間なのに。

誰かに優しくされる人、誰かに愛してもらえる人、誰かに頼りにされる人、至極当たり前の話だけど、そういう人はそれなりの理由がある。

優しくするから優しさが返ってくるし、愛するから愛が返ってくるし、頼りにするから頼りにしてもらえる。

愛されることを知らなかった私たちは、歪んだ愛情を飲み込まされた私たちは、ずっと、「優しくする」「愛する」「大切にする」「頼りにする」「尊重する」を知らなかった。

知らないどころか、歪んだ愛情のまま、関わろうとする人を傷つけてまでいた。今だって、気づいていないところで傷つけているかもしれない。

親から受け取った歪んだ愛し方をそのまま握り締め続けて、親ではない大切な相手に求めようとする。なんて愚かで、なんて滑稽なんだろうか。

優しさには優しさが返ってくる、尊重には尊重が返ってくる、大切には大切が返ってくる。

本当の優しさを知ること、わかること。
尊重を知ること、わかること。
大切を知ること、わかること。

それは、どんなに高いお金を稼ぐより、どんな名声を得るより、どんな役職に就くより、私にとっては、遥かに価値があることだった。

優しさも、尊重も、大切も、場面によって、相手によって「すること」は変わる。だけど、芯の部分は絶対に変わらない。

とても大切なことなのに、世の中には優劣や順位が溢れすぎていて、目が曇る。
とても大切なことだから、目に見えなくて、形がなくて、わからなくなってしまうことも、ある。

そういう大事なことを、私はメンタルトレーナーの森さんに教えていただき、全身で示していただけている。

絶対に、自分を諦めないで、その人だけは手放してはいけないんだ、ということは、やっとわかることができた。ここまで来るのに、8年がかかった。

ポンコツすぎる自分が嫌になる。わからなすぎる自分が嫌になる。
だけど、絶対に諦めちゃいけないし、どんなに細い糸でも信じて手繰り寄せないといけない。

本当に大切なことだから、絶対に諦めちゃいけない。

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