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不安になることで、身を守れるのか

HSP診断を受ければ、大体どの診断でも強度とでる。
愛着タイプ診断を受ければ、不安定型とでる。

立派な不安障害であり、いつも答えを探している。

目の前の人の機嫌に左右され、目の前の人の気持ちに左右され、
気を張って、気を遣って、気を読んで、親に合わせなければ
生きていけないと思い込み、安心することができなかった。

親の理屈も機嫌もめちゃくちゃであること、頭でようやく理解ができてきて
それでもなお、無意識に親をなぞり親に合わせてしまう。

振り回された時に、めちゃくちゃなことを押し付けられた時に、
心から感じた怖さも、悲しみも、居た堪れなさも、憤りも、全てが
一人で抱えるには辛すぎだから、深いところに沈めてしまっている。

思い出すには一人じゃ到底無理で、とんでもない痛みと苦しみを伴うことだと、どこかでわかる。

それと同時に、どんなに痛みと苦しみがあるからと言って、思い出さずに逃げることができないことも、わかる。

自分が向き合おうとしない痛みと苦しみは、確かに存在していて。

それらと自分が向き合わない限り
「ちゃんと自分と向き合おうとしてくれる人」
「自分が大切だと感じる人」に、
流して、流れて、本当に大切な人を自分の代わりに苦しめてしまう。

不安になるのは、沈めてしまった苦しんでいる自分が顔を出そうとするからで、顔を出されたらどうしたらいいかわからなくなるからで。

不安であること、不安だから安心に逃げること、不安だからと自力で立たずに誰かに甘ったれることは、自分と向き合わずに逃げることに、なる。

どんなに、目の前の大切な人の機嫌や気持ちを伺っても、合わせても、気を遣っても、動いても、誰のことも幸せにできなかった。
誰のことも、笑わせることができなかった。

その自分に向き合うことができなかったから、【不安】を理由にして逃げる癖がついている。

果たして、本当に、「私が悪くて」誰のことも幸せにできなかったんだろうか。
目の前の人がそもそも「幸せになること」も「笑うこと」も放棄していたんじゃないだろうか。
繋がって笑えること、繋がって幸せになれること、それを望んでなかったんじゃないだろうか。

私は、何を見ているんだろうか。
不安であることで、何も見ないようにしているんじゃないだろうか。

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