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AI・デジタル時代だからこそ人間が持つ「熟考力」を磨け|【WEDGE OPINION】

われわれに大きな便益をもたらしたAIやデジタルの進化で「人間の均一化」が進む可能性がある。「即応」を求められる今こそ「熟考」し、人間主導でテクノロジーと共生する未来を構築すべきだ。

文・栗原 聡(Satoshi Kurihara)
慶應義塾大学理工学部 教授
1965年生まれ。慶應義塾大学大学院理工学研究科修了、博士(工学)。NTT研究所、大阪大学、電気通信大学などを経て現職。2021年より、慶應義塾大学共生知能創発社会研究センターのセンター長を兼務。人工知能学会理事、学会誌編集長などを歴任。

 急速に進むデジタル化やAI技術の進歩を受け、2020年度から小学校でプログラミング教育が必修化された。

 今や、AI人材の育成は日本の最重要課題である。たしかにAIの研究開発において日本は米中に大きく引き離されている。加えてそれ以前に、デジタルトランスフォーメーション(DX)の分野でも先進国の中で後塵を拝している。こうした状況から、初等教育からのプログラミングや情報リテラシー教育は時代の要請とも言える。

 今回の必修化は、単にプログラミング言語を覚えたり、スキルを獲得することが目的ではなく、論理的思考力を育むことに主眼が置かれており、筆者もその趣旨自体に異論はない。

 問題は「理想」に対する「現実」である。実際に、そして現実に、「プログラミング教育がどの教育現場でも等しく実施できているのか?」との疑問が浮かぶからだ。

 なぜそう感じるのか。まず、実際に学校では「プログラミング」という教科が新設されるのではなく、算数や理科などの科目内でプログラミング的思考を身に付ける工夫をする、という考え方に基づき教育が実施されている。しかし、そもそも、プログラミングの専門家でない算数や理科を教える教員がどのようにしてプログラミング教育を科目に組み込むのか。

 たしかに、文部科学省は教育の手引や具体的な事例も公表している。だが、コロナ禍の休校などにより授業の年間必要時間数が不足し、プログラミング教育にあてる時間を確保できていないことやどのように教えるかは各教員に委ねられているとの声も聞く。つまり、学校や教員によって相当なバラツキが発生しており、この状況では結果的にプログラミングスキルを教えること自体が目的化してしまう恐れがある。

 したがって、本来であれば「プログラミング」という科目を新設し、専門性を有する教員を配置する方が望ましいはずだ。その方が均質なカリキュラムを組むことが容易となり、目的の達成にも資するであろう。

 教育の分野では往々にして目的と手段が入れ替わることがある。だが、手段であるはずのプログラミングスキルの向上を目的化してはならない。なぜなら、それにより、ただ単に与えられた問題を解くことと同じく、プログラミングスキルのみを身に付ける訓練になりかねないからだ。それでは、「人間のシステム化」が加速してしまう。

プログラミングスキルのみを身に付けるような教育では、「人間のシステム化」が加速しかねない (RECEP BG/GETTYIMAGES)

急激に進化するAI・デジタル
「人間ならでは」の強みとは?

 そもそも人間の思考は大きく二つの思考方法(システム)で構成されている。一つは外界から五感への入力に対して無意識的・定型的に反応する脊髄反射のような「即応的な思考」である。近年、SNS環境の飛躍的な普及により、他者の発信を見て瞬間的に拡散してしまうことや、分からないことをすぐに検索して答えを探してしまうことが増えている。その結果、しっかりと考えることなく反射的に判断したり行動したりすることが急激に増え、社会全体で「即応・即答が是」という空気が広がっている。

 もう一つの思考は、……

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