中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読み終える
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中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読む。
三日間かけて最後のページまで読み終わる。
というわけで、これから二回目を読み始めよう。
前の記事にも書いた通り、わたしは中沢新一氏の著作のファンで、これまでもいろいろな著書を拝読してきたが、この『精神の考古学』も鮮烈な印象を残す一冊でありました。
最後のページから、本を閉じた後も、いろいろとめくるめく言葉たちが伸縮する様が浮かんでは消えていく。
この『精神の考古学』の読書感想文だけで100万字くらい書けそうな気がするが(1万字の記事を100本書けばよいのだから、難しい話ではない)、とりあえず少し落ち着こう。ゆっくり、ことばが降って積もるのをまってから、特に、中沢氏が書かれた「如来蔵思想」、そして分別と無分別”の”分別と無分別、といったあたりについてじっくり精読してみたいと思う。
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今回は、ひとつだけ。
印象が消えてしまう前にメモしておこう。
光をみる
まったく個人的なことだが『精神の考古学』を読んで、特に心に響いたのは、この本が、わたしの、これを書いているわたしの、幼い頃に得た体験、どうやらとても珍しい体験をありありと思い出させてくれたことである。
例えば次の一節を引用して置こう。
詳しいことは実際に読んでいただきたいのだが、「光の粒子」「金剛連鎖体」「光点」といった言葉に注目しておこう。
わたしは、たぶん、こういうのをみたことがあるのだと思う。
どういうことか、なんとなく書きにくいことであるが、がんばって書いてみよう。もし中沢氏の『精神の考古学』をお手元にお持ちの方は、先に同書の第八部「暗黒の部屋」を読んでから、後からこの記事を読んでいただくとよいかもしれない。まったくネタバレではないのだけれど、読みようによってはネタバレだとおもうひともいるかもしれないからね。
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五歳か六歳くらいのころである。
わたしはとても病気がちで、特に発熱と頭痛がひどく、起きて立ち歩いている時は、たいがいあまり気分が良いものではなく、幼稚園などはたしか半分くらいしか通えなかった。これは五、六歳になってから急に体に不調を来したのではなく、生まれながらである。
ある日の夜、時間帯は、19時から21時ごろだと思う。
いつものように発熱し、頭痛で動くことができなくなっていたわたしは、家族のあいだで「きたがわのへや(北側の部屋)」と呼ばれていた部屋にふとんを敷いてもらい、そこにひとりで横になっていた。
ちなみに、その部屋にひとりでいるのは、決して粗略に扱われているからではない。
実家はよくあるタイプのマンションで、南北にそれぞれ開口部がある作りであり、北側の部屋というものまさに純粋に方角のことを言っているだけで、何かおどろおどろしい意味があるわけではない。
その部屋はもともと父親の書斎だったのだけれども、仕事が忙しく毎晩遅くに帰ってくる父親があまり利用しないうちに、いつしか半分物置のような扱いになっており、人間の気配よりもモノの気配の方が強めの空間だった。部屋には押し入れがあり、その中には父のギターとか、海外出張用のスーツケースだとか、工具箱などがあり、マンションの湿気のせいでいつもしめっぽく、カビ臭い感じを加えられつつも独特の香りをただよわせていた。ほのかに金属イオンのような尖った感じがする重い香気が、部屋の床の方に流れて溜まっている。この感じはけっこう好きであった。
部屋には壁一面に本棚があり、こちらも湿度のせいで、本たちの上にうっすら積もったホコリにカビの生えた匂いがあり、その本たちのすきまに、素焼きのハニワだとか、エッフェル塔の置物だとか、ピサの斜塔が生えた灰皿だとか、70年代のBASICでソースコードを書くコンピュータの記憶媒体として使われていた小型のカセットテープが丁寧に並べられた箱だとか、目玉が二つついているように見える鉛筆削り機などが並べられている。
そして、ついぞ、その発生源を突き止めることができなかったのだけれども、部屋のどこかに時計が置かれており、その秒針が動く音がガチャリ、ガチャリ、と聞こえている。
いや、おそらくふつうに小さな時計で、カチカチという、強いて意識しなければ聞こえないような音だったのであろうが、心臓の鼓動に合わせて頭の中の血管の太さが変わるたびに神経が圧迫されることによって生じているこの頭痛の中では、小さな音が感覚的に増幅されて、アタマ全体に響き渡る大音声に聞こえていたのである。
と、客観的に報告しているとつい忘れがちになるが、これすべて、頭が割れるように痛みながら、しかも高熱で息苦しい中での印象である。
呼吸するだけで、いや、心臓が鼓動するだけで、アタマが割れるようになるのであるからして、すやすやぐうぐう寝ている場合ではない。
というか、眠れない。
しかし、それゆえの明晰さというものがあるのだ。
暗箱
そしてわたしはいつも、この部屋を真っ暗にしてもらっていた。
ふだんはこどもなので、両親、兄弟と一緒の部屋で寝ているのだけれども、こういうときはひとりになるに限る。
なぜならこの状態になると、ありとあらゆる光と音がダメになるのである。
目に入る光の刺激で、神経だか血管だかわからないが、いろいろ刺激を受けて頭痛が脈動する。
耳に入る音の刺激で、これまた神経がどうかなり、血管がどうにかなり、頭痛に別のリズムが加わる。
そういうわけで、家族たちが立てる音や、生活の光をできる限り遮断するために、この「きたがわのへや」に入るのである。当然、照明など点灯しない。電球など燈しては、アタマが痛くなるだけである。
* * *
と、このように書くとなにやらとても悲惨な目に遭っているように読めるかもしれないが、本人は気楽なもので「こういうものだ」と思いながらじっとしていた。ただ下手に動くと痛むというだけで、嫌だとか、疎ましいとか、怖いとか、離れたいとか、捨て去りたいとか、そういう感情はまったくなかった。とても落ち着いて、穏やかに眺めているというか、味わっていた。
真っ暗になると、昼間には「見えて」いた、ハニワやピサの斜塔型灰皿やなにかの本の表紙に印刷された古代中国の青銅器の写真そのものは見えなくなる訳であるが、見えなくてもありありと「そこにーある」強烈な気配を発してそこに存在している。見えないが故の存在感。
わたしは五歳ながらに「見えないものこそ、存在する」「眼識によって分別するということは、むしろ見えなくするということである」というようなことを考えていた。
・・子どもは真っ暗闇を怖がる。
というが、少なくともわたしはまったく怖がらなかった。
いや、怖いとか怖くないとか、言っている場合ではなかったということか。
いずれにしてもこの湿ってカビ臭い暗闇には親しみがある。
この気配を、これを例えば「死」などと安易に分節して、怖がったり、「わかった」気になったりしては値打ちが半減である。
ハニワのぽかんとあいた二つの目の穴(目玉がない)の向こうに深く広がる真っ暗闇が、部屋そのものの真っ暗闇に隠れながら、こちらをじっと見据えている。こっちも真っ暗の中に隠れている体だから、ハニワの「見る」は、これもまた真っ暗で見えないわたしを見ている。
当時のわたし(五歳)は、これを言葉で表現することなどほとんどできなかったが、いまならばこれを「見る者と、見られる者、主体と客体、光と闇、そうしうた経験的な二項対立の境界が自明なものではなくなりつつも、いまだはっきりと分かれつつ、それでいて相即渉入している状態が、なんとも不思議で、心地よかった」といえる。もちろん、言わなくてもいい。いや、言わないほうがいいかもしれない、と思った。
真っ暗にして、息を潜めて、なるべく心臓BPMが増えないようにじっとしていると、ようやく、少し、やれやれと落ち着く。いやもちろん、当時はApple Watchをつけているわけでもなく、BPMなどという言葉すら知らないわけだが、体感的によく知っているのである。
心臓の鼓動を速めるようなからだの動きをしなければ、頭痛の脈動の最大値がぽーんと振り切れてびっくりすることに、怯えなくて済む。
+ +
滑り台
そしてここから本題である。
この暗闇安住モードで熱が上がると、寝ているのか起きているのか、自分でもよくわからない状態にはいる。
この感じ、”なんとも言えない””よくわからない””ことばでいいあらわしようがない”という経験ををありありと感じ、不思議だなあ、とつねづね思っているがゆえに、空海が『吽字義』などで「不可得、不可得」と書いているところがおもしろくて仕方がないのである。
不可得
あれは、そうとしか言いようがない、というのがよくわかる。
ー ー ー
さて、この状態で、いつも、きまって、ある同じ夢をみるのである。
いや、もしかすると睡眠状態ではなく、特殊な覚醒状態だったのかもしれない。そうなると「夢」ではなく「幻覚」と言ったほうが良いのかもしれないが、どちらでもいい。
その夢というか幻覚というか、まとめて夢幻とでも言おうか。これが毎回毎回、判で押したように同じパターンで展開する。
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わたしは、平面に寝かされている(実際に寝ている)。
その平面が、突然斜め傾き始める。
それまで水平な平面のうえに寝ていたものが、突然、床が斜めになる感じである。
子どものわたしはこれを「すべりだい」だと思っていた。
ちなみに、実家のマンションには、床を斜めにするような特殊な機構はついていない。
つまりこの、斜めになった面を滑り降りる感覚というのは、完全に幻覚なのである。
幻覚というと視覚に関する話だと思われてしまうかもしれないがこれは全身の感覚である。本当に滑り落ちている感じがするのである。
ジェットコースターというか、滑り台というか、つかまるところもないので、ただただ、ものすごいスピードで滑り落ちていく。「このまま落っこちて、どこかにぶつかったら、骨が折れて痛いだろうな、場合によっては死ぬだろうな」というような恐怖を感じるべきところである。
ただし、わたしはここを何度も滑っているので、落ちても特に危なくないというか、この先があることを知っている。
なので「おおお、すべってるわあ」と特に感動することもなく思う。ちなみに、ここで下手に興奮すると、頭痛が戻ってしまい、この夢幻は吹き飛んでしまう。
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そして気がつくと、わたしは、真っ暗闇の空間の中に静止している。
この静止、立っているのか、浮かんでいるのか、よく分からないのだが、おそらく起立している。しかしもちろん、床とか、地面は、ない。
この空間は、言葉では表現できないのであるが、真っ暗なんだけれども、光の強度に満ちている、という感じがする。あるいは可視光波長に落とされていない振動状態とでも言おうか、いずれにしても、闇にして光、黒にして白、と言わざるを得ないような場である。わたしは、その「中」に「包まれ」て、周囲を見ている=感じている、ということをはっきりと自覚している。
そしてその闇にして光の空間に、直線のグリッド構造が出現していることに気づく。この「線」も、何色かと聞かれると答えようがないのであるが、白っぽいような、黄色っぽいような、青いような、黒いような、要するに周囲の「闇」に対してその「線」の部分だけ何かが違うという感じである。人間は、差異を感覚するのだ。
このグリッド構造は、非常に美しく、まったく曲がっていない直線をいくつも直交させて、組まれている。
わたしは「そこ」で見上げたり、後ろを向いたり、下を見たり、四方八方にこの構造が広がっていることを眺めながら「うんうん、美しいよね」と思っている。五歳だが。
*
それから10年以上経っていろいろ勉強しているうちに、「阿頼耶識」と理念的に呼びうることの経験的な姿は、このグリッドなんじゃないか、と思うようになった。いや、なにか違うような気もするが・・。この線たちの構造は、ただ単に「分ける」ということだけがあり、「分け”られた”ーもの」たちは消えている。床が斜めになって滑り落ちた時点で感覚的なものたちは消えている。真妄和合識である阿頼耶識から「妄」の表面をざらざらと流して落としてしまうと、このグリッド構造が見える。
いずれにしても「これは、あれだ」などと分別できるのは通常の意識が戻っているから、ハニワの目の奥の闇にまなざされていると感じずに、ハニワそのものの輪郭を対象として見えてしまっている状態での話であるからして、わかるようなわからないような、なんともいえない、という感じのままにしておいたほうが良さそうである。
*
さて、ここで、この「美しいよね」は、”誰か”に向かって言っている、という感じがする。
この”誰か”の姿は、ここではまだ全く見えず、その闇のグリッド構造の「向こう」に潜在しているような感じだが、その”誰か”の気配ははっきりとある。しかもそれは、恐ろしい感じを与えるものではまったくなくて、非常に親しみのある、わたし自身とほとんど異なることがないような、それでいてわたしのこのからだよりもはるかに頼りになるなにか、という感じがする存在である。
ちなみに、この存在については別途機会があれば書いてみるが、その存在は、幽霊だとかお化けだとか、そういう二項対立の一方の極として分節されるような「項」ではまったくない。
むしろ別の記事で使っている用語で言えば「β脈動」の中であらわれたりきえたりするβ項である。「あらわれている」場合があるために、その現れた姿を「すべて」「正体」「それそのもの」と分別したくなるのであるが、それは妄念、かんちがいである。「ふーん、そういう現れ方もあるのか」くらいに眺めているのがちょうどいい。
+ +
底が抜ける
このグリッド構造を眺めていると、不意に、ガラガラと、この端正な直線がいくつもいくつもどこまでもまっすぐ走っていく安定構造が、崩壊していく。
さっきは滑り台から落ちていく感じだが、今度は床が抜けるような、天井が落ちてくるような・・・ちなみに、床が抜けるのと、天井が崩壊するのが同時であれば、そして床が永遠に「地面」のようなものに着地することがないのであるから、どこまで崩れて行っても、天井と床の隙間の空間は維持されるので、安心して欲しい。
+ + +
で、この崩壊が終わると、また相が大転換する。
ひきつづき、真っ暗なんだけれども、今度はその真っ暗な中に、キラキラと黄金色に輝く無数の光の粒のようなものが「流れ」になって流れていく様子が見える。
この光の粒の流れは真っ暗な”空間”の全体を満たしているのであり、つまりそれを「みて」いる「わたし」は、光の粒に巻き込まれ飲み込まれているような感じになるので、とても眩しいはずなのだけれども、しかしそれはあくまでも目に見える光ではなく、闇。
この流れは、重力に従っているような、いないような、という感じて、いちおう、川の流れのように、マクロ的には方向性をもちつつ、無数の渦が渦巻いたり、流れの速いところと遅いところの差があったりする。
しかし同じ光の流れがはるか上空の方にも展開しているので、一般的な、重力に従って地表を流れる川のイメージで考えられてしまうとまちがっている。
これを後に本で勉強した言葉で名指すとすれば「法界?」という気もするが、よくわからない、と言っておく。
*
で、これに巻き込まれつつこれを見ているわたしはどうなっているかというと、ちょっとこまったな、気まずいな、という気分で、所在なく、体育座りをしているような感じがする。ここにくると阿頼耶識が破れており肉体的な輪郭も完全にわからなくなっているので、多脚を抱えて座ってなど”いない”のだが、強いて言えば、ちょこんと丸くなっている。五歳ですよ、五歳。
そして、光の粒の激流の中に、同じ光の粒なんだけれどもすこし黒く固まっている巨石のような?ものがゴロゴロしていて、そのうちのひとつに寄りかかるように座って?、さーて、どうしようかなあ、という感じになる。
光の粒の激流からは、ちょうど人間の大人のサイズ感くらいの塊が、もわっと、立ち上がり、そのまま人間が歩くくらいの速さで移動していく。そういう連中がいくつもいくつも見える。今のわたしならこれを「如来」と呼ぶのであるが(菩薩ではなく、如来である)、五歳の頃は訳が分からず、「ああ、いるなあ」くらいのものである。この「いる」連中、いや皆様に、”岩”の横で丸くなっているわたしの姿を見られるのは恥ずかしいというか、気まずいなあ、もうちょっと隠れていようかなあ、という感じもするので、飛び出して行って、挨拶をしたりはしない。
+ + +
手を引かれる
この状態で時間がどれくらい経ったことか。
いや、実際に「きたがわのへや」で寝ているというかうなされているか、あるいは通常の意識を失っているのかよくわからないが、転がっている五歳の子どものわたしの近くで時計が刻んでいる時間でいえば、本の数分、あるいはほんの数秒以下の出来事なのかもしれない。
しかし、光の粒の流れの中でかくれんぼをしているわたしには、その時間は果てしなく長く感じられる。
+
その時、いつも決まって、「さあ、もう帰らな。一緒に行こう」という感じで、楽しそうに迎えに来てくれる存在が登場する。さきほど阿頼耶識を「美しいよね」と一緒に眺めていた存在である。ここではこの存在も光の粒の流れと異ならないので、他と区別できるような姿を現してはいないが、しかしある、いや、いる。この存在については、言葉で表現することが難しいというか不可能であるが、輪郭や、姿はないが、しかし、はっきりとわたしにわかる言葉で、声で、五歳のわたしと会話して、あちらへ、こちらへ、と言ってくれる。
のちに”レンマの論理”などを勉強して「ないのにある、あるのにない」といったような言葉を知って、すぐに「ああ、あれね」とすんなり飲み込めたのは、この存在のことを想起できるからなのだろうと思う。
・・・
わたしは「せっかく来たし、ここまでくるのはたいへんだったのだから、もうちょっと眺めていたいなあ。動くと痛いし。」などといって動きたがらないのであるが、そのお迎えは、こちらの意見など聞かず、手を握って、ひっぱって、わたしを連れていく。この時点でもう手が生えているのである。
こちらにも、あちらにも、手がある。
とても優しい、親しみのある手である。
それは大人の手ではない。子どもの手である。
強いて言えば、それは「わたし自身の、自分の手」である。
しかしそれは、わたしを、向こうから、引っ張る。
わたしの手ではないが、わたしの手である。
暗闇で「手」に掴まれるとか書くと、往年のアダムス・ファミリーみたいでこわいと思われる方もいるかもしれないが、わたしが言いたいのは千手観音のようなイメージである。
当時五歳のわたしは、日常生活においては、他の人、特に他の子の言うことなど聞きたいとも思わない子どものコトバが大嫌いな子どもであったが(ちなみに今はちがいますよ、念の為)、この手に引かれていくのは嬉しかった。
もうなんどもなんども、ずっとずっと、いつもいつも、この手につながれて、この手に引っ張ってもらって、あちらにいったり、こちらに行ったり、しているという安心感があった。この手に引かれていくところであれば、どこへ行っても大丈夫、という絶対的な安心感。
わたしは帰り道は全く分からないが、しかし、この手に引かれていれば、どこへでも自在に行けるだろう、という絶対的な信頼。
*
*
*
そうしてわたしは、また背中に布団を感じる。
いや、布団に接触した背中を感じる。
鼻の奥から喉に広がる湿ったかびっぽい匂いと、
本棚とハニワくんの見えない眼差しの圧迫感と、そして時計の音。
そして、頭痛!!
ああ、またここでこれか、という感じになる。
嫌悪する感じはない。痛くなったらいやだなあ、くらいである。
なるべく動かないでおこう。
周囲を確かめると、ドアの隙間から、四角く光が漏れてきている。
グリッド構造が、扉で塞がれたゲートになっているわ、と、当時は五歳だからそういう言葉ではなかったとおもうが、そういうことを考える。
その扉の向こうで、家族の誰かが歩いている音や、誰かがお風呂に入ってからーん、からーんとものを落としているような音が聞こえる。
ー ー ー
おわりに
という、夢とも現(うつつ)ともつかない、不思議な夢を、高熱と頭痛で真っ暗な部屋に閉じこもっていると、いつもいつも、みることができた。
子どものわたしは、だれでもみんな、こういうのを見ているのだと思っていたのだが、どうやら誰もが見ているものでもないらしい。
もし、「ああ、あれね、私もみたことがあるよ」という方がいらっしゃいましたら、コメント欄にご一報ください。
あれは、いったい何なのだろう?
いや、あれではなく「これ」だ。
遠くに切り離されてはいない、きわめて身近に、いつもここにある「これ」。
これはいったい、何なのだろう。
自分以外にも、だれかなからず、これを見ているひとがいるはずだ、と思うものの、周りの子どもも大人も、ほとんど話が噛み合わないので、いつしかわたしは「本」の世界に、だれかが「これ」を書き記しているのではないか、と探し求めるようになった。
+ +
中沢新一氏の『精神の考古学』の第八章「暗黒の部屋」に納められたコトバたちから、わたしは、この自分の親しい夢?のことをあらためて想起した。
病気の子どもがうなされてみた幻覚と、伝統ある精密な手順を踏んで行われた瑜伽において経験されたことを、おいそれと「同じだ」などというつもりはない。ちがうものだ、とまずは言っておこう。
とはいえ「この」経験の「意味」をどのような言葉で明晰に分節できるのか、ということが、わたしにとってはその後の人生上の大問題になった。
ただ「みえた」というだけですばらしいことなのだろうけれども、わたしのような興味津々の凡夫からすると、「これはあれだ」と言ってみたくて仕方がないのである。そういうわけで、なんとか「これ」を表現する言葉はないものかと、わざわざ人生を大急ぎで理系の学校に入り込んでは、電磁気学や、量子論、アインシュタインに、シュレディンガー方程式などを学んでみたり、ユングやフロイト、そして哲学の本をちょっと経由しては、レヴィ=ストロース氏の神話論理を読んでみたり、はたまた弘法大師空海の書かれたものを読んでみたり、と、あちこち探してきた。
そしてこれまでも稀に「これかも」ということが書かれている本には出会ってきた。それにしてもこの『精神の考古学』その第八章と、そこで見えることについての哲学、それについて語る如来蔵思想の慈悲に溢れた中沢氏の言葉。そこには「もしかして、いや、ほぼこれだろう」という思いを強くすることしきりである。
二辺を離れる
二元的思考、二項対立の両極のどちらか一方を選ぼうとすることから離れて、二極への分節と無分節が分節されるでもなくされないでもないβ脈動のあわいへともどっていく。
ちなみに中沢氏はこの本でとても大切なことを繰り返し書かれている。
このような光の流れる渦をただ「見た」というだけではどうにもならない。
見るということに加えて、「分別」する心を止めることが重要である。
すなわち二つに分けて片方だけを選び続けようとする言語的思考を止めて、この分別が分節されてくる「あわい」へと降りていかないといけない。
そうしないと、この光の渦そのものを、真実(真実と偽りの二項対立の一方の極としての)だと思いこんで、それを過度に欲望し、それに執着したり、この光の渦の姿をしていない経験的で感覚的な世界を嘘偽りだと罵ったり、あるいはこの光の渦を、「好き/嫌い」とか、「神/悪魔」とか、「本体/仮」とか、あきもせずあれこれと湧いてくる言語的な二項対立のどちら一方に収めて満足してしまうという具合に、この”光”を執着する心の”対象”として象徴化してしまうという残念なことになってしまう。
前回の記事にも引用した一節を、あらためて引いて置こう。
分節心そのものである表層の言語のモードを組み換えて、分別心が分節されつつある振動が”振動できる余白”のようなフィールドを開く。そのフィールドの存在をありありと感覚し、それが現にこれほどはっきりと”ある”のだと確信する上で、この「光」を「みる」ことが、極めて強力な「方便」になる。
あのカビっぽい部屋の暗闇には、もう二度と戻ることはできない。
なぜなら、あの家はもうないし、わたしはもう五歳ではない。
しかし、あの暗闇はいまでも、いつでも、ずっと身近にある。
身近と言うか、いまここが、まさにあの暗闇そのものであることは疑い得ない。そういうわけであの部屋は「ある」、いや、「ないではない」。
二度と戻ることはできないが、そこにずっといる。
ここがそこである。
こういうのを言葉だけで読んだり書いたりしても、ちょっと中途半端に捻って書いてるのかな、というくらいの話に読めてしまうかもしれないが、しかしあの暗闇の光を見ている者にとっては、「二度と戻ることはできないが、そこにずっといる」は極めて具体的で、質感に満ち溢れた感覚的な手触りのある実感そのものなのである。
+
こういう体験ができるからこそ、読書はおもしろいのである。
・・・
そしてしばらく後、たまたま手に取った岩田慶治氏監修の『アジアのコスモス+マンダラ』という本の表紙をみて、おもわずハッとした。
この図はまるで、こどもの時分の謎の旅路の全体像を、まるごと表現しているようである。上の方のかっちりと分別が効いたところから、滑り落ちて、グリッド状の「線」だけの世界を通り抜けて、さらに下の、暗黒でありながら光が溢れるような「波」のなかに落ちる。
ちなみに、この図で言えば、下の方の波のところは無限地獄で、そこに人間が暮らしているような世界(洲)が浮かんでおり、その上へ、上へ、仏の世界が発生していくようになっている。
私の経験では、上の方は重たい現世で、下の方が仏的な感じであるが、この図では上下逆になっている。これはどうしたことかというと、私が地獄の住人だということではなく、おそらく理趣経が描く世界、現世のあれこれの重たい物体的な世界が、そのまま仏の世界と異なることがない(平等)なのであり、要するに、上でも下でも、どちらでもよい、ということである。
上/下もまた分別であり、このような二辺をともに捨て去らなければならないのであるからして。
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