わたしゅん

大学生です 思ったことをつらつらと書き残していきます

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最近の記事

ポッドキャストをやってみたい(願望)

皆さんはラジオを聴く人だろうか。私は聴く人である。時に「○○をしないなんて人生損しているよ」という文言を用いる、いわば”害悪”に近いファン層がいるが、ラジオに関して言えば私はその害悪ファンに該当してしまう。ラジオはテレビよりもより身近によりディープに生活に関わってくる。発される情報もよりディープで時にダークである。そんな沼に私は引きずり込まれて出られないのだ。 そんなラジオ好きの私に最近ある願望が出てきた。それは、「自分も発信者になってみたい」というものだ。そのきっかけとな

    • 私が”やってみた”こと

      私が”やってみた”こと。それはズバリ「noteで文章を投稿したこと」である。なので今が”やってみた”の最中なのだ。 大学生にになった年の夏ごろ、私は何かクリエイティブなことをしたいという衝動にかられた。その衝動のきっかけとなったのは「サマーフィルムにのって」という映画を観たからだ。映画の概要をざっくり言うと、女子高生が歴史映画を撮るというものである。この映画を映画館で観たときに私は震えた。人生で初めて映画で震えたのだ。そして「なにか造りたい!」という衝動にかられたのだ。まあ

      • 浮き沈み

        今私は心の状態が比較的良い もちろん1日中良いわけではないが、以前に比べるとだいぶマシだ 相変わらず生活リズムは安定しないが、それでも心がマシなら生活もマシになる しかし、私はあることに気づいた そしてこれは私にとってそこそこの問題である 問題 その問題とは”文章を書く頻度が減った”ということである 私は文章が書くということが好きだ これは以前も話したことであると思う その娯楽が今減っているのだ いや、減ってしまったのだ 私は先週あたりから少し長い文章を書いている 正確に

        • 文章を書くということ

          私の人生が上手くいっていたならば文章を書かなかったのか 私の心が弱くなかったら文章を書かなかったのか 悩みなどなかったら、”気にしい”ではなければ文章を書かなかったのか まあ、たらればなどとてもつまらないものではあるが しかし、たまに考えてしまうのだ 悩みのない人生に ただ、そんなもの楽しいのか? 悩みがない=幸せだとは限らない 悩みがあるということは悩めるほどのイベントがあるということ という風にポジティブに考えてみたものの、実際に悩みが多いことは辛い 気持ちが浮き沈むこと

        ポッドキャストをやってみたい(願望)

          何がしたい

          私は何がしたい わからない この行為に意味はあるのか 私のためになっているのか 「疲れている」 この一言で済ませてよいのか わからない だが諦めるな 必ず生きろ それだけを胸に抱きながら生きる

          何がしたい

          気分

          最近、授業を受ける気分ではないことが多い。 恐らく今週はそういう気分なのであろう。 本当は良くないのだろう。 だが、これは私にとって重要なことで必要なのだ。 私が受ける授業は5回までしか欠席が許されない。 逆に言えば5回までは自由に休むことができるのだ。 私はこの欠席の権利を有効に使いたい。 もちろん真面目に皆勤するのも素晴らしい。 だが、私の性には合わないのである。 少し息が苦しくなる中で、息継ぎが欲しい人間なのだ。 正当化しているようだが別に誇れるようなことではない。

          自分にないもの

          夕方バイトに向かう途中に中学校のグラウンドを通った 放課後に部活動で使われていて、声が飛び交っていた ランニングをしていたり野球部がノック練をしたりしていた また、帰り際の生徒がグラウンドの生徒と柵越しに会話をしていた 青春の香りがした そのあとに道端で話すおばあさんを見かけた 片方のおばあさんが日傘を分けてあげていた 二人で笑いあっていた やさしさの香りがした バイトの帰り道に犬の散歩をする親子を見かけた 犬の散歩ついでに自販機で飲み物を買っていた 薄暗い自販機の明かり

          自分にないもの

          青春はもうこない

          青春と言われて思い浮かべるのはやはり高校生活である。 その青春から卒業して約2年という月日がたつが、私にはまだ春は来ない。 まあ別に恋愛だけが青春ではない。 これは決して強がりではない。 そう決して。 悲しい現実はいったんスルーするとして、恋愛だけが青春でないのは事実だと考えている。 例えば、休み時間に教室の後ろで友達とふざけあったり、水泳の授業の後に風にさらされながら眠ってしまったり。 恋愛を絡めると、隣のクラスの女の子に一目惚れをしたり、意識をしていなかったのに不意の仕

          青春はもうこない

          下心

          これから書くことはあくまで私見である。 また、筆者は男性である。 私はTwitterで”オタ垢”を持っている。 この界隈では週に1度ハッシュタグを用いて、同じコンテンツを好きなもの同士で繋がるというものがある。 これは盛んに行われ、年齢・性別関係なく多くの人が参加する。このタグと呼ばれるものは女性のほうが”いいね”や”リツイート”が多くつくように思われる。 そもそもこの界隈は男女比が7:3位である。 ネット上でつながりを求めるオタクたちにとって女性オタクは少ない存在であり

          ひとりぼっち

          「ひとりぼっち」 この言葉をずっとネガティブな意味でとらえていた。 友達がいることやグループに所属していることが正しいと思いこんでいた。 なんなら休み時間になってもひとりでいる同級生がいたなら心の中で不思議に感じていた。 だって友達といたほうが楽しいと思っていたから。 時は経ち現在は大学生。 誤解の無いように書くと別に大学生になった今友達がいないわけではない。 だが、圧倒的にひとりのなることを選択することが増えた。 それは課題をするためだとか理由はまちまちである。 また、友

          ひとりぼっち

          部活と少人数

          私は部活が好きだ。 これは今まで何度も言ってきたことだ。 しかし、これがここ最近揺らいできている気がする。 もちろんこのような気持ちがいつまでもあるとは自分のことなのでなんとなくわかってはいたが、少し早いのではないかとも思う。 さらに、この問題の原因は何となくわかっている。 それは「後輩ができた」「同期が増えた」ということである。 「後輩が増えた」ということ自体はべつによいのだ。 問題はそれによって日々翻弄し、私が疲弊しているということである。 現在体験入部の期間であるが私

          部活と少人数

          権力者と性

          最近著名な映画監督やベテラン俳優による性暴力についての記事が多く出ている。 数年前にハリウッドでも問題になっており、恐らくまだまだ告発されていないだけで問題は多いのだろう。 同性として非常に憤りを感じるし、このような性暴力は性別関係なく非常に問題視しなければならないものである。 法律的にも日本はもっと性暴力に対して重い制裁をするべきだと考える。 このようなニュースを見るたびに憤りと共に「ダサくね?」と考えてしまう。 一人の男として”権力を使って一方的に”自分の性欲を発散する

          権力者と性

          嫌われる煙

          いつから煙草は世間の敵になったのだろう。 たばこ税は高くなっていき、煙草はどんどん高級な嗜好品になってきている。 個人的には煙草の匂いは好きだ。 というか、煙草は「かっこいい大人が吸っているもの」という認識がある。 マッツ・ミケルセンが煙草を吸っている姿なんて色気の塊である。 だからと言って、分煙やTPOを守れない喫煙者は嫌いだ。 自分でコミュニティの首を絞めるようなことはしてはならないし非常におろかである。 私は最近気づいた。 「信頼できる人もとい好きな人」の煙草の匂いだ

          嫌われる煙

          帰り道

          髪の毛に染み付いた煙草の匂いを感じながら、寝静まった街を自転車で駆け抜ける。 今日はいつもよりも遠回りをしたい日だった。 いつもなら苛つく赤信号も少し粋に感じる。 大切な人たちと話した内容を何度も咀嚼しながらじわじわと目的地に迫る。 ふと桜の香りが鼻を優しく刺激した。 春の香り、季節を感じられる香り。 気づけば先ほど我慢していた涙が頬を伝っていた。 約1年前には心を病んで一人静かに流した涙。 けれど今日は人の温かさから流れた涙。 この期間で私には大切な人たちができたのだ。

          やってる感

          私は”やってる感”が得意だ。 いや、得意というかどうしてもこうなってしまう。 例えば、今みたいに文章を書いているときも少し難しい言い回しをしてみたり、背伸びをした文章を書く。 だが、いざ内容を読んでみると意外と浅い。 他にも、1つの事象について考えるときも同様に7割くらいしか理解していないのにそれっぽく答えるときがある。 こういうことが癖づいているのだ。 今までは、これはまずいことだと考えていた。 浅い人間と捉えられるのが怖かった。 こういう点からもわかる通り私は”見栄っ張

          やってる感

          イベントごとには雨がよく降る

          私は入学式や卒業式など重要なイベントで雨がよく降る人生だ。 中学生になったころ、傘を差しながらまだ自分の体には少し大きい制服を身にまとい登校したことをよく覚えている。 そしてそれは、制服が少し小さくなった頃も同じであった。 桜は雨で散り、たいていの入学式で見られなかったことを覚えている。 ”空が私たちのために泣いてくれている”というような、詩的な感想が私の中で生まれることは無く、”うざい”という感情がわいてしまう。 文学的な考えを持つ人間でないことを残念に思う。 実にネガティ

          イベントごとには雨がよく降る