ヨシ子ママ日記。イヤイヤ期からの救いの書:『×育児→◯仲間になる』と変換した日から、私と娘の間にあったストレスという違和感は助け合いという調和に変わった

我が子を授かったその日から、母親として我が子にすべきことがあるのだ。きっと正しい育て方がどこかにあるのだ。と、インターネットで調べ、ママ友に相談をし、実母にもヒントが隠れているはずだ!と、育児の正解を探す終わりのない旅に出ることを決めてしまった私。

それが『無理な努力の連続』であり、ストレスの根源になるものだとは考えもせず。。。ただただ、母親は母親として赤ちゃんには奉仕しなくてはいけない存在であり、多少の我慢は当たり前だ。トイレに行けない、ご飯をまともに食べる時間がない、眠れない、着たい服が着れない、やりたい髪型ができない、行きたい所に行けない、、、でもそれが正解!!?と、言い出せばきりがない数々の我慢リストを作り上げて、仕方がないストレスと思い込んでいた。

自分が産むと決めて産んだのだから責任をもってウンタラカンタラ~。。。と、しなければいけないリストを勝手に作り、できないと決め付けたリストに我慢をする日々。。

そしてついに迎えた2歳、かの有名なイヤイヤ期がやってきた。どうして我が子はこんなに思い通りにならないのか。という壁にぶち当たった。昔勤めていた幼稚園の園児達のほうがずっと管理しやすかった。どうして我が子だと、こうもうまくいかないのか。。。と。

そもそも、その『うまくいかせる』『管理する』『思い通りに動かす』と言う我が子をコントロールしようとする考えが失敗だったのだ。

イヤイヤ言う娘と過ごす日々に必至すぎて自分の心は後回し。そしてストレスを感じすぎて、ついに限界を迎えたのだ。そう、大きな声で怒鳴る。と言う行動に出始めた。私ったらスッカリ正気を失っている。と自覚したところで、やっと自分自身の心に目を向け始めた。

育児とは我が子を社会に適応させるべく、たくさんの禁止事項や約束事を教え込み、自己中心的行動を制御させて失敗させないように社会に馴染ませていくこと。そして、最大限の可能性を引き出すために、できるだけたくさんの体験や刺激を手当たり次第与えること。と思い込んでしまっていた自分に気付いた私は、それをことごとく破り倒してくれる娘『嫌なことからは逃げるがヨシ子(仮名)』以下ヨシ子、の数々の奇行のような『研究』にも気付くことになった。

ほんの一例を取り上げてみる。

それは砂場から始まったヨシ子の奇行。『砂を握っては後方に投げる』という行為にハマったヨシ子は、公園に行くと必ずその行為を繰り返す。砂場を越えてどこまでも。。。『手が痛くなるし、そこ砂場じゃないし、砂遊びは砂場でしなよー。ねぇ、おかしいよー。ねー、みんな砂場で砂遊びするんだよー。砂場のおもちゃあるのにー、全然使ってないしー、ママはスコップで遊ぼうかなー』『ねぇ、聞いてる?』(←子育てあるある:ねぇ、聞いてる?)と、その行為を止めようとしていた私。しかし、1枚ウワ手のヨシ子は私を無視して黙々と作業する。私から見れば奇行。しかしそれは今思えば研究だった。

一通り砂をまき散らす遊びで研究・実験を済ませたヨシ子は、ある日気付く。『ててが痛いぃ~。。(半泣)』(せやからゆーたやないかい)と内心思いながら、こうして理解していくものなのね。。と薄らと思った。

やってみないとわからないのね。

毎日が研究と反省の繰り返しってやつね。

そして失敗しながら能力を身につけていく。危機察知能力・観察力・思考力・他者貢献能力。。危険から身を守りつつ面白そうなことを試す繰り返しの日々。そこから誰かの役に立てる能力を身につけてゆき、自分の能力を使って人の役に立つことを喜びと感じる人間になってゆく。

そうすると、私は大きなお世話ばかりしていたのか。失敗させない口出しばかり。。

育児と思っていた行為のその半分くらいは大きなお世話だったのである。研究・実験の邪魔をして、勝手に結果を決め付けて口出ししては、勝手に手伝っていたということ。自分の我慢と引き替えに、我が子の邪魔をすることに時間をさいていたなんて、、、なんとまぁショッキングな事実。そして、ヨシ子とは親子関係ではあるが、仲間の一員として認め、その研究行為に迫る危険を知らせる仲間、知っているだけの予想される結果を伝える仲間ではあるが、行動を選択する自由は奪わない関係を保つ事を決めた。

もちろん、命を失うような行動は全力で阻止するが、たわいもない日々の娘の挑戦や研究については、娘の思いを聞き出し、手助けが必要と言えば助けるし、『大丈夫!』と断られれば、危険から守れる範囲で行動させることにした。

すると、結果(失敗)について慰める仲間と言う立ち位置となり、急に肩の荷がおりたような気がした。

共に生きる。

失敗や痛みについて、その悲しみに寄りそう仲間。そして、知っているだけの事と、できる限りの力でヨシ子をサポートする。ママって、それでいいんだ。

そう気付いたところからはもうなんにもストレスがなくなった。

正解なんてどこにもないのだから。

あるとすれば、ヨシ子が今何に興味をもっていて、何が面白くてその行動をしたいのか。何に困っていて、何が嫌で、その行動をしたくないのか。それを間違いなく聞き出して協力する。と言うことだけなのだから。

育児をやめて仲間スタイルを始めてからは、ヨシ子にも変化が現れた。『大丈夫?』と、私が困っている時は助けようとしてくれるのだ。今までは、自分にしか興味がなかったヨシ子が、母親という人間の困り事に気付き、自分の能力でできることがあれば手伝いたいという姿を見せるようになったのだ。つまり、母親とは『一番の研究対象』なのである。私がヨシ子にするように、ヨシ子は私や妹のチビ助に『できる事』で役立とうとしている。これは立派な『仕事』だと思う。自分の能力にぴったりの仕事を見つけて役に立つことを楽しんでいる。こうして社会的な態度を身につけていくのか。幼稚園教諭を9年勤めてきたけれど、やっと気が付いた『社会性・思いやり・優しさ・やる気』目に見えない意欲の育ちについて新しい景色が見えた。そんな遅咲き先生の子育て論でした。

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