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「書けない」事が多すぎた、二十歳の頃の自分に伝えたい話。

二十歳の私へ。

今日も元気にやさぐれていますか。それともヤンデレていますか。自分が世界一孤独な人間だと思っていますか。童貞にだけはちょっとモテる自分に己惚れて調子こいてるところですか。
この世の誰も経験したことがないほどの深い傷を負って、そこから這い上がってきたところだ。と思っているでしょうが、安心してください。そこから15年ぐらいの間に、それを遥かに上回るダメージが4回ぐらいは入ります。そして、アラフォーになるまでには綺麗さっぱりと元気になれます。

さて、今日伝えたい話はあなたの書く創作物についてです。
書けないことが多すぎて、行き詰まっているはずです。
正確には、「読みたいもの」と「書けるもの」のジャンルが完全に違っていて、途方に暮れた挙句にやる気をなくして、詩や散文にばかり逃げていますね。
それはそれで悪くないですが、アラフォーの私からいくつか伝えたいことがあります。

まず一つ目。インプットがそもそも足りていません。
自分の書けるものを書く、それ自体は何も書かないより良いと思います。
でも詩を書くなら他人の詩も少しは読んで、好きな詩人の一人も探しましょう。散文を書いているなら散文を、短編小説を書いているなら短編小説を、少しは読んでから本当に読みたくないのか、他人が書いたものは本当に参考にならないのか、決めましょう。世の中には文豪が多くいます。読みもしないで見下すのは若さの特権かもしれませんが、同時に愚かさの極みです。
「そんなの読みたくない、つまらないに決まっている」と思っているのは、教科書に載っていたものしか読んだことがないからです。食わず嫌いはあなたの悪い癖です。
ちなみにアラフォーの私も、特にそっち系のジャンルで好きな作家を見つけられているわけではありません。これから探します。たぶん。

そして、何が何でもファンタジー小説を書きたいなら、丸パクリでも二次創作でも良いので、書けないなりにとにかく書いてみてください。公開しなければ罪にはなりません。何度か書けば、何がどう書けないのかがハッキリします。
なお、かなり先の未来ですが「なろう系」というジャンルの出現で、「設定が思いつけない」という言い訳が出来なくなります。腹をくくって、自分の努力と才能の不足に向き合いましょう。

二つ目。他人をきちんと見ましょう。
なぜ自分がファンタジーに限らず、現代ものでも長編小説を書けないのか、理由には薄々気づいていますね?
そうです、主人公にしか血を通わせられないからです。
でもそれが何故か、どうすれば良いのか分からない。そのために諦めようとしていますね。

複数の登場人物に血を通わせて動かすためには、現実世界できちんと複数の人間と向き合う経験が必要です。あなたはそれを、殆ど経験していません。そんなことはないと思うでしょうが、事実です。
あなたはこれまで、多くのコミュニティに所属し、多くの仲間を得ました。でも、一人一人をきちんと見ていましたか。きちんと心を砕いてきましたか。
していませんね。あなたは昔からずっと「自分と、それ以外のみんな」という世界で生きてきています。
あなたの書く物語が、恋愛以外では常に「主人公と、それ以外のみんな」になってしまうのは、あなたの見ている世界がそのまま反映されているからです。あなたは自分の内側と、自分の恋する相手しか、見ていません。

あなたがどのコミュニティでもどこか「お客様」のポジションであると感じるのは、あなた自身がそういう立ち位置でしか参加していないからです。「みんな」ではなく一人一人の口調を、価値観を、好きなものを、嫌いなものを、得意不得意を、きちんと見ること。そして一人一人ときちんと向き合い、正しく個人として交流すること。そういう経験を積まない限り、あなたの世界は変わらず、あなたの書く世界も変わりません。
まずはあなたの、その他人に対して恐ろしく失礼な生き方を改めること。そして、あなた自身の生きる世界に血を通わせることが、必要です。

まぁここは、社会人になれば自然とある程度解決する事柄でもあります。
アラフォーになった私は「複数の登場人物に血を通わせる」こと自体は、今のあなたよりは多少出来るようになったと思います。ただ、それで実際に長編小説が書けるかどうかはまた別の問題です。永遠に書かないかもしれませんが、まぁまぁそれは棚に上げます。

そして、三つ目。これが一番重要な事です。
あなた自身の感情を、取り戻してください。
あなたの感情は、今の環境では大分マシに発現していますが、普通の人のように正しく機能しているとは到底言えない状態です。面白い・面白くない以外の喜怒哀楽をきちんと感じて、更に「楽しい」「嬉しい」「悲しい」などと、出来れば他人に向かって表現することを心がけてください。
感情が正しく動かない人間が、自分の描く登場人物に正しく感情表現させることは不可能です。登場人物たちに何をさせても、あなたをさらに薄くした、無機質な人形のようにしかならない理由は、そこにあります。

感情が動きにくくなっている、あるいは変な動き方をしている理由は、あなたのまだ気付いていない幼少期の育ち方にあります。出来ればそこに、なるべく早く気付くべきです。
もしも二十歳のあなたがそこに気付けて、すぐに対処を始められれば、創作の幅は恐らく簡単に広がります。他人と向き合うことも容易になるでしょうし、恋愛も上手く行きやすくなります。
創作に限らず、あなたの人生の選択肢自体を広げることにもなるはずです。

ですが、まぁまぁ人生万事塞翁が馬というやつで、全く気付けないままアラフォーになったとしても、そう悲観したものでもありません。
あなたはそのまま物書きになることを諦め、紆余曲折の末に、特に何者にもならないままアラフォーを迎えますが、だからといって不幸にはなりません。どちらかと言えば間違いなく幸福です。
なお感情をきちんと動かす訓練は、アラフォーの私が今まさに課題としている所です。中々手強いですが、若いあなたならもう少し簡単にやれたかもしれないなとは思います。

最後にもう一つ。
あなたが今、夜な夜な環状八号を歩きながら探し回っている「答え」というものは、この世界に存在しません。
あなたが生きる意味も、あなたの存在をこの世界に永遠に残せるような概念も、誰かが示してくれることは一生ありません。ある日空から降ってくることもありません。
強いて言うならば、あなたの感情を、意思を、願望を、きちんと見つけられた時、その「答え」は自分の内側に見つかります。青い鳥のようなものですね。

どうあれ、あなたはいつまででも書くことが出来ます。
何を、どこで、どんな風に書くのかは別の話ですが、はるか昔に物書きになることを諦めたはずのアラフォーの私は、まだ何かを書いています。
今の私の幸福は、二十歳のあなたの頑張りや、苦しみや、それ以外の色んなもののお陰で出来ていますし、今のあなたが書いているものも、きちんと肥やしになっています。

色々書きましたが、結論としてはこれだけです。
何にどれだけ絶望しても、どうにか生きていてくれて、ありがとう。

アラフォーの私より。

追伸:
彼氏に浮気がバレた時は、台所の包丁を、どこか別の場所に隠してからドアを開けること。彼氏が持ち出して面倒なことになります。刃傷沙汰にはならないはずですが、念のため。

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