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Zガンダム

水星の魔女→ガンダムF91→ファーストガンダムの流れでシナリオは知ってるけれど、細かいところはわからなかったガンダムをとりあえず見るという密かな楽しみ。 zガンダムを本日50話目を見終わった。 ネタバレは微妙にしそうだけれど、個人的に思ったことを書く。 ・メインテーマがファーストより重い気がした ファーストガンダムを全話最高に感動しながら見れたのは現代にはないロマンやシンプルなストーリー構成だった。ランバラルのあたりのところがすごく好きだった。 しかし、ニュータイプとい

    • はるかぜとおんがく

      日没は暮れるまで少しずつ伸びているというのに気温と気候は反比例。 スタッドレスとストーブの役目は長く、この間しまったいくつかの冬物については結局のところ私服で外に出ることの頻度の少なさからしまったままにした。 人生でたまに悲しい時が来る。 それは物事によって引き起こされるというよりあるとき不意に隙間の瞬間に訪れることが多い。 日常には悲しみや傷つく瞬間が少ないのは大人になったからだけで、なんでもかわしていたり気を張っているから?なのだろうか。 でもその方が蓄積はされるけれ

      • 芸能

        エンターテイメントを広い意味で考えたらこの世の大体はエンターテイメント。 日々の暮らしだけじゃ物足りない何かを、誰かが好きではじめてそれをみんなが好きになって広がっていく様なそんなイメージ。 その形はずっと同じだけど、それを大きく循環させるとどうしてこんなにも綻びだらけなのだろう。 広がり切ったエンターテイメントはどこかの車輪がずれても走り続けなければならない。 たとえ歪な物事があってもなきものにしないと、支持されない。 それはどんな社会でもあることだけど、薄々その世界

        • 遠くなる

          かくいうもの。 生まれた環境も育った境遇も一度きりの人生ではそれのみが事実でそれ以外は無象。 たまに思う。 無力さは希望するものに到達していない時に感じているような気がしていたがそうでもない。 もっと圧倒的な前提にそこを感じる。 体力が欲しいなと思って始めた運動やサッカーも、ある程度までの健康予防での効果しかない。 おかしいくらいにここ二、三年薬の副作用がキツすぎる。 朝起きて夜寝るまでずっと倦怠感がすごい。 仕事行って帰る頃にはぐったりする。 進めたい物事を進め

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          手招くのは風の間際に

          ふらりふらり今日も風は吹く。 ふらりふらり世の中は姿を変え続ける。 ふらりふらり生きていると 時に強い風が吹く。 瞑った目を開けてみる。 ふらりふらりと木の葉が舞う。 ふらりふらりと雪が降る。 ふらりふらりと生きていると 時に冷たい風が吹く。 覆った顔を上げて見る空。 今日はお前が手招いている。 ふらりふらりと近づくから 覆った手のひらで薙ぎ払う。 ふらりふらりとしか生きられない。 ふらりふらりとしか生きられないのに。 手招くそちらは ふらりふらりと生きていても まだまだ先で

          手招くのは風の間際に

          JAZZMASTERを手に取るまで①

          フットサル終わりの足の痙攣に近い筋肉痛が早くも来ており眠るに寝付けないのでコラムのような自分のちょっとした自分の話を書こうと思った。 ちなみにこの文章は最後で完結に至らなかった。 何故なら明日のためにもう寝ないとと言う危機感のため、である。(最後描き終わりの後冒頭にやってきた) 自分は16歳の高校一年の時に初めてライブハウスを訪れた。 それまではCDでBUMP OF CHIKENやかじりたての洋楽を聴いたりしていた。 その日見た光景に圧倒されたのは今の自分に通づる道の始ま

          JAZZMASTERを手に取るまで①

          定型にない背後から手を這うお前

          始まりは17歳の冬。 17歳の前と後で私の中で人生は一度終わり二度目が始まっている。 当時の頃については語らないが、例えばZガンダムのカミーユの終わりの時のあれが最も近い。 そこから無理やり体を置き直して生きたのが18歳以降から。 頭が悪くなり、身体は重く、神経系が衰弱して、体力が半減する。 17歳前の記憶はずっと美しい。 そのマイナスのギャップと世間から外れてしまった感覚を埋め合わせるように無理をして散々に飛び散りを繰り返す。 結果今16年が経つ。 他人の感覚はわから

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          昼日誌「WHO ARE YOU?」

          おはようからおやすみまで エブリフライ、ワッツビギナーズラック。 渡辺です。 今日は午前中お休みをもらって肝臓の検査だったわけ。去年七月鳩尾に激痛が走り、病院に走り、診察したところこりゃあどえらいでっせと先生言うもんで。 エコーと胃カメラのダブル検査(胃カメラの時は口から洪水)の結果2cmの腫瘍が肝臓に。 マーカー検査で悪性なら俺はマーダー。 この世のボーダー超えてマンマミーヤってわけ。 その再検査が今日だった。 朝空腹なわけ、喉カラカラなわけ。 水も飲めんときたもんだっ

          昼日誌「WHO ARE YOU?」

          凌辱のサディスティック・コロモinかつや

          ハローエブリワンポテトフライ。 みなさんこんばんは渡辺です。 一月が過ぎたらやってくるのは、そう実は2月です。(オーキド:そりゃそうじゃウンウン) 歳を重ねるとともに一人で外食に行くのがキツくなってきましたが、それでも今日はとんかつが食べたい気持ちでしたのでかつやに行きました。 かつやのいいところは安い値段でそれなりちゃんとしたとんかつが食べられるフライ界のコストパフォーマーですね。 入店、お決まりの「1」の型。(前屈みに軽く会釈しつつも店員の目は見て「一名です」を指で

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          近況と今後

          お久しぶりです。沖田洋一郎です。自分の中ではこちらの名前がしっくりし始めていますが普通に社会では渡辺です。 なかなか最近これといった報告もなくライブハウスなどにも行けておらず、友人らと会うことも連絡することもせず、もこもこと生きておりました。 長々と枕詞を並べるのも難なので本題ですが、先日、内科を受診して参りました。 7月頭あたりから肋骨が痛み肋骨周りの筋肉が筋張ったり凝るなどをしていて最初はデスクワークの仕事をしているし、姿勢も悪い方なので疲れかな?と思っておりました。

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          TEITARAKU IN MY BED.

          5月。GWも過ぎた翌週の出勤は長く感じる。 昼食で同じチームの先輩も同じことを話していた。年度末の怒涛さを終え、年度切替のバタバタも終わりGWには羽を伸ばしてという目論見だったが、久しい友人にあった日以外の連休は空虚かつ体たらくな日々だった。 ずっと楽器を弾いて録音をしていた。出かけるのもめんどくさくてろくすっぽご飯も食べず、人間として、動物としてあまり機能していなかったと思う。そのせいか顔がこけた感じがするが、体重はさほど変わらず、そして性懲りも無く夜にビールを飲んで寝落ち

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          Let's go out

          Light shining through the gaps in the curtain. カーテンの間から光が差し込み You woke up. 君は目を覚ました I'm thinking about how to spend it. どのように過ごしていくか考える Life is rock and roll. 人生はロックンロールみたいで、 Each person feels differently. 人によって感じ方が異なるように I will find the me

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          たまに思うこと。

          たまによく思うこと、 自分は早めに消えたほうがいいと思う。 退院して表向きは体調も良くなったし仕事に復帰している。 表向きは元気。 でも、内心消えたほうがいいと思っている。 迷惑はかかるので死ぬとかではない。 なるべく人と関わらないほうがいいと思っている。 たまに、というかよく人の気持ちが分からないことが多い。 意図したことと全く違う意味で捉えられたり、良い方向に解釈したものが言葉通りではなく裏があったり。 その都度その都度頭で考えて何かを演じるように、雄弁に話したり笑顔

          たまに思うこと。

          アクション

          11月も下旬に差し掛かり、朝晩は冷えるが日中の日差しは強い。 車のバッテリー交換と冬のタイヤの注文を整備士の兄に頼み社割が効いて6万前後と聞いて頭が痛かったが、なんとかどうにか捻出してやり過ごしていく。 年々秋が短く感じるのは気のせいだろうか。 秋が季節の中で一番好きなのだが、最近はその秋の風情というか、趣があまり感じられない。 鈴虫が泣いて、ススキが揺れて、月が綺麗で、そんな秋が今年は見当たらない。 今年は何か穴が空いたような感覚をよく覚える。 その穴の先はもうすぐなのだ

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          歯車の暁

          3年前に作った曲の歌詞の完全版。 この曲の歌詞の要旨は「仕事」だけど、当時のこの曲はまだ終着していない感じがあり終わりのサビは2回同じ歌詞を繰り返した。 苦しいだけなら、暁という言葉はそぐわないが仕事をすることで得た対価も暁のようなものであり、また最後のサビにあるように仕事そのもの、生業そのものが暁、という解釈も今の歳になって、言葉だけじゃなく身を持って実感したため歌詞にした。 歯車の一部になる苦しみもあれど、歯車の中にいる一種の安心感そんないろんなことを自分は数年で痛いほど

          歯車の暁

          音が音楽になったような日

          日常がずっとまっさらで、2021年は失われるべくして失われていくのかと思いつつ、かと言って深い悲しみはそこにはなく、ただ延々と彩りのない感情の生まれない、その場凌ぎを繋いで生活をしている。 今年頭に入院して治療してから明らかに消えた感覚とか後遺症はあるのだと日に日に思い知らされる。 再発を繰り返すたびに予後が悪くなっていく難病ということもあって、今回は割とヘビーにダメージが来たようだ。 さてさて、そんな中でも日常にはたくさんの娯楽がある。 こういうご時世だからこそ娯楽がな

          音が音楽になったような日