楽しそうを羨んで目の前にこさえた楽しみを放置するなよ
タイトルはSNSを見ている時に自分の邪な気持ちに対して、今なら思う自分に対して言っておきたい言葉。
俺がお師匠さんか寂聴さんならその自分にそう伝えるね。
SNSってすごい情報量と本当にそれ日常にポンポン起こるのかってくらいイレギュラー。
幸せのムーブメントと炎上のムーブメント、どっちも色の濃さはすごいよね。
なんだこりゃあって思うよ。
ただ、一つここでも思うのはそれに対して無理に自分と対比させようとするとよろしくないよね。
ここでも前回のはいはいうんちうんちですねーが採用される。それはその幸せそうなものに対してうんち扱いして卑下する意味ではないよ。
もっとsnsを冷めた感じで淡々と見るのが良いよねってこと。
いいんだぜ、自分は今日コンビニ飯とテレビと昼寝で1日が終わったとか、別に呟かなくたってそれは君の1日なんだぜってことで。
いつも立派である必要や、いつも正当である必要もないってこと。
逆にそれをわざわざぼくちんダメですなんて書く必要もないぜ。
そもそもその画面越しの出来事と自分の1日の出来事はたまたま同じ地球、近い場所で起きた二つの時間軸なだけで、たまたまそれがその人が知り合いであっただけのこと。
さらに言えばその知らない64億人?もっと?の人がそれぞれオフラインで人生を生きている。
その画面越しの幸せより幸せそうな日常はこの地球の規模ではあちこちにある。
そんな無限に自分が追いきれない人達の何かで君が君の半径数メートルで楽しんでいるものと比べること自体、無駄じゃない?って思う。
さらに言えば、そんな近い誰かもこの後の人生死ぬまで関わるかなんて当然わかりっこないんだぜ。
だからこそ、目の前の自分の楽しみがあるならそれでニヤニヤできたらそれで君の1日はそれであるだけ、でいいのよ。
それはなんでもいい、合法なら。
誰かからしたら馬鹿げたことでも、なんの面白くないこともちょっぴり夢中になってできたらその日はそれでおしまい。次の日には次の日の出来事ややることがあるかもしれない。
毎日面白おかしいことははっきり言ってそっちの方が異常だぜ。
毎日事件や炎上ごとだらけでは当然それは異常だぜ。
でもsnsにはそんなちょっとしたイレギュラーが立て込んでいる。かわりばんこに増えるコンテンツがある。
でもさ、少なくとも自分が仕事の時とかさそんな温度感やスピード感なんて無いけれども。
少なくとも今年上半期は月に一、二回ヒヤリとしたり、ドキドキしたりくらいで、それは一瞬でそのほかはスーパー虚無タイム。
だからSNSってあんまり人の日常の気持ちで見ると疲れるというか、間違った錯覚をしてしまうと思うよ。
SNSはたとえ身近に合う友人のつぶやきでもある程度デコレーションされているものだから、例えばあえて面白おかしく書いたり、ちょっと意味ありげにしたり、意味なさげでも意図はあったり、だからこそそれを見ている自分のオフラインとは繋げちゃダメ!だぜ。
みんなそんなの当たり前って思ってるかもだけどそういう人は少ないと思うよ。だってまあまあ味濃いもん。
オンラインとオフラインはつなげた心で見ないで、お家ではゆっくり寝そべりながらポテチ食ってゴロゴロしましょうねって話。
あ、これは自分に言い聞かせてるだけですので悪しからず。
イングラム寂聴。
鳥のさえずりと時の詩が聞こえる、でした。