サジェストにサディストされない

タイトルは示唆にサディスト、まぁ無理くり攻められないようにっていうやつ。
世の中ってたくさんのもしかしたらってありますよね。

それはお店だったらセールなり謳い文句、コンテンツの誘導の売り文句、投資ならこれから上がる株について、あとギャンブルならボーナス終了後の画面の設定示唆とか。

それら全部って信じたいですよね。
それが出たらおってなるし、期待もしちゃうよね。それは人間として全然変なことじゃないよ。

でもなんでそんなにそんな都合の良い示唆だったりがあるそもそもの理由ってそれを見た人が得をするためかっていうと半分そうだけど、結局その示唆を出す側が有利だから。なんだよね。

それは一旦のお話ではなくてその示唆をする側の計画によって今日1日で得をするものなのか、年単位か、それぞれあるよね。
もしくは撒き餌って可能性もあるよね、当然ながら集客、顧客獲得、株やギャンブルならいうまでもなくクロの可能性は高いけれど。

でもそれにめっちゃくちゃ誘導されて本人が得と捉えたらそもそもこの話はどうでも良い話になるけれど、実際この事を考えるとよーくできている仕組み。

金は天下の回りものとはよくいうけれど、お金は流動しないと儲けたい人は当然儲けられない。
お金が流動しないお店や株はすなわち関心がない、あるけれどないのと一緒になる。
だから無関心をなくすために関心を向けさせる。

それはこの世の理で上の示唆より広い意味で人と関わるこの世界において必要な事。

だからこそ無関心ってのがお店やそういうものからしたら痛い。

さて、続いてこちらのその示唆を受ける側の話だけれど。
それについていいなと思う感覚は当然人それぞれだけれど、でも1番大事なのは示唆をされずとも自分が何を欲していて、何が必要で、何が大事かってところだと思います。
月並みな言葉ながらこれはとてもとても当たり前でありながら、だけどこれさえちゃんとしていればきっと人生は楽しくなると思うよ。

今日はユーモアは全くなしで、自分の中の33年間でいろんな人や物や誘惑や幸運や不幸を受け取った結果の話。

人生が楽しくなるっていうのは、特別金持ちになることではまずないし、誰からも羨ましがられるようなことでもない、ただ強いていうならば何事においても納得して生きれるというところだと思います。

示唆されていくものは本当かどうか、そこからちゃんと考えたり何を思うかの前になんでこの示唆なのかってちょっと一旦立ち止まること。

ここで乗るかそるかって大事で、さらにいうとこの世界の大体は追い風は吹かない世界だと思うのね。
追い風が誰にでも平等に吹くのならなんで誰かはすごい不幸で、ずっと苦渋を舐めて、最後に自殺しなきゃならないまで、もしくは加害を加える立場になってしまうまでその人に風が吹かなかったのか、って思わない?

そんなのそいつが運がないだけ、性格が悪いだけとか色々言える理由はあるけれど、結局、ふっと軽くなれるところがなかったんだと思うね。

息抜きをしたくてもできない、だからちょっと甘い言葉や何かにハマるとそこからどんどん落ちていく。

人間で強い人がいるかと言われたらそんなのは全くの嘘である。

自分は心の病になるまではメンタルが強いとか、明るいとか言われていた。
でもそんな自分でもがっつり病む時は病みそういう時にこそ必死にもがき続けてしまう。

そして風穴が開くことを望んでのめった生き方をして、ちょっとのふらつきで転んだ地面に頭を打つ、みたいな。

実はこの時でさえ自分には「いつかは報われる」って示唆を自分にまじないをかけて信じ込む。
少し擦れた話かもしれないけど、だいたいそういう時は何をやっても信じてもダメ。

ていうか人間という生き物自体喜怒哀楽があって明るかったり、暗かったり、怒ったり泣いたりするわけで。

そういう存在が自分たちなんだから、どうにもならないことはどうにもならんってポーンと沈んだ心ごとぶん投げるといい。

だから心の中で「はいはい、うんちうんちですねー」って自分を一人住まわせるといい。

うまくいく時は自分の意思なんて無関係にポンポンうまくいくし、そういう時は誰からも示唆される前から無意識に自分の得意で得を得てるものだから。

だからこそうまくいかない時に変に肩維持張ってもうまくいかないと。

これは最近の自分での腑に落ちた学びでもあって、舐められてるなあって思う時とかあるじゃない人生で。

そういう時にさクッソがヨォ!って思うじゃん。
俺はすぐそういう時に熱くなってしまうんだけれど、でもさ、そもそも論そんな場所にずっといる必要なんてないわけで。
それは会社を変えるって話ではないです。
それはそのグループから自分がさるわけではないです。

でもそんな時こそ身の回りに起きているあらゆるものについて、ちょっと疑問に思うのは大事。

人間は疲れているとだらっとそのままそれを続けるけれど、そんな時はしばらく無意味が続く。

うまくいっていない時は、いつかうまくいくっては思わず、誰かの言葉が仮に甘く嬉しい言葉でも、現状とちゃんと比べること。

実例を出すと、エレクトロについてだった。
もう4年やってて本当に集客ができない。
なのに、ずっと仲間内やお客からは楽しかった、期待している、いろーんなありがたいおことばいただきました。
同時にやって全然結果出ない期間が続くほど自分に対していつかはうまくいくって暗示をかけてその暗示の強さに苛立ったり焦りがすごくなった。

だって、みんな期待してる、楽しみにしてるっていうのにいざステージの上に立つと自分のお客なんて一人とて来たことはなかった。
いつかは来ると思ってやっても来ない。
それはそれを楽しみにしていると言った人がいつか来るかもしれないと思って開けていたお店のようなものである。

きっと喫茶店を開くのが夢で脱サラしたサラリーマンとかもこんな感じなんだろうか。

どれもどれもこれも事実に起こったことでありながらあくまで結果ではなく示唆、の話なんだよね。

ちょっと店側と個人側の話が逆のように読めてしまうけれど、結局


来ないものは来ない。
ないものはない。
たとえあるものをあり続けていても誰かの声や期待というものはその誰かが欲しいものでなければ自分には無意味な示唆、になる。

恋愛とかでも多分おんなじようなもので、ないものはない。ある時はすでにある、みたいな。

そんなところにフッと落とし込んだのは、
この音楽の例で言うと弾き語りのライブの時と、その翌月の今月のライブ終わりのスタッフのふっしーとの話だった。

ふっしーはずっと無っぽい感じの人間だけど、俺は昔から彼の考えるところとか振る舞いとかトータルで見てるとすげえなって思うところが山ほどある。
さらに言うとドラマーとして地元で1番ドラマーだなって思うのはふっしー。

もっと派手なキャラクターのドラマーは地元でもたくさんいるけど、ドラマーのドラマーたる心得というか役割をちゃんと全うできているのは間違いなくふっしー。

ドラム18年やっててなりたい姿を体現しているのは今までの中で彼しかいない。

そんな彼にだからこそ今月のライブ終わりにこっそり相談した。

彼のいうことはあえてここでは書かないが、あ、そうか…と四年間の暗示や示唆がフッと消えた。

感謝の言葉を言うと「逆にひろのりさんが相談してくれて嬉しいです」とも言うあたりさすがだね。

そして昨日のクマジロー先生の生誕祭を見て、示唆やそれらより自分にとって何が大事なのかハッとした。
sayutaさんとも話をして。
合唱部の顧問だったクマジロー先生の奥さんや来月の美容室の野外イベントの人達と会って話して。


さあ、ここまでの話で俺が1番示唆されていたのは何だったのかと言うと、
「自分は何か何者になれるかもしれない」
って言う自分に対する自分への期待だった。

あれだけ悲惨な目に学生時代にあったのならきっとこのあとうまくいく、もっと上振れて人生は好調になる。音楽もいつかはガンって人気が出て、だって人より音楽にかけている時間も練習もしているんだから!

って言う不幸や自分の努力に対する見返り。

それらは抱けば出てくる希望だが、それに確証はない。
さらに言うと抱く気持ちが無かろうとやったことはやったことで残る。
まだ起きていないことはいくら起きそうでも起きていない。

もうそう言ういろんなのをちょっと「はいはい、うんちうんちですねー」でいいのよ。

今まではその強い気持ちでとりあえず来ました。
でもこれからは今までと無理に繋げなくていい。

いろんな人に期待されてるからって思うのもいらないね。

それよりこれからまだ何も示唆されていないしらっとした未来に対して、何も思わず過去は過去、今は今、未来は寝てまて、それでいいのよ。

何者にもなれないなんて当たり前、有名人は有名人、でも、なんでもない感じに見える人が納得して生きているのも事実。

音楽だけじゃない、仕事だって別に期待をしなくても働けば仕事になる、月に一度は一応定められた賃金は発生する。

どれだけ時代が早くても、乗り遅れたらどうしようと思っても、俺ら人間がやれるのは起きている数時間の物事だけ。


期待通りにならない前提でも肩を落とさず明日の風吹くままに行きましょう。
もちろんこれは自分に対しても言っていることだよ。

そんな歌を七転び八起きという歌を作ってました。
いつかお披露目。

では。

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