ピカブー

タイトルは20世紀少年の最初のあたりで謎の怪事件を追う刑事が孫に買って帰る予定だったおもちゃの名前。
ピカブーってめっちゃ可愛い響きって思ったし、孫に買って帰る刑事の姿とかなんかじんとくるし、なのに結果ピカブーを渡すことなく殺害されてしまうという。

ピカブーで孫の喜ぶ顔が見たいという気持ちの暖かさと彼の結末の切なさ。
くるものがあるね。

少しずつ気温があがりつつある。
この頃に良いと思うのは日が長くなることと洗濯物の乾き方が素晴らしいこと。それだけ。

それ以外は夏の暑さにより全てマイナス、減点もいいとこ、車なら免停レベルだ。
そこの太陽止まりなさい、少し離れて秋っぽさを出しなさい、ってウェザーポリスがウーウー言ってるんだって話だよ、このやろう。

最近Twitterのおすすめに漫画がやたら出るけど、もう面白いくらいにこの手のコマ割りの漫画はムーブメントが統一されていてクリエイティブな活動のはずなのに見事に全員が作品でバズりたい気持ちが露わと見える。

可愛い動物キャラとシュールさで推してる漫画すごく多いね。

JPOPに例えるなら、ちょっとすかしたr&bが大量生産されたあの頃を思い出す。その頃自分はニルバーナとブランキージェットシティ、ROSSOに夢中だった。

今にして思えばまだYouTubeが全然今みたいなプラットフォームじゃなかった頃にWindowsきってのポンコツ「vista」のパソコンでフリーズを乱発しながらも海外のバンドのミュージックビデオやライブ動画を未漁ったあの頃は今にしてみればいい思い出。

全部が新鮮だったね、1番面白かったのはニルバーナのライブに一人めっちゃ踊ってる人がいるっていう、いやお前メンバーなのかいって知った時は本当に笑った。意味がわからなすぎて逆にニルバーナの混沌さにマッチしててすげえなって思う。

でもニルバーナも、というかコバーンもなかなか辛い人生だよなと思う。
カウンターカルチャーでやってた音楽が商業的にヒットしたことによってかえって本人を苦しめる結果というのが。昔のアーティストはきっと今よりも結構精神性むき出しなのかな、わからないけどお金が入って万歳とはならない。

他にだって、自分の好きな邦楽バンドのマスドレもガッと人気が出てフジロック出た後に精神的に病んで長らく活動を休止したり。
事務所に無理やり曲調変えたやつ作れって強制されていたんだっけか?
でも今はヨーロッパ圏でめちゃ売れてるらしいので良かったとしか言えない。
なつこんの思うまま音を奏でて欲しい限り。
またヨーロッパツアーの新tシャツが出たのでマストバイだね。

他にもリンキンパークもボーカルが自殺してしまったなんて話もあったり…

音楽も人を殺すとリーガルリリーは歌ってたもんだけど、またその曲でそのフレーズは違うことを意図してるのかなあと思うけど、やっぱり売れたら売れたでまたしんどいんだろうなあってあるんだろうね。

でも、その人たちを見て「恐ろしい世界」とも思わない。

でも多分すごい難しいバランスだと思う。
この話は自分がプレイヤーとか活動してる経験値の話ではなくて、普通にリスナーで聞いたり見たりしてる一般的な感想。

その人たちは多分一生音楽が好きでずっと好きでやってたりかけがえのないものでやってるのは間違いないし、どんなスカした野郎であっても人前で披露する以上はやっぱりどこか「うまくやりたい」「かっこよくやりたい」って思ってるわけじゃない。

それは地元から世界のレベルまでみんな絶対適当じゃないと思うよ。だって人に見られているし、自分が思ってることを歌ってるわけだし、そういう自分の写し鏡として出してる音や演奏する姿が否定されるなんてたぶん耐え難いと思うわけさね。

うまくやれると思っても失敗する魔物はプロアマちゃんといるし、自分じゃどうにもならない領域だってあるし。

だからこそ、例えば一旦ブレイクしてから自分の技術も曲も変わらず込めているのに人気が落ちたときにも不安に襲われたり、楽しくて良かった音楽に数字の売り上げが設定されて急に創作性が減って、結果どこにも届かない平らなメジャーソングを作り、角が取れ、でもそれを望んだのはアーティストでもなかったし、かと言って新規客が増えるかと言ったら、そりゃあメジャーな曲で強いアーティストはちゃんと長年ずっといるから難しく、なんかやってる意味も感じられないのに、生活が苦しくなり、最終的にオワコン呼ばわりで世間的に消える。

なんてのも山ほどざらな話で。
でもその人はずっと死なない限り生き続けるけれども。

そういう芸術でありながら水物でもあるのが難しいバランスなんだなぁと思う。
あくまでずっと色んなアーティストを見ていての感想だからね。俺の活動は全くそこに行ってないていうか、家でニヤニヤしながら曲作ってるラインだからね。

だからこそ思うのは、ここからは個人レベルの創作の話になるけど、多少不細工だったり不器用であっても、自分の琴線に触れるものから曲なり絵なりなんでもメディア的なものは作らないとダメだなって思うのよ。

理論に基づく誰が聞いても聴きやすい曲ってのは1番間口は広いけど1番オートメーションで量産するのがこれからめちゃくちゃ簡単になる時代になる。てかなってきている。

AIなんて言葉は近未来の話ではなくてもう現段階ですごい。
学習や業務に用いられると話題になったのは2年前でそれから今、使われる領域がここまできたかーと思った。

当然自分も使ってみたけど、
要するにプロンプトにもよるけれど、条件値をどれだけ具体的に指定しても最終的に1番中立とされる、それは真ん中って意味じゃなくてベストとされる平均的なものを提供するんだなって現段階では思う。

だから変な話、どんなルートで通っても最後にAIの判定をかけるとそれになる、パッケージングされる、という。

なんとなく創作に対して平均化するっていうのは人のこだわりを全く持って打ち消す、よく言えば改善してしまうそれは便利であると同時に使い方を考えないとたぶん目の前で当人が作る意味合いは本当に薄れるなと思った。

知識の補填や、添削に使うには優秀だけど、
例えばマスタリングにAI機能が搭載されていても、ちゃんと自分でミックスや音のこだわりを持っている必要はある。

だって創作はあくまで本人がするものだから。

AIは教師にもアドバイザーにも、補填要員にも、つまりめちゃくちゃ優秀なゼネラリストではあるけど、そこに便利がって丸投げだけを行うとたぶん最初に作りたい構想は変わりそう。

今のAIの暫定的な話だけれども。

話が飛びまくったけど、そんな優秀なAI、使わないかというとめちゃくちゃ使う。
ほとんどは知識を入れ込むのに使ってる。

話はまた脱線したけれど聴きやすい曲が自分にとってナンバーワンならそれを作って、あとは歌う自分がどこまでも魅力的になれれば今いる人の次の世代のメジャーアーティストになれる可能性は伸び代に比例して当然あると思う。

でも個人で始めた創作、
「俺はこれが作りたいがために高い金払って機材買ったんや!」っていう人は、ちゃんと自分が今まで見て聞いた心揺さぶるアーティストの何かを、自分なりに解釈して作って歌うのがきっと楽しいし、ずっと君のものになると思う。

売れなかったらどうしようっていうんだったら、とりあえずバイトでも社員でも働けば良いだけだから。
まぁ、金銭に不自由ないならずっとやってみれば良いし。

詰まるところ、Twitterの一様に構成が一緒の漫画みたいにならないように君だけの感性で君の感動をもとに作れば良いよ。

って自分にブーメランがブッ刺さりまくって辛くなってきたのでこの辺で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?