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「将来、何になりたいの?」という質問はなくした方がいい
大学時代、私が人から訊かれて一番苦痛だったのが「将来、何になりたいの?」という質問だった。
その問いに爽やかに即答できる人たちのことが心底羨ましかった。
私とは何か ー「個人」から「分人」へー より抜粋
今日読んでいた本にこんな一節があった。やっぱりそうだよな、とすごく考えさせられた。
理由は2つある。
1つ目は、僕自身、つい先日投稿した記事でもまさに同様のことを書いていたということ。
それから2つ目は、2013年に起業してから、多くの学生(特に就活生)と関わる中で、この質問こそが多くの苦しみや悩みを生んでいると確信を持ってしまった人間だということ。
先に結論を伝えると、タイトルの通り、この質問は世の中から本当に無くした方がいいし、消えた方が良いと思っている。
なぜなくなった方がいいのかと、それを踏まえどうしたらいいのか?という点について伝えたいと思う。
「将来、何になりたいの?」に苦しめられた原体験
僕の場合「将来、何になりたいの?」という質問に苦しめられた原体験は、こんな感じだ。
小学校時代の授業参観、将来の夢を発表させる機会での出来事。
先生や周りの友達は、具体的に「野球選手になりたい!」「歌手になりたい!」「美容師になりたい」と語れる人をすごく褒めていた。
何なら「やっぱり◯◯君はすごいな〜」という言葉と一緒に。
いや、褒めるのはいい。実際そのために努力して、それを実現させる人もいるわけだから。
ただ、僕はすごく居心地が悪かった。なぜなら、僕にはそれがなかったから。明確にこれだ、と言えるものがなかったから。
じゃあ当時の僕は、どんな風に感じてたのか。
「何であいつは同い年なのに、もう”やりたいこと”見つかってるんだろう…」
「俺はまだ何もないのに…」
「どうしよう…俺ってこのまま終わっちゃうのかな、何も見つからないのかな、大丈夫かな」
なんて思っていた。正直、こういった周りとの比較が25,6歳まで続いていたと思う。
これでも結構早くに抜け出せたのかな、と今になって思うが、当時を思い出すと、本当に苦しかった。
極端な話「生きてる意味あるのかな?」とか「なんのために存在してるんだろう…」とか、夜、家でひとりの時によく考えていた。
何より、具体的に夢を語れる人、そのために行動してる人、努力できてる人が羨ましくて仕方なかった。本当に。
「将来、何になりたいの?」という質問に込められた本当の意味
この言葉について、真剣に考えた人はどのくらいいるだろうか。
僕は2013年に2回目の起業をし、そこから量(=人数)ではなく、濃さの部分(=一緒に過ごした時間など含め)で今に至るまで、冗談抜きで日本で一番学生と接してきた自負がある。
とはいえ、人数でカウントしても年200名以上、それを5年以上継続しているので、すでに1000人以上の学生とリアルに接してきた。そしてそれは今も継続している。
1回の就活相談は、今も平均1時間半ほど使っている。一切手を抜かない。
それもあってか、2万人を超えるOB訪問サービスにおいて実績ベースでも評価数、レビュー数で全体3位という評価も獲得している。
そんな僕の当時の彼らとの関わり方はこんな具合だった。
具体的には、週4,5日で一緒に関わっている学生が家に泊まりにいきて、朝まで語る。そのまま一緒に仕事をする。そして、また相談に乗ったり、くだらない話をしたりする。それを5年ほどずっとやっていたわけだ。
そうやってひたすら学生と接し、いろんな話をするのだが、決まって訊かれることがある。
それが、「やりたいことわかりません」「どうやったらやりたいことは見つかりますか」という悩みだ。
おかげで気づいたのが、「将来、何になりたいの?」という言葉の意味だ。
ここで少し考えてみて欲しい。
この言葉に込められた本当の意味とは何なのだろうか。
僕はこの言葉の本当の意味を知って、ゾッとしたのを今も覚えている。
「将来、何になりたいの?」という言葉に込められた本当の意味。
それは、
「あなたは将来、どういう職業に就きたいの?」
とイコールなのだ。
この言葉は、幼少期〜小学生くらいまで地域を問わず、いろんなところでよく訊かれる質問であり、そして一時期封印される。
だが、それがまた就職活動によって、いきなり復活するのだ。
何より、恐ろしいのは、幼少期にあたる4,5歳の頃から「目的」よりも「手段・方法」で考えさせる思考が、周りの会話やメディアを通じてずっと蔓延してることだ。
言い方を選ばずにいうのであれば「早く職業を決めなさい」という洗脳が物心ついた頃からスタートしてるともいえる。
僕はこれがすごく恐ろしいと思ったわけだ。
そもそも「手段・方法」に良い悪いはない
例えば、「自分と関わる人を喜ばせたい!」と心から思っている人が3人いたとする。
そして、その3人は、それを実現する方法として、次のように言っていた。例えば、こんな感じだ。
Aさん
「飲食店を開いて、美味しい食事を提供することで自分と関わる人を喜ばせたいです!」
Bさん
「スポーツを通じて自分と関わる人に勇気や元気を与えて、喜ばせたいです!」
Cさん
「技術の力を通じて、世の中にまだないサービスを生み出して、関わる人を喜ばせたいんです!」
さて、ここで考えなければいけないことがある。
彼ら3人の考える「人を喜ばせる」方法について、どれが正解だろうか?
というか、そもそも正解ってあるのだろうか?
逆にいうと、間違ってるものがあるのだろうか?
そして、どれかの方法はよくて、どの方法はダメだというような優劣を付けられるのだろうか。
そうなのだ。これはどれも正解だし、どれも間違っていない。
そもそも、関わる人を喜ばせたいとして、どのような手段・方法でそれを実現するのかは、その人の選択だし、自由だ。
もし、それでも良い・悪いを区別したいのであれば、手段を決める前に目的を明確にしなければいけない。
目的があれば、今回の3人の方法に対しても、その目的達成に対して一番実現角度が高いものが何か?という視点で良い・悪いを区別することはできる。
つまり、本当に大事なのは、「目的」であり、それが何なのかだ。
しかし、この「将来、何になりたいの?」と言うのは、「手段・方法」である職業選択しか問わない質問だ。
故に、目的を失ったまま、目的をもたずに、「手段・方法」だけを考えろと言われた子たちが、量産され、そして結果として「やりたいことがわかりません」「見つけられません」と日々苦しんでいるのだと思う。
「将来、何になりたいの?」にかわる正しい問い
では、どうしたら良いのだろうか。
手段・方法だけにフォーカスせず、目的を持って、生きれるようになるには、その結果として「やりたいことがわからない」「見つからない」という状況に陥らないようにするにはどうしたら良いのか。
僕の中で1つの答えがあるので、それを示したいと思う。
考えるキッカケになったのは、ある学生からのこの質問だ。
「物心ついた時から、将来どうなりたいの?という会話を通じて、洗脳が始まって、やりたいことがわからくなってるなら、もう社会構造上の問題だし、変えようがなくないですか?」
この質問をもらった際、正直な話「ビクッ」としちゃったが、おかげで1つ僕なりの答えが見つかった。
本当に正しい問いかけとは、
「あなたは将来、何になりたいの?」
という問いかけではなく、
「どんな瞬間に楽しいと感じるの?」
「どんな瞬間に喜びを感じるの?」
これだ。
こういう問いかけができる人が世の中に溢れれば、少なくても手段・方法としての「やりたいこと」がわからなくなる、という状況は随分減るはずだ。
ということで、実際に「どんな瞬間に楽しいと感じる?」という質問を僕の天使のような甥っこにしてみた。
そうしたら「お母さんが笑ってくれた時!」と返ってきた。
それに対して僕はまた聞いてみた。
「そっか、お母さんが笑ってると楽しくなるんだね。それならさ、お母さんを今よりもっと笑顔にするためにどんなことができるかな?それができたらもっと楽しくなるよね!」
そうしたら次は、こう返ってきた。
「ピアノの練習もっと頑張る!」「あ!お風呂掃除もしなきゃ!」
わかるだろうか。お母さんを笑顔にするための方法に何が正解か、なんてそもそもないのだ。
そして、ここでもう1つ考えて欲しいことがある。それはピアノの練習とお風呂掃除のことだ。
これ、就職活動で例えるなら、全く異なる業界と言える。
でもどうだろうか。この2つの方法にお母さんを笑顔にすることに対して、間違いはないし、どっちも正解だ。
つまり、どの方法だって、それが相手を笑顔にすることに繋がるとあなた自身が思えるのであれば、実はそれ正解だよって話だ。
要は、このような問いかけができる人が溢れれば、
「手段・方法に固執する必要なんてないんだ。それは後で決めれば良くて、それよりも大事なのは、目的なんだ」
と気づくことができるのではないだろうか。
さいごに
「将来、何になりたいの?」という質問は本当になくなった方がいいし、消えた方がいいと思っている。
それは本心だ。
何より、この言葉を使っている人たちにも悪意がないからもっとやばい。何なら本当にあなたのためを思ってこの問いを使ってたりする。
でも、だから気づいて欲しい。
この言葉は人をどんどん追い詰めてくる。昔の僕のように。そして、この記事を改めて投稿するキッカケをくれた、本の著者のように。
この言葉は、早く手段を決めろ、と。早く就職先を決めろ、と。早く仕事を決めろ、と。
そうやって僕らを知らず知らずのうちに追い詰めてくるのだ。
ただ、当たり前だが、就職先も仕事も、それは何かを達成させるための手段でしかない。そして、手段は目的がなければ決められない。
にもかかわらず、目的を考えさせるアプローチは誰もとってあげない。
もうそろそろ、これを終わりにできないかな、と思う。
そのためには、すでにこの考え方に凝り固まった人たちの考えを変えるのでなく、これからの未来を担う小さな子供たちへのアプローチを変え、そして、手段ではなく、目的にフォーカスできるような新しい考え方が広まればいいなと本当にそう思っている。
大体、人の優劣は、業種や職種、その規模や、稼いだお金では測れない。それは幸せもそうかもしれない。
あなたにとっての幸せと、僕にとっての幸せ。それは違っていいし、違って当たり前だ。
であれば、やはり大事なことは、あなた自身がどうありたいのかという目的から考えること。そして、まずはそれを取り戻すことが、これからの時代本当に重要になると考える。
そのためにも、「将来、何になりたいの?」この問いかけをなくした方がいい。
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