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モモがいたなら、救うことができたかもしれない誰か

前回に続き、「モモ」という作品の続きです。
今回は、主人公の円形劇場に住む浮浪児の女の子、モモの魅力について。

街はずれの円形劇場あとに迷い込み住むようになった不思議な少女モモ。人々はみな、悩みがあるときにはモモのところへ行って話を聞いてもらいました。

モモは何か特別に歌がじょうずとか、曲芸ができたとか、いい考えを教えてあげたとかそういったことはほかの子と同じくらいしかできませんでした。
それでも、「モモのところに行ってごらん。」と人々が口にするのはなぜか。それは、

「あいての話を聴くこと」ができたからでした。

それだったら私もできるのでは?と思いますが、本当の意味で「あいての話を聴くこと」ができる人がいるかと言われれば、私も含め、少ないかもしれない。
何かしら間に入って言葉を遮ってしまったり、聞いているつもりがアドバイスしていたり、共感や否定で自分を押し付けてしまったり。

自分自身で納得できる答えにたどり着くまでただただ待つことが、出来ているだろうか?
これは何もしていないようで、きっと相手にとっては、大切な大切な時間なのです。

本の中では、何も言わずにただただ相手の話を待つモモがいました。
それによって言い合っていた人が仲直りしたり、自分の考えを改めたり、助けられた人がたくさんいたのです。
そんなモモの魅力は、どんなスキルを持った人より魅力的に感じました。

そして、「道路掃除夫ベッポ」と呼ばれているおじいさんの話もモモは待ちます。

道路掃除夫ベッポはちょっと私に似ている、と思いました。

なにかきかれても、ただニコニコと笑うばかりで返事をしないからです。ベッポはじっくり考えるのです。そしてこたえるまでもないと思うと、だまっています。でも、答えがひつようなときには、どうこたえるべきか、ようく考えます。そしてときには二時間も、場合によってはまる一日考えてから、やおら返事をします。でもそのときにはもちろんあいては、じぶんがなにをきいたかわすれてしまっていますから、ベッポのことばに首をかしげて、おかしなやつだと思ってしまうのです。(P.51)

大げさに書いてはいても、どこか共感してしまう自分がいました。そして、時間がかかってしまう理由についても、モモは理解をしてくれています。

こんなに時間がかかるのは、けっしてまちがったことを言うまいとしているからだと、知っていたからです。ベッポの考えでは、世のなかの不幸というものすべて、みんながやたらとうそをつくことから生まれている、それもわざとついたうそばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものを見きわめずにうっかり口にしたりするうそのせいだ、というのです。(P.51)

どんな言葉が人を傷つけるか分かりません。
「私は、あの時こういう言い方をしてしまったけど、もしかしたら傷つけてしまったのではないだろうか」
と後から何度もその光景や言葉がよみがえってくることがあります。
決してストレートに酷いことを言ったわけではありませんし、何か反応があったわけではなく、相手はそのことさえ忘れてしまっているかもしれません。

それでも言った自分はしっかり覚えているのです。
自分の言葉は自分が一番よく聴いている。隠すことはできないのです。

だからこそ、言葉に責任を持ち、また責任を持って「あいての話に耳を傾ける」ことを忘れずにいたい、そう思いました。
そして相手への思いやりと理解しようとする心を忘れずに生きることが、誰かにとっての救いになれたらいいです。

こちらもモモの話なので、よろしければ✩︎⡱

最後にもうひとつこの本から響いた言葉を書く予定です!(どんだけ書くねん笑)

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