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日本人ではないが、日本人としての意識

 本日、拙作『移民の志 日本を愛する在日ベトナム人からの哲学的な提言』が完成しました。宜しければご覧くださいませ。宜しくお願い申し上げます。なお、参考として、ニュース記事や書籍を共に紹介させて頂きます。

1 表紙

2 解題

 著者である自分「LVN」は、ベトナム国籍と永住権を持っている在日ベトナム人であり、日本を自分のこよなく愛する第二の祖国として、そして愛国心のある移民にして市民である。ここでまず、この拙作の成立事情を読者の皆様方にご理解して頂くために、自分の大学時代と新卒社会人としての経歴を著述させて頂く。

2.1 外国人技能実習制度

 自分はかつて、一浪を経て、十九歳で二〇一六年に大学に入学し、そして四年間に亘って、夜間部(午後18:00~午後21:10)に所属しつつ、朝から夕方まで、二つの外国人技能実習制度の監理団体に専属アルバイトとして所属していた。外国人技能実習制度の概略並びに理念等は、「外国人技能実習機構」(OTIT)の公式ページから引用すると、以下の通りである。

技能実習の基本理念
 技能実習制度は、我が国で培われた技能、技術又は知識の開発途上地域等への移転を図り、当該開発途上地域等の経済発展を担う「人づくり」に寄与することを目的として創設された制度です。
 技能実習法には、技能実習制度が、このような国際協力という制度の趣旨・目的に反して、国内の人手不足を補う安価な労働力の確保等として使われることのないよう、基本理念として、技能実習は、
①技能等の適正な修得、習熟又は熟達のために整備され、かつ、技能実習生が技能実習に専念できるようにその保護を図る体制が確立された環境で行わなければならないこと、
②労働力の需給の調整の手段として行われてはならないこと
が定められています。

技能実習についての基本情報 | 外国人技能実習機構 (otit.go.jp)

  しかしその実態は目に余る程の惨状に満ち溢れていた。

 二つの技能実習生の監理団体に専属アルバイトとして四年間に亘って働いて来た自分は、二〇一六年の初出勤の日から、二〇二〇年の正式に内定の辞退並びに辞職をした日まで、確かに間違いなく、善き経営者と職場に恵まれて、明朗で幸福な人生を送れたり、自助努力の精神とその活動を以て、自力で貴重な経験や人生の善き転機等を得た実習生達は確かにおり、実際に自分も、一部の先輩達(自分よりも年上である)の実習生達とも今でも親交関係があり、楽しく連絡や談笑等ができているが、圧倒的大多数の実習生は、低賃金で重労働を強いられ、中には、極めて心身に重度の負担や危険のある作業が非常に多い職場であるにも拘らず、労働の安全や衛生等がほぼ行われていなかったり、会社並びに経営者、そして責任者や労働者の日本人達の外国人労働者達に対する搾取や蔑視等が多々あり、パワーハラスメントや労災隠しの常態化等に耐え忍ぶ勤労の年月日を送り続け、また私生活の方でも、勉強や志の放棄をはじめ、仲間割れや妊娠等に、喧嘩や騒音、そして暴行や万引きに、詐欺商売や失踪等も多発していた。こうして、日本で多大なストレスやトラウマ等を抱えては、日本人に対する多大な嫌悪感や深い憎悪等を懐きつつ帰国する人達を、自分は身を以て、痛惜や悔恨等と共に見聞きした。

 自分が所属していた二つの監理団体の先輩や上司の方々と、送出機関(実態としては国際規模の人材派遣会社)の担当責任者の女性の方、そしてごく一部の実習実施者(業界での企業の呼び方)の経営者達は大変善良な方々で、自分と同様に、実習生達に対して思い遣り深い心を以て仕事に勤しんでいたものの、監理団体の理事長達とその妻に、多くの実習実施者の経営者達や現場の責任者達は、見るに堪えない程の無責任ぶりや無関心ぶりに、虚栄心や利己心による言動が多々あり、人を物としか見ない人間観や仕事観に、利害損得に依存した日和見主義や事なかれ主義等が蔓延しており、そして、同調圧力や現状維持等に、旧来の経験や実績、方式や体制等に「自ら」束縛されて硬直化する等、その腐敗や病弊等はもはやどうしようもない程まで至っており、自己浄化作用や自己改革力はおろか、自己客観視ですらほぼ完全に喪失して、改善や改革等は、事実上不可能な有様であった。

2.2 日本語学校

 このような惨状から、自分は監理団体を辞め、そして父の伝(つて)で、ある日本学校に、正職員になるために、専属アルバイトとして、そして、総務の一員として、一年未満働いたが、ここでも、技能実習生の監理団体と同様に、深い失望と激憤を懐くことになった。現地国の送出機関の利己主義や拝金主義、無責任や無計画な仕事ぶり、常に多発し続ける、学生達の利己的動機のよる諸問題への対応、「留学」という名の早期の就労資格の取得、深夜までに及ぶ、膨大で煩雑、そして無駄や徒労ばかりの事務作業や、地方出入国在留管理局への書類の作成・整理・提出、そして、教育機関であるにも拘らず、社内教育や自学自習は著しく欠如して、経験至上主義や形式主義に基づいて仕事を行い、しかも、学者や公務員を一方的や一面的な観点や偏見等で軽蔑する言動や談笑が多々あり、懐疑心や向上心、進歩精神や批判的思考等が著しく欠如し、「ここは一般企業とは異なるから」と、休憩時間の皆無や長時間労働・残業の常態化(残業代無し)・休日の出勤や在宅勤務等を正当化し、旧来の経験や実績、方式や体制等に「自ら」束縛されて硬直化して、他の日本語学校と比較して、自画自賛して優越感に浸り続け、虚飾に、偽善・欺瞞に満ち溢れた社内や社外への宣伝をし続ける等、もはや、腐敗や病弊等はもはやどうしようもない程まで至っており、自己浄化作用や自己改革力はおろか、自己客観視ですらほぼ完全に喪失して、改善や改革等は、事実上不可能な有様であった。

 ここで特筆する話の一つとして、ある職員が、かつて働き始めた頃のある日、真夜中の一時まで勤務しており、それまでの過労と当時の重度の人間関係のストレスと相まって、倒れてしまったことを、その本人が笑って話し、また周囲の職員と経営者も笑って話していた、という被害者と加害者の談笑の光景に、猛烈な恐怖感と嫌悪感を懐いた。

 そして、二〇二〇年一一月末から二〇二一年一月末まで、技能実習生達の入国件数が爆発的に増加し、自分が勤務していた日本学校は、入国後講習(技能実習生が入国してから必ず受講しなければならない講習・研修等)の代行サービスを実施していたが、一人の女性の講師と副校長先生(事実上は引退している)を除いて、他の講師達の無責任ぶりをはじめ、施設の水質問題(実習生達は、不衛生な水で炊事することになった)やガス不足(全てではないが、部分的に、真冬に冷水のシャワーを強いられることになり、自分は七回報告したが、真剣に取り合ってもらえず、結局解決しなかった。)、備品や通信の不足、集団感染の危険性の無視(新型コロナウイルス感染症が大流行している時に、無理矢理、施設に百人以上も入れて、講師達に無責任に仕事を任せる。それも低賃金で残業代無しで、人数による給与の変更も無し)、そして日本学校の経営者・上司・先輩達と監理団体の職員達が、いかに技能実習生達を金儲けの道具としか見ていないのかを目にし、彼ら彼女ら実習生もまた、その言動と施設の実態、そして自分の実直な講習を通して、悲しく理解した。

 しかし、実習生達自身の大半もまた、勉強や目的が無いため、ただでさえ苦難や危難の道を歩んでいるにも拘わらず、自分が歩んでいる道をさらに苦しくて危ういものにしてしまうのを、自分は見抜いた。ここで、自分は技能実習制度の問題を、送出機関・監理団体・実習実施者、そして、技能実習達自身、さらに、日本の頑迷(がんめい)固(こ)陋(ろう)な勤労文化並びに悲惨な労働問題、この五つの立場や観点から、多角的・多面的に学び理解することが出来た。

 送出機関・監理団体・実習実施者、そして日本語学校で、自分は数多くの間違いや過ちを犯してしまった。それらを確りと心に刻んでは、猛省し続けて、今後の哲学や思想の構築に繋げていく。そして自分は、監理団体の理事長と、日本語学校の経営者と上司に言われた、「他人や組織の所為(せい)ばかりにして!」・「こんな良い所は無いぞ!」・「どこに行っても仕事は無いからな!」等の言葉に屈せずに、最終的に冷静で穏やかな形で辞めれたことを、我ながら誇らしく思うと同時に、父の精神的・経済的な応援に、心の底から、深謝の念に堪えない。日本語学校の上司に、「尊敬する父親に、このこと(辞めること)を話したのか?」・「将来父親になった時に、自分の子どもに対して、『俺はあの時現実から逃げた卑怯な人間』として、恥と後悔を以て話すことになるからな!」・「どうせ貯金と父親に頼って、また自分の世界に引きこもるだろ?!」・「哲学とか小説とかするだろ、成功するかどうか知らんけど、結局、無駄なことで現実逃避しているだけだからな!」等と言われ、隣にいた経営者は頷いていたが、あの時内心、感情的に、殺意を以て思い切り拳で二人の首を殴り付けようと思った衝動を、理性と論理で消滅させつつ、沈黙と忍耐に徹することが出来て、至極当然だが、至当だったと心の底から思う。

2.3 特定技能制度

 その後、再び父の伝(つて)で、特定技能制度の登録支援機関(受入機関⦅特定技能所属機関:企業のこと⦆から委託を受けて、1号特定技能外国人支援計画の全ての業務を実施する機関)に一時的に所属した。外務省の公式ホームページから引用すると、以下の通りである。

「特定技能」の特徴
 「特定技能」以外にも日本国内で就労が可能な在留資格は複数ありますが、在留期間や活動内容、求められる要件等に違いがあります。「特定技能」は、在留期間が通算で上限5年までであること、受入れ機関(又は登録支援機関)による一連のサポートが義務付けられていること、受入れに際しては技能及び日本語能力を試験によって確認すること等の特徴があります。
 なお、「技能実習」との違いについては、同制度が現場での実習を通じて日本の様々な技術を習得した後で帰国し、その技術を母国に広めるという国際貢献を目的とするのに対し、「特定技能」は、人材の確保が困難な一部の産業分野等における人手不足に対応するため、一定の専門性・技能を有する外国人材を即戦力としての労働者として受け入れるという点が挙げられます。なお、技能実習(2号)を良好に修了した方が「特定技能」に在留資格を変更するというルートも開かれています。

制度の概要 | 在留資格 特定技能 | 外務省 (mofa.go.jp)

  しかしここでも、以前の監理団体と日本語学校とは比べ物にならない程、善い日本人の上司達と労働環境であるものの、女性のベトナム人の先輩の仕事観とそのやり方(これは日本人の上司達も裏で不信感や反感を懐いていた)に、登録支援機関に入る前から、既に交流していたベトナム人共同体の行事や活動に参加して、その偽善ぶりや欺瞞ぶりを知っていたが、登録支援機関で再度、そして今度は、プライベートとしてではなく、ビジネスとして交流することになり、その偽善ぶりや欺瞞ぶり等がますます現れ、さらに、ベトナム人の先輩と日本人の上司達のやり取りから、特定技能の先は明るくないと予見し、事実上辞めて、今現在に至る。

 以上が、著者である自分「LVN」の経歴である。なお、後々に拙作『家政』(自伝)に、必要最低限の守秘義務を厳守しつつ、これらを詳述していく。

3 晏子と道元禅師の遺徳に助力を求めて

 自分は、二〇二一年から、ある医療機関の一般スタッフ(医療に関する資格が無い労働者)のアルバイトとして働いて、生計を立てながら、哲学者・思想家・小説家として、ブログやサイトの運営活動や執筆活動を行っていたが、二〇二二年からは、さらに運営活動や執筆活動を発展させていくことを決行している。そして、前述の経緯と、一年を経て、心の整理や精神の修養が完了し、そして父からの論理的かつ現実的な叱咤激励によって、二〇二二年二月十三日にこの拙作の構想を立て、そして今この解題を著述している二月十六日に、Yahoo!ニュース

から、日本の外国人労働の再開は、そう遠くないと予見して、前作『卡斉政要 ポーランドの大改革と革命戦争』の完成後に、直ちに執筆に取り掛かれるように、今日、概要と目次・解題等を完成させて、下準備を完了させておくことを決行した。

3.1 晏子

 さて、拙作の構想は、自分の学問の初志と哲学に決定的な影響を与えた『論語』と並ぶ『晏子春秋』から構築した。拙作の扉と目次に著述している、

富民(Phú Dân) 安衆(An Chúng)
節欲(Tiết Dục) 中聴(Trung Thính)

の四つの言葉(カッコ内はベトナム語)の出典は、『晏子春秋』からである。

【景公が晏子に向かって、『人民を富ませて大衆を安んずること』は問い、晏子は、『欲望を節制して厳正中立に傾聴する』と答えた。】
 景公が晏子に向かってこう問うた。
「人民を富ませて、大衆を安んずることは困難なことであろうか?」
 晏子はこう答えた。
「容易なことでございます。欲望を節制すれば人民は富み、厳正中立に傾聴すれば人民は安らぎます。」

『晏子春秋』(内篇 問下 4:7)

 主題の「移民の志」は、前述の通り、日本在住のベトナム人の移民である自分が、第二の祖国日本に対する愛国心から名付けたものであり、副題の「三百の哲学的な提言」は、『晏子春秋』の「内篇 雑上 5:26」の話で、晏子に三百篇もの著述を献呈した「泯(びん)子(し)牛(ご)」と言う遊説家の話を参考にして、泯子牛の三百篇の著作がどんな内容なのかが一切不明であることに対する痛惜と、自分が深く尊敬する孔子が敬慕した晏子に対する、深い敬慕をから設けた提言である。

3.2 道元禅師

 さて、提言を設けていくために、晏子と、もう一人のどの日本人の先哲に学ぼうかと思索していた。

 まず、従事している医療機関での現場と労働環境の悲惨さをはじめ、父からの社会の現実、そして日本の勤労文化と、激増し続ける外国人労働者への依存的かつ無責任な需要という惨状に苦悩して、次に、宋明理学の「性即理」と「心即理」に、アリストテレス先生が『自然学』や『形而上学』で著述した「不動の一者」を再度学び直していく内に、仏教哲学を思い出して、そして、西嶋和夫先生の著訳の書『中論』(金沢文庫、1996)を思い出して、再び味読していく内に、西嶋先生が長年に亘って参究してきた道元禅師の存在に再度深く注目し、西嶋先生はp.267の「結語」に、

 中論をサンスクリットの原典から直接日本語に翻訳した時点で強く感ずることは、従来漢訳経典を通じて行われてきた解釈と今回行った解釈とが、あまりにも違い過ぎるという一点である。両者は同一の原典から出たものとは到底考えられないほど異なっている。
 そして同一の原典から行った翻訳が、なぜそのように異なるのかを考えてみると、はしがきでも述べた通り、仏教の信仰対象であるダールマに関して、それを実体のない理法のような抽象的な存在と見るか[A]、あるいはそれを物心一如の観点から物質的な実体を含んだものと解するか[B]の基本的な立場に大きな相違があることに気付く。しかしこの問題は仏教哲学の根幹に触れる大問題であって、(中略)

と著述されたが、実際に、他の『中論』の訳並びに解釈と比較しても、同一の原典から出たものとは到底考えられない程までに異なっているということは、一目瞭然である。そして、後半で西嶋先生が述べられた「ダールマ」に関する二つの哲学的な観点から、改めて宋明理学並びに朱子と王陽明の儒者が、仏教哲学(と老荘哲学)から絶大な影響を受けた(Aは朱子学の哲学「太極」、Bは陽明学の哲学「良知」に、本質的には酷似している)と実感すると同時に、それらを「異端」として、表面上、ほぼ全否定や排斥したことで、『論語』(子張 19:6)の「博学篤志」が出来なかったことを、自分は儒者の一人として、深く痛惜している。

 こうして、自分は道元禅師について学び、特にその主著『正法眼蔵』について調べ始めた。

 そして、ざっと調べてみた結果、難解だが、道元禅師の思索と体験等によって生み出された高度で深い思想が多く詳述されており、私見として日本の哲学・思想の代表作の一つと思い、そして、陽明先生の仏教に対する受容的な批判を通じて築き上げた「良知」、さらに、タイの仏僧である「プッタタート」先生の「仏教社会主義」と、こよなく愛する祖国ベトナムの仏僧である「Thích(ティク) Nhất(ナット) Hạnh(ハン)」先生の「社会参画仏教」(行動する仏教)を参考にして、晏子との遺産並びに遺徳と同様に、『正法眼蔵』をはじめ、道元禅師の遺産並びに遺徳を、懐疑的かつ批判的に学び修めては、発展や深化させて、今回の拙作の三百の提言の構築の助力とさせて頂くことを決行した。

 なお、「Thích(ティク) Nhất(ナット) Hạnh(ハン)」先生は、今年度の先月の二二日にお亡くなりになられた。先生が余生と最期を祖国ベトナムで過ごすことが出来たことに対する喜悦の念と、先生の死に対する哀悼の念を、謹んでここに示します。

 そして、先生の様々な著作は、自分の父と自分を、精神的・心理的に大きく救済や救恤したことに対する深謝の念と、今後、自分はさらに先生の遺徳を学ばせて頂く志を、ここに示します。

4 参考文献

 拙作の主要な参考文献と表紙の出典は、以下の通りである。

『原文対照現代語訳 道元禅師全集』〈全17巻〉(鏡島 元隆⦅監修⦆、春秋社、1999-2013)

『正法眼蔵』〈第01巻~第09巻〉  『永平広録』〈第10巻~第13巻〉
『語録』〈第10巻~第13巻〉    『清規・戒法・嗣書』 〈第15巻〉
『宝慶記・正法眼蔵随聞記』〈第16巻〉 『法語・歌頌等』 〈第17巻〉

 先哲や諸賢、研究者や出版社の方々の碩学(せきがく)や偉業に、誠に感服と深謝する。
 そして、拙作の提言が、日本に少し貢献できることを切に願っております。

5 結語

 日本人の皆様方、宜しくお願い致します。

ありがとうございます。心より感謝を申し上げます。