平和の扉…
2024年 8月9日(金)
今日の景色…
〈気になる記事・後半…〉
およそ20年前、驚くほど日本と世界の今を予言していた半藤一利さん。「戦争というものは、本当に人間がやってはならない一番最大の悪です」
(記事本文抜粋…)
ベストセラー「昭和史」シリーズをはじめ、昭和史の語り部としてたくさんの戦争関連書を遺した半藤一利さん。半藤さんが日本人に伝えようとした大切なこととは何か。「戦争で死に損なった男の夢みたいな話かもしれませんが」とことわりながら語った言葉は、日本がこれからの時代を生きていくための道標となるでしょうか。 書籍『日本人の宿題 歴史探偵、平和を謳う』より、半藤さんが「若い人に」と語ったメッセージを抜粋して公開します。
日本はどういうふうにして生きていこうとしているのか
半藤 戦後六十年を機会に歴史を振り返りながら、これからの日本を考えているわけですが、戦後の日本人というのは、もう少し開けた人間であったはずなんですよ。それはもう、国際社会の中に仲間入りしなければいけないと思っていましたから、一所懸命、そういうことで頑張ってきた。国際社会の中の日本であろうと、努力をしてきたわけです。しかし、いまはどんどん閉じていますよ。外国旅行はしていますけれど。
――すごい数ですよね。そういう意味では、国際社会に開かれているような気がいたしますが。
半藤 いや、何も見てこないんじゃないですか。見てこないというか、誰ともそれほど付き合ってこないんです。日本人ほど付き合いの悪いやつはいないと、よく聞きますよ。 戦後日本を考えますと、本当にあの焼け跡の中から、一所懸命に日本をつくってきたんですよね。やっぱり、日本人のエネルギーというのはすごいと思うんです。もう少し真面目になって、あんまり自分たちだけで自己満足しないで、「明日の日本をつくる」というかたちで真面目に、もう少し誠実になって、そして頑張る。だって、廃墟からこれだけのものをつくったわたしたちですよ、もういっぺん国をつくり直すことくらいできる、と思うんですがね。
――何をやってよいのか、それが見つからない、という若い人もいますね。
半藤 これはやはり、政治の問題ですよね。政治のトップに立つ人たち、経済のトップでもいいですけれど、日本のトップに立つ人たちが、国家目標は何であるかという、大きな意味の戦略、あるいは政略、そういうものを打ち立てないで、すぐに成果を生むような短兵急の発想でしか考えない。本当に、日本はどういうふうにして生きていこうとしているのかという、そういう世界観がなくなっちゃいましたよね。 「目的のある時代の人間はいいんだよ。みんな一所懸命になれるんだよ。目的に達すると、もうどうしようもないんだよ」と言う人がいますけれど、そういうあきらめの話ではなくて、新たなもう一つの目標を国として立てて、そして押し進めるというぐらいの力と情熱は日本人にあるわけですから、すべきだと思いますね。
――もう物を求める時代は終わったというふうになってくると、では、何を求めていったらいいかというのは、非常に難しいし、逆に言えば、本当に贅沢な悩みでもあるわけですよね。食べられない人たちがまだ世界には、たくさんいらっしゃるわけですから。
半藤 それはもう贅沢すぎる悩みですね。しかしながら、何も将来に夢を描けないという、それこそ、「坂の上の雲」がなくなっちゃったというのは、もっと気の毒なんですね。 もうね、年寄りの夢みたいなことを言いますと、いまだからこそ、平和憲法から平和主義というものを世界中に押し進めるぐらいのことを、日本人が情熱を持って、やり直したほうがいいと思っているんです。 昔は、戦争というものは国家主権同士の戦いだったわけです。これは国際法にもちゃんとそうあります。ところが、二十世紀の終わり、一九九九年に北大西洋(条約機構)軍(NATO軍)がコソボの問題(*)に介入しまして、爆撃をしたんですね。あのときの理由が、「人道のため」と言う。人道のために爆撃をして、一国の国家主権を踏みにじってもOKなんだという戦争論を、あそこで持ち出したんです。わたしはあのときから、「二十一世紀というのはとんでもない世界になるぞ」と思いだしたんですよ。 過去の戦争論、つまり、国際法に基づく過去の戦争論は全部ご破算です。なくなっちゃった。これは一種の予防戦争なんですが、危険と思われるやつを先に叩くのは正しいということで戦争が始まるわけですね。 こういうことが、いわば、現在の世界なんですよ。この理屈でいくと、どこでもやれます。宣戦布告しなくてやるわけですから。「人道のため」と言えば、ちょっとした国は全部が人道のために爆撃できる。それから、危ないと思った国を先にやれるとなれば、またこれ、どこでも叩けるわけです。人類は非常に危険なときなんです。
――そうですね。しかも、科学の発達ということで言えば、兵器もどんどん強力になっていますよね。
半藤 強力になっています。ですから変な話ですが、遠くからボカボカ撃って、自分のほうは何の被害もないということはあり得るわけで。それは、いまの人類が直面している最大の危機だと思います。 そのときに、やっぱり日本が、「よし、日本が世界のトップを切って、みんなして努力して平和で行こうじゃねえか」ということを国家目標として打ち立てて、バカにされようが何しようが、これを「わが日本の、これからの二十一世紀の日本の生き方である」とやって、頑張ったっていいじゃないかと。 これは、戦争で死に損なった、空襲で死に損なった男の夢みたいな話かもしれませんけれど、そういうような大きな理想を打ち立てて、日本がこれからの時代を生きていくというのは、わたしは非常に大切なことだし、いいことじゃないかと思うんですがね。
――「坂の上の雲」をそのぐらいのところに置かないといけないと。
半藤 置かないといけなんじゃないかと思いますね。
著者情報
半藤一利(はんどう・かずとし) 1930年、東京生まれ。作家。文藝春秋に入社し、「週刊文春」「文藝春秋」などの編集長を歴任。著書に『昭和史 1926─1945』『昭和史 戦後篇』『日本のいちばん長い日』『ノモンハンの夏』など、共著に『太平洋戦争への道 1931─1941』など。2021年1月逝去。
👉「いまだからこそ、平和憲法から平和主義というものを世界中に押し進めるぐらいのことを、日本人が情熱を持って、やり直したほうがいい…」
「よし、日本が世界のトップを切って、みんなして努力して平和で行こうじゃねえか」
「それを国家目標として打ち立てて、バカにされようが何しようが、これを『わが日本の、これからの二十一世紀の日本の生き方である』とやって、頑張ったっていいじゃないか…」
こんな…
「人道のため」と称した『目には目を』の戦争を興すこの世のこの時代のスタンダードからドロップアウトし、この日本が覚醒して、そんな国になることは出来ないものでしょうか…。
この今の時代のこの日本に…
またイエス・キリストのような救世主が現れたら素晴らしいのですが、その当時のイエス・キリストでさえも、その時代の人々が長年待ち望み期待していたスーパーマンのような救世主ではありませんでした…。
その手品のような奇跡で世界を一変してくれるような…
今のこの世のこの時代であっても、もはや一人のカリスマが現れるだけでは駄目なようで、より多くの人々が目覚め覚醒することでしか、その平和の扉を開けられないようです…。
でも…
そんな世界で唯一の被爆国であり…
広島と長崎という被爆地を有する日本国とその日本人というのが、やはりこの世のこの時代の中でいちばん“そこ”に目覚めて覚醒し得る唯一の国なのではないでしょうか…。
そのためにも…
何とかこの79年間守って来た「日本国憲法」を貫き、そして更にこの『目には目を』の流れから脱却して、我々日本人の先人たちが示し遺してくれた精神で、みんなで変わり・変えて行ける人間に生まれ変わろうではありませんか…。
そんな気持ちを新たにする…
8月6日であり、8月9日で在りたいです…
〈気になる記事・前半…〉はこちらから…
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