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随筆またはエッセイ

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躁状態で書いたものが多いです。(下にいくにつれて躁) ちょっと意味わからないかもです。
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2019年11月の記事一覧

わたしのアンラーン師匠

「僕は、“覚える”ことよりも、習ったことを“忘れる”ことの方が大変だったし、一生懸命やった」

勉強したことを覚えていられず、すぐに忘れてしまうと言ったわたしにそう話してくれたのは、94歳の紳士だった。

それは、「アンラーン」ではないか。 

「アンラーン」は哲学者・鶴見俊輔が、ハーバード大学に単身留学中に偶然出会ったヘレン・ケラーとの会話の中の言葉を広めたものだ。
当時十八歳だった鶴見氏が、夏

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モルフォジェネティック・フィールドへようこそ

目覚ましネコ或いは時計ネコなんてものまで使って、わたしがこうして朝方から綴っている言葉に意味はあるか。 

もちろんない。 

「でも…不躾で恐縮ですが、それではなぜ書いていらっしゃるのですか?」
と、独学者たるオジエ・pにそう尋ねられたロカンタンのように
「ええと…何と言うか、まぁ、書くためですね」
と鮮やかに答えられたらいいのに、とは思うけれど。 

「無人島にいてもお書きになりますか?人は常

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わたしの頭の中の語り部

躁状態になると、脳内に言葉が増える。
頭の中に常に言葉が流れている状態、それが躁状態のひとつなのかもしれない。 

言葉、というより声に近い。
大抵語るのは自分で、他の人の声を聴くことはめったにない。
他人の声で脳内が埋め尽くされるようになったら、いよいよヤバイのかもしれない。まだ大丈夫だ。 

それを考えると、双極性障害として自覚の歴史は浅くとも、実は病歴としてずいぶん長い可能性もある。
脳内に

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嘔吐と悟り、メランコリア

嘔吐と悟り、メランコリア

実はこの現実には何もないんだ、と気がついたのは、
2016年10月6日のことだった。
同じように現実世界のむき出しの『実存』を突如発見したアントワーヌ・ロカンタンは嘔吐したが、わたしは、と言うともちろん吐いたりなどはしなかった。なぁんだ、そっかぁ、と思ったくらいだ。
その時の心境が、日記にこうして綴られている。

2016年10月6日
「悟り」   

私には、何もない。
生まれた時から、生まれて

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