わたしの頭の中の語り部

躁状態になると、脳内に言葉が増える。
頭の中に常に言葉が流れている状態、それが躁状態のひとつなのかもしれない。 

言葉、というより声に近い。
大抵語るのは自分で、他の人の声を聴くことはめったにない。
他人の声で脳内が埋め尽くされるようになったら、いよいよヤバイのかもしれない。まだ大丈夫だ。 

それを考えると、双極性障害として自覚の歴史は浅くとも、実は病歴としてずいぶん長い可能性もある。
脳内に声が流れて止まらない現象を一番古い記憶で小学校3年生頃から自覚しているからだ。
ただ、脳内の声を外側に出す能力は大人になるに連れて衰えている気がする。子どもの頃は、もっとうまく出せていた。流れる声をそのままに。 

その一番古い記憶を容易に掘り起こせたのには理由がある。
小学校3年生の時に、脳内の声をそのまま出す実験を試みたからだ。
それでよく覚えている。

学校の宿題に直近3日分の日記を書いてくるというものが出された時のことだった。ただ、書くだけではなく、翌日みんなの前で一人ずつ発表するのだ、と先生は言った。
それならば、みんなが聞いておもしろいと思うものを書き上げたい。
それほど強固な意志ではなかったけれど、漠然とそんなふうに思いながら机に向かった。
いつもは頭の中の声を文字に起こすのだが、その日はいつもと違った。
思えばちょっと躁状態だったのだろう。
頭の中の声をそのまま声として出してみることにしたのだ。
日記の宿題をやる光景としては斬新ながら、この3日間を“物語る”手法をはじめて使ってみたのだった。 

これはとてもうまくいった。
とてもおもしろい日記だ。そう思った。
何しろ、語っている自分自身が語る傍からおもしろくてたまらないのだ。
まぁ、やはりちょっと躁状態だったのだと思う。
なにしろ、着席し机に向かっていたはずが、いつの間にかイスの上に立っていたのだから。   

“物語”の時点では、とてもおもしろい日記になった。そう確信した。
けれど、日記として提出するのには少し迷った。
いつもの自分とあまりに違うのではないか?と思ったからだ。
結局、大丈夫か?と思いながらも、“物語った”日記を文字にして翌日学校へ行った。
これはおもしろいという確信、創造の魅力に開花した自分に発表の場を与えてやったのである。いつもの自分ではない不安、周囲の評価がどうかというような思考を封じ込める何かがあった。 

かくして、わたしは渾身の“物語”をクラスのみんなの前で披露した。
そして、これが大ウケにウケた。
すでに発表の形を予行演習してきたようなものだったので、語りもとてもうまくいった。
予想を超える大ウケだった。先生も感心し、クラスでおもしろいと思われているような男子も「おもしれ~!」と絶賛した。
わたしの後に続いて発表するクラスメートが「この後は嫌だ」と、ちょっとごねたくらいである。 

実験は成功し、思わぬ成果を収めることとなった。
だからよく覚えている。 

ただ、残念ながら“語り部フィーバー”は、この時限りだった。
その後、何度か日記を発表する宿題が出されたが、その度に「おもしろいものを書かなきゃ」とプレッシャーに押しつぶされ、わたしは次第に小さくなっていった。 

大人になってからも実験をしたことがある。
また、脳内の“語り部”がうるさいので、外に出そうと思ったのだ。
ところが、書こうとするとどうも違っていて、なかなか進まない。
そこで、スマホのボイスレコーダーを使ってみることにした。
脳内の声をそのまま出せばいい、と思ったのだ。
しかし、これもうまくはいかなかった。
大人になって、脳内の声を拾う能力が衰えてしまったのか。 

そのうち、脳内をそのまま外部に投影できる技術が開発されないかな、とかなり本気で願っている。
脳内を流れている言葉がそのまま文字に起こされたり、声が音声化されて聞けたり、ビジョンが映像化されてスクリーンに映し出されたり。
そんなことが可能になれば、もう少し大人しくなるかもしれない。 

わたしの頭の中の語り部が。 

しかし、それまでは若干の苦しみを伴いながらこうして活字を並べる他ないのだろう。それはそれで、悪くはない。 

2019/11/22 05:07

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?