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兎がほざく

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ショート•エッセイ、140字以内。毎日投稿、どこまで続く?
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#言葉

兎がほざく1167

兎がほざく1167

言葉はなんでも言えるようでじつは選ぶのに工夫がいります。

でまかせは工夫が極端に少ないものです。

うわ言には工夫はないでしょう。

工夫とは仕上がりを想像することです。

それは技巧ではないです。
なにかしら迷いながら表せばそれは工夫だと思います。

兎がほざく1162

兎がほざく1162

声を出して歌をうたうというのは言葉が身体を取り戻すことだと思います。

詩歌は歌曲からメロディーを去ってなお言葉が身体を回復しているという際どいところのものです。

演劇と物語の関係も同様でしょう。

演劇から演技を去った際どいところに物語が成り立つのだと思います。

兎がほざく1148

兎がほざく1148

言葉と身体との関係を考えるうえで舞踊や音楽のアーティストの話はとても有益です。

生きた身体が意志によってどんな表れ方をするかが重要なようです。

生きた言葉が意志によってどう語られるかが重要なように。

表れる前の身体や語られる前の言葉はどこかで待っているのです。

兎がほざく1141

兎がほざく1141

人間は言葉を知って語り始めてから実に長い長い話をし続けます。

声で、体で、文字で。

時に独り心の中で。

文は人なりといいますがむしろ人は文なりといいたくなるほどです。

文の外にある世界は人間にはわからないのでとりあえずは置いておいていいような気がしています。

兎がほざく1139

兎がほざく1139

芭蕉は言葉で風雅の誠を取り出したのでしょうか、それとも言葉で風雅の誠を作り出したのでしょうか?

言葉の前に認識があるのか、言葉の後に認識があるのか?

その堂々巡りの外に目を向けます。

認識と言葉とはいずれも今より一瞬遅れているのでしょう。

兎がほざく1122

兎がほざく1122

言葉は一つの意味に人を閉じ込めないでみんなに開かれています。

隠喩を追いかける人はもとの意味を知ろうとします。
ぼくはその一人でした。

たぶん意味から隠喩が生まれるのでなく、ある言葉から別の言葉に飛び移っているのです。

そのある言葉だって幾通りもあり得るのです。

兎がほざく1114

兎がほざく1114

自分の詩歌は言葉のサイコロ遊びだとひそかに悩んでいました。

自分は大真面目なのにどうも軽い。

しかし感情や意味の押し付けだけはないことに気づいて少し安心しました。

言葉をポンと存在させればあとは世の中のものです。

泣きながら吹いてもシャボン玉はシャボン玉です。

兎がほざく1112

兎がほざく1112

ぼくたちは言葉を゙使って生きていて言語のシステムの制約の下にいるように思えます。

でも話されたり書かれたりした言葉はポンと存在するだけです。
そこに意味を読み取るのは主観です。

システムとは自縄自縛のような気がしてきました。

長年信じた構造主義が今揺れています。

兎がほざく1111

兎がほざく1111

言葉を話すとは文様を描くのと同じでほかの人がいったん生まれた文様にどういう意味を思い込むかは制約できません。

言葉とは願望だ、命令だ、といってもそれは話した人の主観限りのことです。

書き言葉も同じです。

生まれた言葉は万人に開かれています。

兎がほざく1110

兎がほざく1110

言葉の意味とは話す人や聞く人の一方的思い込みかもしれないと思うことがあります。

話すぼくの思い込みと聞くあなたの思い込みとは一致しないで。

お互いに一致したとかしないとか思い込むだけで。

読み書きでもそうです。

ぼくには言葉と意味の話がまたモヤモヤしています。

兎がほざく1083

兎がほざく1083

内田百閒先生は背広を着る支度に毎朝二時間ぐらいかけたそうです。

それは時間のない人にとってはとんでもない贅沢です。

みなさま、お金でなくても今余りあるほど持っているものを思い出してみると?

たとえば
若さ。
年輪。
勇気。
腕力。
友達。
恋愛経験。

そして言葉。

兎がほざく1064

兎がほざく1064

旧街道の跡を歩きました。

昔とは様変わりした現代の景色にはちがいないけれど、懐旧の感情移入を゙しやすいと思いました。

当時語られたさまざまな言葉がわれわれの言語に染み付いているかのように。

DNAのような言語の力。

人は言葉を継ぐ百代の過客です。

兎がほざく1024

兎がほざく1024

言葉は呼吸のようなもので、消えてゆくのがふつうのことです。

文芸とはふしをつけた呼吸です。

独言に終わったり、何百万の人に読まれたり。

でも呼吸した本人からは消えていったのです。

呼吸ですからラクがいいのです。
そのうえで楽しければふしをつければいいのです。

兎がほざく936

兎がほざく936

経験や考えを言葉にする時に超える一線。

経験や考えそのものとは全く別物の音や字の連なりが生まれます。

言葉に代わるというより化けるという方がしっくり来ます。

この化けるところに人にとってだいじな秘密がありそうです。

化ける前と化けた後。
その間の意欲と発声。