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日記

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3月3日(日)

3月3日(日)

水族館がすきで、ちいさなころはよく水族館へ通った。暗い室内で魚の鱗がきらきら光るのを見るのがすき。海の生き物たちについて勉強したかったから大学では生物学を専攻したんだけど、尊敬する教授に水族館ってのは生命倫理上いかがなものか、って言われちゃって愕然とした。た、たしかにそうかも、海の生き物たちがかわいそうかも、とか急に思い始めちゃって、実に単純な私。
単純な私はそのまま大学を中退して、ガラス工芸の道

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1月3日(水)

1月3日(水)

帰るのが惜しくて飲み干せなかったコーヒーが冷めていく。それは離別のためのほろ苦さだった。

ちいさな半券をもらったような気持ちだ。晴れた日だったし、心地の良い風も吹いていた。だからそれを額縁に閉じて、ずっと眺めていようと思った。

やってくるものが朝日かどうかもわからずに祈った。膝を折ると、それはそのまま祈りで、水面に反射する光が眩しい。信じたところで転がり落ちてゆく世界だったけれど、光はあったの

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11月17日(金)

11月17日(金)

本物はあまりに綺麗すぎるから、水面に揺れる月で精一杯だった。鏡に反射させた光をつないで、照らす先がわたしであること、なんだか申し訳ない。人工物と人工物との間をぬってあるくと、青い匂いも、ついぞたどれなくなってしまった。生やすことのできない月桂樹の種なんかを持て余している。あるけばあるくほど、ときみが呆れて呟いている間も、わたしはずっと、頭上の枯れ枝にとまる一羽の鳥だった。暗い夜だ。暗さがきみの言葉

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11月24日(金)

11月24日(金)

香水

他人のかおりが手首から漂う。
さみしいのがばれてしまったかのよう。
日差しの中でいちじく色のカーテンをまとうみたいに、肌は重たい衣をまとう。気をつけないと裾が地面についてしまうから、わたしずっと回っていた。自転をして、そうすればこの生活がずっと続いていくかのように。新しく、重たく、意味を持つのはいつも一瞬だけで、結局はただの砂に帰ってゆく。好きだと思ったあのパチュリの香りも、いまはもう枯れ

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12月1日(金)

12月1日(金)

プロモーションが上手いことだけが正義として一人歩きをしている。真実かどうかとか、優しさがどうだとか、そういう不器用な悩み事はぜんぶなかったことにされてしまって、真珠みたいな球体だけが浜辺できらきらと光っている。無遠慮に踏み込んでくる貴方の足の裏にちょっとの傷を負わせるくらいには、わたし、鋭いつもりでいます。柔らかくて角のないところだけを愛でているから、皮膚がどんどん薄くなる。お腹をこちらに向けて転

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11月9日(木)

11月9日(木)

僕の表皮は異様に冷えていて、それが良かっただけだろうか。ほてった心を落ち着かせるだけの単なる国語辞典の僕。かわいいって言って、書かれた単語の一つ一つを齧って欲しかった。

10月15日(月)

10月15日(月)

閉じられた部屋のなかでも、燃え続ける炎があるならよかった。締め切ったカーテンが冬の訪れを堰き止めている間に、花びらの欠けない世界をつくりたかった。愛や、永遠や、生きることの情けのない正しさが大通りを凱旋する。叫びと情熱が私の前を通り過ぎた頃、この部屋はとても寒くなる。暖炉、ブランケット、人の吐息。煩わしさのなかで手放した数々の情念たち。つぶやいた言葉がそこらじゅうに散らばって、結局のところ私の小さ

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10月9日(月)

10月9日(月)

はなれていくことが当然の生活のなかで、さみしさは、心のさみしさは、桃のあまい香りに包まれていた。はなれていくことと、わかれていくことの、ちょうど真ん中を胸を張って歩く、あなたの手を引きながら。

9月10日(日)

9月10日(日)

文字を、たどることもできず、意識は午前3時をゆらめいている。水面に映る月明かりでさえまぶしい。あらゆる手紙を海へと流してしまいたくなる。

こんな日々は、僕をさみしくさせるだけだ。

きみは僕を化かしつづけているつもり?僕はきみを、落ち葉のみえるあの公園からずっと、信じつづけてきたつもり。

3度目のコールが鳴り止むとき、もうやめようと思った。もうやめよう、という気持ちがすとんと落ちてきた。その瞬

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8月30日(水)

8月30日(水)

名前を知らない花に、ただただ美しいと触れるあなたがうらやましかった。時は崩落し、あの小さな花も、いまは瓦礫の下に埋もれている。流れる川を、うつろい変わる雲を、愛でるあなたの永遠の眼。切り崩せない愛情を抱くあなたのおおらかな両腕が、記憶のなかのわたしを抱き寄せる。おわることのない、ピリオドのない名付けを、わたしにして欲しかった。囁きは、あなたの囁きは、沼のように永遠だった。

8月23日(水)

8月23日(水)

トーマス・マンが、フロムが、ツェランが、僕に与えた言葉はなんだったか。夏の激しい日差しと耳鳴りが、脳を溶かし、文法を溶かし、文字の一画一画をふつふつと煮立たせてゆく。海水を沸騰させて残るのが塩分なら、僕の脳を沸騰させて残るのは、萎びた国語辞典だけかもしれない。なんてつまらない結末だろう。あなたを語るための文法も、レトリックも持たない僕は、きみを抱きしめてあげることもできない。

8月20日(日)

8月20日(日)

紙が、水面を何度も翻り、その度に詩が、言葉の欠片が、紙に印字されていった。滲むような、たっぷりとした文字だった。時折、黒いインクが文字から垂直に流れていくのがみえる。なんと記されているのか、僕にはわからなかった。なにせ、紙は翻り続け、詩は印字され続けたからだ。
翻ってなでつける、その繰り返しが生きるということで、人は死ぬと、紙も死に、水面は澱み、一冊の本になってしまうのだった。
あのなめらかな羊皮

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8月12日(土)

8月12日(土)

一編の詩を、なんども読むように、あなたの言葉を反芻する。弁解の余地があることだけが生きている人間の大きな特権で、それなのにここはこんなにも仄暗い。伝えたかった愛情の音階が、ひとつ、ふたつ、ずれるたびに、あなたは耳を塞ぎたくなるでしょう。あなたの身体はすでに、脈動を失ってしまって、つめたく、かたい。大きな広場に飾られる大きいだけの銅像になって、威厳と信念とが、ときどき反射して光るだけだ。テクストにも

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8月1日(火)

8月1日(火)

「また、良い明日に会いましょう」
良い明日、はやってくるだろうか。積乱雲がとぐろを巻き、そらは時々夕立を連れてくる。道端でみみずが乾涸びているのをみた次の日にかぎって雨が降り、きみは少し悲しくなるのだろう。きみの悲しさはいつも、地を這う蟲や、きみの血を吸う蛭や、田園の蛇なんかに向けられている。幼少期を懐かしむような心がまだそこに見え隠れするということ、それだけが僕の救いだ。あの夏に足を浸した用水路

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