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13・番外編:海に咲く向日葵(昆布の章)

 ああ、やはり昭和40年代はいい。
 この、どんよりと重い空気感。煮染めたような街並みの色合い。饐えたような臭い。
 混沌としているようで、穏やかだ。そして、闇雲なパワーだけは感じる。
 70歳代も後半にさしかかり、懐古趣味と言われようが、過去に戻りたくなる時が往々にしてある。
 私は孫に「おじいちゃん」と呼ばれ出すと、今まで感じなかった老いを一気に自覚した。同時に、過去に遡ってみたい衝動を覚えたのだ。
 だが、自分が生まれてもいない時代に懐かしさをおぼえるのはどういうわけだろう。
 私は一歩一歩踏みしめながら「昭和41年の北陸本線・下り列車」……それも鈍行に乗り込んだ。
 私は、初めての時間旅行に「昭和40年代」を選んだ。
 2077年、空前絶後の財政困難となった政府が「国際歴史時間管理機構」の管理下で「タイムトラベル」ツアーを売り出した。藁をも縋る思いだったのだろう。
 宇宙旅行同様かなりの高額だ。歴史研究者や歴史好きの大金持ちの大多数は、卑弥呼の時代を選んだ。戦国時代や幕末も人気だった。
 その場合、歴史時間管理者の同行が必要だ。
 歴史を変えるような行動・言動をしないために常に監視されることになる。
 もちろん、私も契約書や保険に関する書類は嫌になるほど書かされた。
 だが、「昭和30年代」以降の時間旅行に関しては同行者はなく、タイムGPSを持たされただけだった。
 私が、提出しておいたタイム・スケジュール以外の行動を取った場合、「タイム・ドッグ」なる時間修正屋が連れ戻しにやってくる。それで、タイム・オーバーだ。
 私は歴史家でも冒険家でもなく、ただ両親が生まれ育った「昭和」を見て、味わいたかっただけだ。
 そう、気軽な「昭和」散歩に興じるつもりだった。
――海向日葵(うみひまわり)の文庫本を持って……。
『汽車が好き。ガタンガタンという揺れが心地よく身体に残る汽車が好き。海岸沿いを、田園風景の中を、力強く、時に優しく走る、あの物体が愛おしい。
 汽車が当たり前のように走っていたあの時代――昭和40年代――私はまだとても幼かった――鉄道マニアなどはあまりいない――ごくごく普通の何気ない風景を私は懐かしく思い出す。
 大人たちは「汽車」と呼んでいた。だから、子どもたちも「汽車」と呼ぶ。SLのD—51のような蒸気機関車はほとんど見たことがなかった。そう。それはただの古いディーゼルの「列車」だったのかもしれない。大人たちはまた「国鉄」とも呼んでいた。』
 あまり上手いとも思えない紀行文だったが、私はこの本にとても惹かれた。
 父の書庫にあった古い文庫本。
 父はとてつもない読書家だった。私が物心ついた頃にはすでに家は図書館状態だった。堅いビジネス書から小説、エッセイ、ライトノベル、マンガ……何千冊あったのだろうか。電子書籍と合わせると、速読もできた父は何万冊と読んでいたはずだ。そして、気に入った本は何度も読み返す父。
――私は父が大好きだった。
 父が亡くなった数年後、父の書庫の片隅に一冊の古ぼけた文庫本を見つけた。
 初めて見る「海向日葵(うみひまわり)」というペンネーム。調べてみてもその人物のことは何一つ分からなかった。
 手がかりは、その文章から昭和40年代前半に北陸で育った女性ということ。そして、魚をよく食べる人だったようだ。
『北陸本線を北上する汽車は海岸のすぐ近くを走る。日本海は荒海。私が憶えている海はいつも荒れていた。灰色の空が重くのしかかり、イライラと荒れ狂う海を見ながら、それから逃れるように走る。親不知(おやしらず)を越えるまでの辛抱だ。だが、その荒海からいつも目が離せなかった。』
 私は改めて窓の外を見た。
 この本にあるように、今日も天候が良くない。雨が降り出してきた。
 身体にまとわりつくような湿気を感じる。
 列車の窓は薄く曇り、徐々に外が見えなくなってきていた。
 列車はガタンと大きく揺れ、「魚津(うおづ)」という小さな駅に停車した。
(ここから海はまだ見えなさそうだな……)
 ……その時!
 気配を感じて、ハッと顔を上げると目の前には黄色いひよこが立っていた。
 いや、ひよこに見えたのはその格好からだ。
 黄色い帽子をかぶり、黄色い上っ張りを着て、幼稚園のバッグを斜めがけにして、ひよこは私をジッと見ていた。
 そして、幼いながらに緊張した面持ちでいきなり私にこう言ったのである。
「直江津(なおえつ)まで行きましゅ。よろちくお願いちまちゅ」
 言い終わるとひよこはペコリとお辞儀をして、私と向かい合わせの座席にちょこんと座った。
 私は咄嗟にあたりを見回した。乗客はほとんどいない時間帯……親や同行者らしき大人はどこにも見あたらなかった。
「一人で直江津に行くのかい?」
 ひよこはコクリとうなずいた。
「お父さんかお母さんは?」
「送ってくれた……」
 ……駅までか!
 一人で列車に乗せたのか!
「お嬢ちゃん、お名前は?」
「かなちゃん……」
「かなちゃんはいくつかな?」
 小さな指が四本立った。
「四つ……もうすぐ五つ……」
 私は衝撃を受けた。
 すごい時代だ。こんな幼い子を一人で列車に乗せるなんて……。
 私なら孫にそんなことは絶対にさせない。
 そういえば……昔、子どもにおつかいをさせるテレビ番組があったが、そんな甘いもんじゃない。親は同行しなくても、カメラマンなどスタッフがこっそりついて行っているテレビ番組とはワケが違う。列車の中だけとはいえ、これはリアルに一人旅なのだ。到着の駅まで約4時間……小さな胸は不安でいっぱいだろうと推測した。
 親は心配してないワケはないだろう。犯罪史に残る誘拐事件だって、この数年前に起こっているはずだ。自分の子どもがそんな目に遭うなんて想像はしなかったのだろうか。
 不思議な時代だ!
『……一人で列車に乗ると、幼い私は乗客の中から優しそうなおじいさんを探した。そして、必ずこう言ってお辞儀をするようにと、練習までした記憶がある。
「○○まで行きます。よろしくお願いします」
普段から人見知りが激しく、母親以外と話すことがない私はとても緊張していた。到着予定の駅には伯母と従姉妹がクルマで迎えに来てくれているはずだった。そこまでは何とか一人で行かなければならない。伝えてあった駅に着いたらおじいさんが教えてくれる。若い人よりおじいさんを選べば危険はないというのは親の言いつけだったのか、それとも幼いながらの防衛本能だったのか……』
 思い出した!
 海向日葵(うみひまわり)の紀行文にもそうした記述があった。
 この時代、こんなことはよくあることだったのか……。
 私は目の前に緊張して座っているひよこ……いや、かなちゃんに話しかけた。
「帽子脱いで、カバンも外した方が楽だよ」
 かなちゃんは帽子を脱いだがカバンはそのまま斜めにかけたままだった。緊張は解ける様子はない。真一文字にきゅっと口を閉じ、息まで止めているような感じだった。
「かなちゃん、一人で偉いねぇ~」
 すると……かなちゃんは緊張からこわばっていた表情を一気に和らげ、満面の笑みを浮かべた。「昭和」の子どものリンゴほっぺだ!
 それでも、かなちゃんはかなり恥ずかしがり屋なのか……その後、私が話しかけてもその首を縦に振るか横に振るかしかしなかった。
 冷凍ミカンや携帯用のプラスティック容器に入ったお茶をすすめても首を横に振るだけ(初めて見る「昭和」の旅アイテムに感動して、ツアーガイドから支給された当時の貨幣を使って、ついつい買ってしまっていたのだ)。

 彼女は、私の真向かいの座席にちょこなんと座っている。
 私はふと目に入った彼女の名札を指差した。
「かなちゃんはヒマワリ組さんなのかな?」
 胸に付けられた「かな」と書かれた名札はヒマワリの花の形をしていた。
 こんな個人情報を晒すなんて、なんて無防備な時代なんだろう。
 かなちゃんはコクンとうなずいた。
「ヒマワリのお花は好き?」
 また、コクンとうなずいた……と思ったら突然立ち上がり、窓の下にある一段高くなっている足かけのような台に上ったではないか。
 彼女の突然の行動に驚いている私にはお構いなしに、曇りガラスとなった列車の窓に小さな指でヒマワリの花を描き始めたのだ。
 手を伸ばして、花びらをたくさん描き、茎や葉まで全部描き終えると、座席に戻り、恥ずかしそうな笑顔を見せた。
「かなちゃん、うまいね~。お絵かき上手だね~」
 かなちゃんは顔を真っ赤にしてはにかんでいる。
――この子はかなりの赤面症なんだな。
 本当に子どもの行動は突飛で読めない。こんな人見知りの子どもにさえ驚かされる。
 人見知り度合いも半端ではなかったが、それよりも親のしつけの厳しさが表れている気がした。推測に過ぎないが、かなり怖がらせるようなしつけなんだろう。
 私は彼女が可哀想になった。すでに情が移っている。
 かなちゃんがまた少し動き始めた。今度は幼稚園バッグを開けて、何かを大事そうに取り出した。
 透明のビニール袋にくるまった小さな箱……それは弁当箱のようだ。
 かなちゃんは意を決したような表情をして、それを私に向かってグイと差し出した。
 行動がまるで読めない。
 私に、弁当を食べろということなのか……。
 しかし、目の前に差し出された弁当箱を見て、私はまた驚いた。
 子供用の小さな弁当箱に描かれたキャラクターが当時人気のアニメ「鉄腕アトム」だったからだ。
 これはマニア垂涎の貴重なお宝だ!
 持って帰ればとんでもない値が付くのは間違いない。
 だが、それは時間旅行の規定違反になる。喉から手が出そうな気持ちをぐっと押し殺す。
 私は震える手で受け取り、ビニール袋から取り出した弁当箱の蓋をそっと開けた。
 そこには……!
 またまた驚かされた。本当に驚かされっぱなしである。
 弁当箱を開けると、そこには大きな昆布が一枚……それも濡れたような状態で横たわっていた。昆布を食べろというのか……?
 だが、よく見ると昆布は何かを包んでいるらしく、盛り上がっているのだ。
(……中に何かが入っているらしい……)
 昆布の端を指でつまんで上げると、中には白身魚の刺身が並んでいた!
(こっ……これを食べろというのか……?)
 不思議なプレゼントだった。ヒマワリの絵を褒めたからお礼のつもりなんだろうか?
 しかし、醤油もない……。このまま食べるのか?
 湿った昆布が糸を引いていたので、私はこの刺身はすでに腐り始めているのではないかと、一瞬躊躇したが……腐敗が始まった臭いは全くしない。
 その時また、私は海向日葵(うみひまわり)の紀行文を思い出した。
『昆布締(こぶじ)めは、富山県の伝統的な料理。いいえ、料理というほど難しいものではないのです。ヒラメなど白身魚の刺身を昆布に包んで一晩冷蔵庫で寝かせるだけ。簡単でしょ。でも、これが普通の刺身を美味しくする保存法の一つなのです。』
 そうだ!
 「昆布締め」だ。これが「昆布締め」なのか!

 そうか……分かった!
 この時代、まだタッパーウェアがないか、またはあまり出回ってないはずだ。
 この弁当箱はタッパーウェアの代わりで、それに入れて、刺身を持って行かせようとしていたんだ。
『富山には江戸時代から北前船で昆布が送られてきていました。北海道からたくさん昆布がやってくるのです。富山は昆布の消費量日本一の県。だから、昆布を使った料理がたくさんあるのです。』
 私はかなちゃんに目を戻し、尋ねてみた。
「これ、食べてもいいのかい?」
 かなちゃんはコクンとうなずいて、「ちょっとだけ……」とつぶやいた。
 なるほど。昆布締めになっている刺身を一切れ、二切れなら分からないだろうと考えたんだろう。
 私は彼女のお言葉に甘えて、めくった昆布の上から刺身を一切れつまみ、そのまま口に入れた。
 ……うっ、美味いっ!
 なんだ、この美味さは!
 普段、食べている白身魚の刺身とは身の締まりが違う。旨味も格段に上がっている。
 醤油を付けなくてもそのままでもいけるのだ。
『昆布締めにすることで刺身の保存日数が少し伸びるのです。その上、もっと良い事に栄養分がアップします。まず、昆布の旨味成分であるグルタミン酸が刺身に移り、普段の味より深い旨味が出ます。また、昆布に水分を吸われ、身の締まりが良くなるのです。食感もとてもいい。糸を引くのは昆布から出るムチンという成分。納豆などにも入っている成分で美肌にもいいといわれているようです。私は大人になってから昆布締めがマイナーなものと知り、「何故、みんな昆布締めにして刺身を食べないのか」と不思議に思ったことがあるぐらい昆布締めが好きです。あ、それから昆布締めにした後の昆布ももちろん食べられますよ。刺身からの水分を吸って柔らかくなって、こちらも美味しいのです。』
「かなちゃん、もう一切れだけいただいてもいいかい? これで最後にするからね」
 そう言うと、かなちゃんはまたコクンとうなずいた。
 私は、二切れ目をじっくりと口の中で堪能した。
 そして、帰ったら海向日葵(うみひまわり)の紀行文にあるレシピを参考に「昆布締め」を自分で作ってみようと心に決めた。
『「ヒラメの昆布締めの作り方」(1)ヒラメの刺身1さくに軽く塩を振り、しばらく置く。(2)酒を含ませたキッチンペーパーで、幅の広めの昆布を叩くようにして湿らせる。(3)先ほどの(2)の昆布2枚の間に(1)のヒラメの刺身1さくをはさみ、その全体をラップでくるむ。(4)冷蔵庫に入れる。◎これをいくつか作り、冷蔵庫に寝かせる時間をそれぞれ変えてみるのも美味しさの楽しみ方。例えば、「数時間」「一晩」「二~三日」といった具合。美味しさの変化が見えますよ。』
 先人の知恵とは大したものだ。
 これを食べられただけでもこの時間旅行に申し込んだ甲斐があったと思う。
 その時……。
 フッと車内の電灯が消えた。
(停電か!)
 すると数秒で、また電灯が点いた。
 目の前のかなちゃんは、目を見開いて、あたりをキョロキョロと見回している。
(ああ、これは異なる電気方式の接続点……架線に給電されていない区間…「デッドセクション」だ)
 おびえたような目で私を見るかなちゃんに私は分かりやすいように説明する。
「かなちゃん。ビリビリっと電気さんが通ってるから灯りが点くの分かるかな? ほら、電気を点ける時、ヒモを引っ張ったりするだろ? ビリビリ電気さんがちゃんと来られるように綱引きしてあげるんだよ」
 かなちゃんは興味深そうにジッと私の話を聞いている。
「そのビリビリ電気さんが来てくれるから、この汽車の灯りも点いてるんだ。分かるかい?」
 かなちゃんはコクンとうなずく。
「それでね、ビリビリ電気さんは一人じゃなくてね、いろんな子がいるんだよ。うーん……そうだ! さっきの電気が消えた所まではヒマワリ組さんの男の子。そこから先はサクラ組さんの女の子。ビリビリ電気さんにも男の子と女の子がいるんだよ。ヒマワリ組の男の子とサクラ組の女の子が「こんにちは」「さよなら」をする所なんだよ」
 かなちゃんは嬉しそうに目を輝かせた。
 そして、天井に向かって小さな手を振った。
「さいなら。こんにちは」
 私は胸がきゅっとした。
 この子の笑顔にはどこかで出会ったことがあるような気がした。
 私たち二人はそれから「鉄腕アトム」のアニメ主題歌を歌ったり、しりとりをしたりして楽しんだ。
 私の中に、彼女を連れて帰りたいような……ずっと一緒にいたいような気持ちが芽生えていたが、それをグッと押し戻した。
(この子は「海向日葵(うみひまわり)」だ。間違いない……絶対に「海向日葵(うみひまわり)」だ)
 私はそんな思いに支配されていた。いつの間にか確信に変わっている。
 だが、あっさりと別れの時はやってくる。
「かなちゃん、直江津に着いたよ」
 そう告げて、黄色い園児帽をかぶせてあげると、かなちゃんは私を見上げて、口を真一文字に締めた。
「おじいちゃん、ありがと……ございまちた」
「キチンとお礼が言えるなんて、かなちゃんは本当に良い子だね」
 そのしつけの良さが……悲しかった。
「かなちゃん、気をつけてね」
(これからの人生……気をつけてね)
「さいなら……さいなら」
 かなちゃんは私を何度も振り返り、小さな手をひらひら振りながら列車を降りていった。

「羽田開(はねだかい)さん……昭和40年代前半の旅はいかがでしたか?」
 ふいに名前を呼ばれて振り返ると、そこにはツアーガイドが無表情で立っていた。
 感傷にふけりたい私を現実の「時間」に引き戻す奴だ。だが、タイム・ドッグ(時間修正屋)ではなかったのでホッとしていた。
「ああ、堪能したよ。やはり昭和40年代はいいね。いろんな発見もあったし……」
「では、タイムスケジュールの行程を進めましょう。次のコースは昭和40年代後半でしたね」
「そう……次は、子供の頃の父と母に会いに行く」
「いいですか。接触、会話は厳禁です。肉親の場合、見ることしかできません」
「分かっているよ。でも、見るだけでもその空気を感じるだけでもいいんだ。どんな子供だったか……ひと目だけでも……」
「では、転送いたします。良い『時間』をお過ごしください」
 私は、今まで二人で座っていた座席をふと振り返って……見た。
 ああ……私はこの旅を……この出会いを忘れないだろう。
 心の中にデータを焼き付けるように、記憶を持ち続ける。
 そして、いつでも鮮明にあの絵を思い出すのだろう。

 窓の外の荒れる日本海……曇りガラスに描かれた一本のヒマワリの花……。
 まるで……それは……。

――海に咲く向日葵……。

(海に咲く向日葵 ◆ 終)

表紙イラスト:布施月子(日本画アーティスト)

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