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2024年9月14日 視覚の問題


自分の五感の特徴を掘り下げるシリーズ、
これまで、このような記事を書いてきました。

五感のひとつ、「視覚」を残して、このシリーズをほっておいたことに、昨日くらいに、気づきました。
考えてみれば、自分が変化したためです。
最近は、五感のどれかが暴走して体調が悪くなるとか、
五感のどれかが敏感すぎて、生活に支障があるということは少なくなってきました。
自分という乗り物の運転に、ようやく慣れてきたということでしょう。
もしかすると、歳を重ねて来たというだけかもしれません


さて、今日は最後のひとつ、視覚について掘り下げます。
他の感覚が「敏感」とか「強い」ほうで、体調不良によってそのコントロールに困らされるのに対して、「視覚」については、基本的に、体調関係なく、「弱い」ために支障が出ることが他の4つとの違いです。





利き目と視力差


まず、視力が悪いのですが、左右で視力に、かなり大きな差があります。
右目がすごく悪くて、左目ががほどほどの視力です。
もともと左の眼球の動きが悪いため、右目で見る癖があり、右目ばかり使っているうちに視力が落ちたのではないかと思います。
ですから、両目でものを見ることが苦手で、奥行きや距離感などを捉えたり、スピードのあるものを目で追ったりすることが苦手です。
つまり、それなりの速さで飛んでくるボールを受け止めることは、目の動きが不器用なために、失敗しやすいのです。
子どもの頃はどうして自分が運動が苦手なのか、よくわかっていなかったのですが、今となっては、目の使い方もかなり影響しているような気がします。
最近では意識的に「左・左・左」と念じながらものを見るようにしています。するとずいぶん見やすくなります。
子どもの頃に眼科に通ってトレーニングをしていた記憶があるのですが、それは多分こういった理由からだと思います。
しかし、子ども相手だからか、医師や母も「左目を使った方が良い」ということをはっきり言ってくれなかったような気がするのです。
どうせならはっきり言って欲しかったものです。

とにかく目が疲れやすい


目の使い方が悪いということもあって、とても目が疲れやすいです。
カスミ目、目元のこわばりというのもありますが、すぐ目のピントが合いにくくなります、
こうなると、頭がぼんやりするのに、眠れないというモードにも入ってしまい、いいことがひとつもありません。
疲れているのに目を閉じるのが嫌という気持ちになってしまうのです。
一時期、眠りにくい時には、ホットアイマスクをしていました。
強制的に視界を遮り、目元を温めるとよく眠れることが多かったです。
スポーツ選手やプロゲーマーのように目を酷使する仕事をしているわけではないのですが、
「何にも見たくない」となる時があり、
しかし情報は欲しいので、
誰か全て、特にX(Twitter)を読み上げてくれないだろうか…と感じることがよくあります。
「目を閉じたまま、情報を「見る」ことができればよいのに」と感じるのは、
私の目、視覚がひどく脆弱で、疲れやすいからかもしれません。

その願いは、昨年からAudibleを使うことで一部実現しました。
youtubeについても、画面を見ていることはなく、耳で音声だけを聞いていることが多いです。

見てもパッと捉えられない


最近、たまに少年ジャンプを読んでいるのですが、
粒子の粗い紙に、勢いのあるタッチの漫画だと、何が描かれているか分かるまでにしばらく時間を要します。
ゴールデンカムイという漫画も、大好きなのですが、1ページにあまりにたくさんの視覚的情報が詰め込まれているので、そこに何が描かれているのかを認識するのに、かなり苦労をしていました。
どういう姿勢のどういう場面なのかをパッと捉えることがとても下手なのだと思います。
しげしげとよく眺めて、頭で考えてから、そこに何が描いてあるかをようやく捉えることができるのです。
おそらく、何かと向かい合った時、私はほとんど「見ていない」のだと思います。
聞いて、嗅いで、感触を感じてという方がずっと強く、「見る」ことから得られる情報はほんの少しなのだと思います。

真っ先に切り捨てられる視覚


先にあげたようなことから、体調が悪くなった際、私の五感の中で真っ先に切り捨てられる感覚は「視覚」です。
以前、貧血を起こした際、目を開けると、世界の色が、変わってしまったことがありました。どういうことかというと、目に見えるすべてが、3つのいろ濁った赤、どす黒い青、腐ったたまごのような黄色に塗りつぶされ、はみ出ている状態として認識されたということです。
驚きのあまり、目を瞑って休み、しばらくして目を開けると通常の色彩に戻っていました。
おそらく、最低出力の視覚のモードにするとあの程度の色や形しか、私の視覚は認識できなきのでしょう。

偏頭痛の時には、閃輝暗点と言って眩しい光が見えることがあるのですが、その時も目をつぶるしかありません。
目に何かうつすということが吐き気を催すので、目を開けていられないのですが、
おそらく、無理をして目を開けていると、この「最低出力視覚モード」になってしまうはずです。
いつも、かなり頑張って普通に「見える」ようにしてくれているのだと思います。
他の感覚が、体調不良の際は、暴走、言うなれば情報を取り過ぎてしまうのとは正反対です。
私の身体は生命維持と五感のいずれかを天秤にかけるとしたら、視覚を真っ先に切捨てるつもりなのです。
それは、私に取っての視覚が他の五感に比べるとあまりにも脆弱なるものだからだと推測しています。

弱いからこそ大事に使おう


全ての感覚が人より、優れていて、上手く使えていたらどんなにいいだろうと思いますが、
そんなに上手くいかないのが現実ですね。
私に取って視覚は脆弱で扱いにくいため、しっかり考えてこなかった感覚です。
取り扱い方がわからなかったと言っていいでしょう。
どうすれば良いかわからず、放置して来たため、他の感覚のように、自分なりの取り扱い説明も確立していない感覚なのです。
しかし、弱いということを認め、だからこそ、大事に使うということを考える時期に来たのかな、と思っています。


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千歳緑/code
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