見出し画像

題名のない人生のペインティング 《さよなら商業デザイナー(18)》

── 前回「めぐり逢いのスケッチとさよならのドローイング」の続きです

── これまでずっと「さよなら」ばかりを追い求めてきた私がいます。──このままでは今回もまた、きっと。私は「さよなら」できないことでしょう。-----《前回より》

「さよならばかりを求めている」ということは、前述してきた結論で考えると、私はつまり「さよならできない自分である」という自分を容認しているのであって、その私が求めているのは「別れ」ではなく、実は「さよならできない自分で在り続ける状態」を現実化させているだけなのです。

私には歩みたい人生があり、どんなものだとしても少なからず、生きたい自分があるのは確かです。人はもともと潜在的特性がありますから、きっとそれは幼少時や誕生した時点で既に、そう生きようとした自分がいたのかもしれません。何度も確かにその間も、自分自身がもっと大きく変わることを試みては、ほんの小さな不都合への執着によって、全体は変わらない自分をきっち自ら選んできたのかもしれません。

私はずっと拒否してきました。認めたくなかったのです。そんな「自分」になれずに、思うままに生きる事ができない自分を。そして私は「自分」を生きることができない自分を拒否して否定することによって、そうではない理想的な「自分」で在り続けたのだと思います。

そしてまた拒否感は抑圧された自我を守る為に、その心や世界観を防衛するかの如く、外部に向けての過度な攻撃性を生みます。感情はバランスを補正するかのように、誰の為ともなく時おりプラスとマイナスのエッジを双極に振り切りながら繰り返し傾くことで存在を確かめる。まるで泣きながら怒ったり、愛していると言いながら殴りつけるかのような、アンバランスな現実を生み出しては、自分自身をもっとも傷つけていくことに繋がります。

長い期間に渡り、私は自分を誤摩化し続け「こんな世界からさよならしてやる」と、何度も思い続けながら私の本当の心底では「さよなら」する気がなかったのではないでしょうか。その理由はこれまで述べてきたことと同様に、まさに私自身が「不都合な自分」に「依存」してきたのではないかと感じるのです。

ある意味で自分をずっと裏切り続けてきた。不都合な自分自身から逃げたくて、その度に不満の理由を探して正当化しては「さよならできない自分」という現実を自らデザインして、その「本当にそうありたい自分」になれない自分の言い分にとって都合のいい不都合な状況に居続けてきたのです。
そんな自分を認めた上で、それもまた「必要」でもあったのだと思えるかどうか。きっとそこがキーポイントなのではないかと思う自分がいます。


「左様なら」が示す、さよならの本当の「時点」と「理由」。

「さよなら」の語源が「左様なら」であるのも、とても日本的だと感じますが、左様なら「そうであるならば」ここでお別れと致しましょう。それではごきげんよう。という意味や情緒を含んでいます。安直な解釈ではありますが、お別れをするならば「そうである」必要があるのです。

そうである「別れ」とはどの時点を差し、また「そうである」その理由とは、どのような「要素」であるのかということを私は思うのです。

例えば、失恋をして恋人と別れ、その後、追憶の想いに心が長い間惹かれ続けることがあります。それも愛情や人情の成せる人の特性ではありますが、忘れられない過去が心の奥で、まるで「現在」としてずっと引きずり留まり続けているとも言えるその期間はある意味で「別れを成していない」謂わば「完結」できていない状態であり、またいつか新たな恋との出会いや、心境の変化や決意などによって、以前の失恋のいたみが晴れたとしたら、その時こそが、その別れの「成就」した瞬間とも表せるのではないでしょうか。

創作活動などにおいても、作品の「完成」とはどこにあるのかという感覚があります。絵を描き終えた時にある感覚の時もあれば、その絵を展示などをして公に晒した時であったり、その絵が売れて他者の所有となり手を離れた時にやっと「完成」したと感じる時もあるのです。

時に未完成のまま、どうしても腑に落ちずに何年も保留にしてある作品も、ふとある時に思い立ち手をかけて完成までに至ると、なんだかその作品が「成就」して、その頃の自分の想いなどもやっと遂げたかのように安堵の念を浮かべて、作品が「昇華」されたかのような感覚を得ることもあります。
なにを言いたいのかというと、「心残り」があるうちは「さよなら」できないのだと思うのです。そして「袖振り合うも他生の縁」それぞれの完成を成してはじめてそこで「別れ」となるのではないかということです。

もちろん現実は、離れた時点が別れであるのは確かですが、ある意味で後ろ髪を引かれるような、あくまでも心という「ご縁の名残り」までも含めると、本当の「さよならの時点」とは、時には、別れの後に自らの中で訪れる変化やけじめのような、締めくくりの時である心の時点を差すのではないでしょうか。


さよならのあとの心残りが、思い出に変わる要素。

ある意味で、唐突な別れから、はじめて思う事や見えてくる「別れの後ろ姿」を見送るような、「さよならの影」を追うような「さよならのあと」があるということでもあるのでしょう。

では、悲恋や追憶でも、時にはトラウマや執着のようなものでも、または愛情や人情だとしても、別れがさよならを適えるような、過去が現実に追いついて成就を成すための「要素」とは、なんなのでしょうか。「左様なら」と言えるまでの、その理由とは。

それは先述した「心残り」が昇華することなのではないかと、私は感じています。つまりはそれによって出会いのスケッチからなるあるひとつの時間を過ごした自分が成就しその章を終えることです。つまりは物語の完成でもあります。

その「心残り」とは、つまりは「別れの名残り」でもあり、その期間の自分の過ぎ去った「後味」のようなものでもあります。そしてその後味はそれぞれです。ただただ別れ自体が辛く悲しくその切なさの感情の場合もあれば、すべてをやりきったような後腐れのない心地よい気持ちの場合もあるでしょう。

悔しさを残す時もあれば、後悔や懺悔の気持ちに苛まれることや、嫉妬や恨みや憎しみを買うこともあります。また複雑な例には、相手を想うばかりに度を過ぎた心配の念や、過剰な程の期待や依頼心などでさえも、時には依存や執着の念として、相手に負荷がかかり束縛することもあります。まさに人の心の「情」の成せる業とも言えるでしょう。

それらの気持ちを昇華させる時。それは言葉を変えれば「消化」させる時でもあるでしょう。そしてそれは終止符を打つ時でもあるかもしれませんし、諦め切る決意や、前進する勇気や、精算や変化や、時を経て気持ちや視界も変化し、信じていた希望が一気に失望に切り替わるような気持ちになる場合もあるでしょう。

そしてこれまでに前述して来た「これまでの自分」に出会い、気づき、そして認めること。不都合の原因を自分以外ではなく、自分の中に見つけて、ある意味で省みて、ある意味で認め許して、本当の自分でもいいですし、ありのままの素の自分でもいいですし、新たな自分でもいいですし、そんな「自分」で、もやもやと後ろを向いていることをやめて、また新たにはじめてみる。

そんな季節で言えば春のような。そういった心の中の変化によって句切りが生まれ、ずっと留まっていた過去が動きだし現在に追いついて、また新たなはじまりを受け容れる。

つまり一見して後ろ向き的な「心残り」こそが前向きな要素であり、その要素がどんな変化を成すのかがあってはじめて、過去は「思い出」に変わって、本当の「さよなら」の時点を向かえて、そこでやっと「左様ならここでお別れしましょう」と成るのではないでしょうか。


思い出の印象を彩る「おかげさま」のペインティング

そう思うと、もしかすると現代の人間が思い込んでいる「過去」というものは、事実の記憶ではなく、実ははじまりとおわりだけがあるだけで、その間を、後になって埋めているのではないかと思えてくるのです。

前述した、出会いから別れまでの章句切りの人生のシナリオとも呼べる自分が描いたスケッチの途中に唐突に訪れる「さよなら」は最終ページにあたり、出会いは冒頭ページであって、その本編にあたる人生の物語自体は、いつ描かれているのかと述べていますが、その本編とは、さよならの後に記憶の中で構成しているのではないでしょうか。

出会いのスケッチで大筋をたて、別れにおいて輪郭という結末を描写する。そして、人が時に思う「あの出会いがあった御陰で」や「あの人に出会わなければ」などと思い込んでいる、つまりは「めぐり逢いの意味」や「さよならの理由」などとして記憶する「思い出」とは「後味」として、さよならの後になって味付けをしているのではなかろうかと思えるのです。

それは即ち断片的な記憶のページやカードを並び替えるかのようでもあり、または後述として解釈を加え過去を解説するかのように、思い出とは脚色でもあり、「思い出は美化される」「思い出に勝る味はない」などと言えるように、白黒写真の思い出がいつのまにかカラー写真に記憶が脚色されていて、その色合いや色調によって、物語に意味を持たせるかのように、人は思い出をペインティングしているのではないでしょうか。

主題や題名もない物語を最後に完成画として成しているのは、実は、さよならのあとなのです。色づけをつけるとは「思い出の印象」を彩るということ。そしてそこではじめて思い出になるのです。

辛かった過去も描き方次第では、ハッピーエンドにもなれば、楽しかった記憶も、どんな色で色づけするのかによっては、ネガティブな完結として完成し、思い出に刻まれてしまうということです。

そうであるならば、この私自身が題した主題も、いま、どんな「さよなら」になるかは、私の自由であり、私が描くのです。


思い出の色合いは「今をどう生きているのか」によって決まる

ここまでこの主題にて、様々な「不満」や「不都合」を述べてきました。まるで「心残り」のように、それはやはり「敵視」とも言える「不満」や「不都合」などから生じる「怒り」や「呆れ」などの謂わば「責める感情」なのだと思います。そしてそのような「責める感情を抱いた心残り」は、もっとも手を切るのが難しい「心模様の幻想」だと言えます。

なぜなら、そういった「呵責」的な感情の中には、「不満」は「憎しみ」や「恨み」のような念にも当てはまり、また「恨み」の裏側にもれなくついてくる実体とも言える感情は「恐れ」という恐怖感も同居しているからです。

「不満」があるということは、なにかしらの「抑制」を自らに強いているということですから、それはなにかからの「脅威」や従わざるをえない「責務」や、事によっては「脅迫観念」があることは事実なのです。

故に、そういった感情を称して「トラウマ」と呼びます。その思いの大小は様々ですが、それが事物であれば、過去の経験によって高所恐怖症などになるのも代表的な例ですし、それが人間関係であれば、時には根は深くなる場合もあります。

なぜならこれもこの主題のはじめの頃に前述したように、同一人物に対して嫌悪と好意の両方を人間は感じる場合が多いからです。本題とは異なり、大袈裟な例えをしてしまってはいますが、わかりやすい例としてあげるなら、脅迫者である親を恐れながら、時には忌み嫌い恨み憎しみながらも、その親を子供は愛しています。

人間の感情とはこのように複雑なのですが、そういう部分に対して私が言えるのならば、さよならや決別というのは、「記憶を消す」ということではないということです。そして思い出のペインティングに関しても、それは「過去を塗り替える」のであって、過去を完全に「すり替えたり」「消し去ったり」「塗りつぶす」ことではありません。

つまりは、過去をいかに捉えるのかということであって、それは「今をどう生きているのか」によって、思い出の色合いや印象は変わってくるということなのです。

ある意味で話が脱線しているかもしれませんが、もうここまで来てしまったのなら、これまではかなり抑えてきたつもりですが、そしてもう次回は最終回ですが、いえ、最終回前だからこそ多少は脱線してしまいましょう。心残りのないように。


自分に向けた拒否感は、喜びさえも否定してしまう。

私は、そのようなトラウマを仕事でも感じることがあります。どうしてもあるお客様のご依頼だけは、思考も停止し、手が震えるかのように、心が恐れてしまうのです。しかし、その方のお人柄に私はとても親しみを感じています。そして多くの恩と優しさという愛情をいただいてきました。

これが困ったものなのです。人情や心さえ入れなければ、サクサクと仕事としてデザインは完成できることはわかっているのです。しかし、そこにどうしても気や心を遣ってしまうのです。

いまとなっては、そんな私の特長としてのそんな思考の由来は、幼少時にあることを知っています。そのパターンがきっとどうしてもそのお客様に被って重なってしまうのです。これもまた「不都合な自分」が何度も現れているという理論でも表せますが、経験を通して「原因」は既に自分で知っています。

そうです。書いていていまになってやっとわかりました。私がどうしても商業デザインに自分が向いていないと感じる理由がそこです。私は「ビジネス」ができないのです。それはきっと性分というものです。そして、そう私は即ち仕事の「プロ」ではないのです。

そうつまりは、私は「商業社会」の中で人は「社会人」という限定された人格に変身をするなどということも前述しましたが、私はその術を形成できなかったと言えます。即ち私は「仕事」と「人生」をバランス良く区別し、使い分けることが出来なかったのでしょう。

そしてその憤りを、どこかでずっと責めてきたのです。そしてそれは同時に、その憤りを拒んでしまうことを拒否してきたのです。結果、それは私は自分自身を拒否してきたのだとも思えます。

ある意味でネガティブ的な視点で書いていますが、思えば、それを上回る喜びも多く私にはあるのです。

故に、きっと数多くのお客様や関係者などや、時には友人や家族からの優しさや応援や手助けや、思い遣りや気遣いや後押しや、愛情や友情や人情などもたくさんいただいていたことにさえも、そんな数々のご縁からなる「ご恩」にさえも、私はどこかで拒否をして不義理を働いていたのだと思えます。


私がさよならするのは「商業主義社会」である。

実は自分で少しだけ感づいているような思う事があります。今回こうしていろいろと書き出してみて思うのですが、これだけ「商業社会」に対して文句を言えるということは、もしかしたら私はそれだけ「理解」しているのではないのかという疑念が湧くのです。

ここで油断すると、むしろ私は商業デザイナーにとても「向いている」のではないかと認めてしまいそうになるのですが、これは罠です。私が向いているのは「デザイナー」であって、だからこそ純粋にデザインをすることができない「商業社会の需要と在り方」に対して、あれだけ論理的な反抗文を書いてしまう私がいるのですから、間違いないでしょう。そう、謂わば大嫌いなのです。

「嫌いは好きの内」という理論は的を得ているとは思いますが、ここで、「じゃあ私はむしろその商業主義を好きになってしまえば上手くいく」などと、そんなおめでたい結論になることは、ここまで書いて来てそれは絶対にないことだと客観的に私自身が保証します。そんな人がふと陥る「逆行的な楽観主義」のような、そこに傾いては思うつぼです。

きっと私はデザインするということを含め企画や創作などをすることは、それこそ愛しているのです。それを歪められたり、汚されたり、デザインをすることを邪魔されるその「商業社会」に別れを告げようとしているのです。もちろんある意味で決別するべきは「これまでの自分」こそなのですが、その自分がどうしても相性の合わないもの。殴り書きのようになってしまっていますが、答えがわかりました。

散々悪態をついたかもしれませんが、私がさよならしたいのは、人でもなければ、デザインや創作でもなく、それこそ社会や世間でもなく、紛れも無くそれは「商業主義社会」なのです。しかし、現代を生きる上で、経済や商業に関わらずには生きることはできないことも重々承知です。しかし、心はここで句切りとして決別しましょう。


人は考えるよりも先に選択を決めている

そして、この主題でもある「さよなら」のスケッチに、「商業主義社会への別れ」を描写しましょう。そして先述してきたように、この「さよならのあと」です。私は、この謂わば人生のある期間、そんな思い出に変わるなら、どんな色を描くことでしょう。

ここまで、さよならの「要素」あってこそ「左様なら」などと述べてきましたが、人生とはもうひとつ大きな法則のような流れがあります。そんな流れも、きっと「左様なら」がなければ、どこか慌ただしくも思える時があります。

それは、「人は考えるよりも先に選択を決めている」ということです。これは私も、納得します。

まるで自分ではどうすることもできない流れに乗っているように感じることもあるのです。しかし、きっとそれも既に自分が描いた自分のデザインなのだと思います。そう思えればこそ、踏み出して行けるのかもしれません。

時には戸惑う心にこそ、後押ししてくれるかのような「さよならの意志」のような決別の成就が大切に思えて来ます。大切なのはそんな「心の在り方」に、私はそれこそ「さよならを叶える」ための結論を感じています。

これまで書いて来た「不満」を「不都合」と感じてしまっているような、そんな自分で在るうちには、さよならなんて出来ないのだと私は思うのです。
そうですよね。どんな景色も心の状態によっては、晴れていたって曇って見えるかのようで、煌めく月夜でさえもうつむき歩くなら、満ちた月にも、人は気がつかないものですからね。

さよならのデザインを完成させる最後の仕上げは、そんな「心の在り方」なのだと感じます。そろそろ完結をまとめしょう。


きっと明日の景色は、今日の「さよなら」をどんな心で見送ることができるのかにかかっています。

様々な気持ちや意識など、謂わば「鬱憤」がかなり溜まっていたと言えば、本当にその通りだと思います。約20年の溜まったものをきっと、掻き出すように書き出して、さよならしたかった自分をいま、痛々しくも感じます。

そして明るみに出て来たそんな傷みに対して「しょうがねえな、誰にも癒せないから、おれが聞いてやるよ」という自分もまたそこにいたのだと感じます。そしてそんな自分にいま言うならこんな一言です。

やりたいことや、なにをやるべきか以前に「やりたくないことをやめる」まずはそこからだと、ばかばかしいほど短絡的に言ってやりたいものです。

商業主義がどうとか、現代社会の需要がどうとか言ってるけれど、まるで「ベジタリアンが自分からステーキハウスに来店してきて、わたしお肉は食べられませんからと、文句を言っているようなもの」なのだと、ここまで書いておきながら、正直そう思っています。

それがきっと正解だと思います。そもそも私が居場所を間違っていたのです。職業も間違っていたのです。「デザイナー」ではあるかもしれないけれど、私は「商業デザイナー」ではなかったのだと思います。

それなのに、頼んでもないのに商業社会に入って来て、なんだか勝手に違和感を感じて困っている奴です。端から見れば、ただの邪魔ものです。社会にとっての異物のようなものですね。

即ち私は「商業デザイナー」になれなかったというよりも、商業デザイナーの才能や資質がなかったと言ったほうが早いかもしれません。「さよなら」言いたいのはむしろこっちのほうだと、言われてしまうことでしょう。

そんなこと言われたらむしろ追いかけたくなるのも人情ってものかもしれませんが、これ以上迷惑はかけたくありません。なので、今度こそきちんと「さよなら」を伝えたいと思います。

さよならを「伝える」というのは、一体なにを伝えるということなのか。

つづく ──

20170330 8:44



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?