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人はなぜ不都合なご縁と巡り会うのか? 《さよなら商業デザイナー(6)》

── 前回「「憤り」の実態を暴く」の続きです

プロファイリング「苦手な人物は誰だ?」

不都合なご縁とは、ただ即ち自分の「苦手な事柄」の集大成のようなもの。
では、私は一体、なにが苦手だったのか。先述したように、実際私はデザインをすること自体は、まったく苦手ではないのだ。苦手どころか、得意分野であり、長年を経て様々な面白さをむしろ知っている。

しかし、どうしても辞めたいのだ。そこに見えてきたのは、デザインを辞めたいのではなく私は「デザイナーを辞めたい」だけなのだ。そしてこの長々とした退屈な文章の本分でもある主題「商業デザイナー」を辞めたいのである。

ということは、この場合の「不都合なご縁」でもある、私の「苦手なもの」というのは一体なんなのであろう。それを表す前に、もう少しだけこの「不都合なご縁」について追及してみたい。

まさに仕事を通じて私は「苦手なもの」との出会いをずっとしてきたとも言える。そんな苦手な自分の映し鏡とも当てはまる「不都合なご縁」。対人関係や仕事との出会いに着目してみると、ひとつの問いにたどり着く。


人はなぜ不都合なご縁と巡り会うのか?


「袖触れ合うも他生の縁」などと言うが、なぜそのような出会いや状況に、人は追い込まれてしまうものなのだろうか。

ひとつにはもちろん、それらの事物自体に個性は無いとするならば、ただそれを「いかに感じ捉えるのか」という自身の感性だけの問題だとも言えよう。だがその答えは、とても現実的な解答ではあると思うのだが、しかし、実際はそうとも言えないと思う。

なぜなら、どうしても「不都合」に感じるというのは紛れも無く事実なのだから。誰もが経験があるのではないかと思いますが、稀に先入観などは一切無くして、出会った瞬間に直感で「ああ、私、この人、苦手だ」と感じたことがあると思う。

そこには過去の経験からなる自身のデータベースにおいて、自己生存機能とも呼べる危機管理的なセンサーが、なにかを察知しているようなもので、「なにかがおかしい」「なんかしっくりこない」などの説明はできない感覚がそこにある。稀に、過去のトラウマや嫌な記憶からなる、単純に「顔が似ている」「声が似ている」などの実に動物的な感覚すら、その中にはある。

無論、現実世界においてそこに根拠などは皆無と言えるが、どうしてもそう感じるのだから、自身の世界において、その相手は歓迎されざる人物や事物ということになる。


そんな「感覚」だけの話で今日は締めたいのですが、今回は仕事における対人関係が主題であるからこそ、私の経験として私の中では一定の法則のように思えてくる、そこには事実が存在するのです。

取引相手とのそれらの出会いとは、個性も職業もタイミングも皆それぞれで不定期ではあるのは当たり前ですが、どこか一定の結果のような事実として、自分にとって都合の良い「好感なご縁」も「反感や悪寒に値するご縁」にも共通性を感じるのです。特に印象深い「不都合なご縁」においてはまさに、その人物や案件の進捗において、なぜか共通点を感じる。


不都合な出会いはどこか似ているのです。


そこを突き詰めて検証すれば、自分の苦手な人物像のプロファイリングのように、当該の出来事や事物を一人の仮定した人物として具現化することができるのではないかと感じます。

その人物とは、自分にとって実に「不都合な相性」からなるこの世界で最も自分が苦手とする「やっかいな人」であり。自分の都合によって不都合に値する「苦手」な人物となります。

そして結論として、それをこれまでの前述の内容から述べるのであれば、自分にとっての他者とは、自分の世界の住人であり、自分が捉えた勝手な偶像であると定義した上で、即ち対人とは「自分自身」そのものと仮定するのなら。


この世で一番苦手な人物とはまさに「自分」なのです。


これを結論としてしまうにはいささか誤解が生じてしまうと、我ながら理解しています。ある意味で、とても不都合な表現ですから。

その先にもっと進める内容もありますが、現時点では、こう言い換えておこうと思います。


自分が苦手な人物とは「自分自身」が作り上げた偶像である。


その実在するお相手の実像が必ずしも、不都合だと感じてしまっている自分が捉えた姿や性質であるとは、ほぼあり得ないのだというのが事実だと思う。

それらは既に先述しているが、同じ人物の中に極論AとBという2人の人格があるからである。簡単に言えば「A: 都合はいいけど苦手な人物」「B: 不都合だけど好意的な人物」その両者が常に共存していると言える。

そしてそれらはすべて、主観的に捉えた自分が勝手に存在を作り出したお相手なのである。目の前の苦手な人物も、関わってしまった苦手な事柄も、すべては自分自身の意識と無意識の投影であると、現段階では半ば強引だが、結論付けられる。

「不都合なご縁」とは、自分の苦手な意識の投影にすぎず、その実像は幻想に等しい。よって、苦手な人物や事物をまとめて人物像化したプロファイリングに現れた人物とは、もしかすると自分が見たくないような自分自身の中に実在しているであろう本人。

どうりで皆どこか共通点を感じる、よく似た事象が現れるのも納得するのも無理は無い。自分にとって不都合極まり無い「苦手な人物」とは、自分の中の自分そのものであり。


私にとって、私こそが「不都合な自分」その人かもしれない。


人はなぜ不都合なご縁と巡り会うのか?

対人において「苦手な人物」と出会ってしまうという、自分の都合にとって「不都合なご縁」の実像を見ていくと、そこに現れてくる人物像がいた。苦手だと、不都合だと捉えて片付けてしまうその人物とは、まさに映し鏡のような「自分の中の苦手」が偶像化したような存在に感じた。

私にとって、私こそが「不都合な自分」その人かもしれない。

些か、わかりづらく伝わりづらい表現であることは自認しているが、自分の中でわざわざここまでのくだりを書いておきたかった。説明はいまは飛び越えて、ある意味でここから徐々に本題に入ろうと思う。

では、なぜ、私たちはそんな「苦手な人物」と出会ってしまうのか。またその人物とは、自分の主観だけが捉えている謂わば幻想の「不都合な現実」なのであればなぜ、そうまでしてわざわざ不都合な出会いを創造するのか。


なぜ私たちは「不都合な自分」と出会いたいのだろう。

その答えは先述した「不都合なご縁」の実体における有意性である長所、即ち「不都合な出来事の利点」そこから導きだされる「必要性」を捉えることで、その「必然性」が見えてくるのではないだろうか。

この世界の側から見れば、出会いとはすべては「偶然」である。事物や事象においてもそれは謂わば「偶発」する。しかし、それをこの話の流れに当てはめると、不可思議な表現に表されることを許容する必要が出てくる。

ご縁や出会いにおける有意性、即ち「必要性」において、巡り会いとは、偶然を演出した「意図的」な創造である。


人は無意識下において「偶然」を意図的に創造し、出会いを「必然」的に自ずからデザインしているのだ。

ならば不都合に思える出来事や出会いから得られる利点や、またその不都合な事物の必要性とはなんなのか。

無論、この世には事故のような例外や異例が存在してこその多様性における世界形成の万葉な事物において、もちろん全てを同等に結論付けるわけではないことは前提とした上で、大きくひとつ定義として感じることがある。


思うに、それは「気づき」なのではないだろうか。


「こんなことが無ければいいのに」「あんな人と出会わなければよかった」そう思ってしまうような気持ちになったことがある方は、きっと多いだろうと思う。日夜そんなことばかりを話している方もたまにいるだろう。

そんな人間に対して「ありのままのあなたでいいんだよ」などと言う風潮を昨今はよく見かけるが、私はそれはとても愚かな感覚だと感じている。

まるで不都合な現実を拒否し、あたかも都合のよい幻想に変えてしまう魔法の言葉だ。

このままそんな話の流れに乗って、書き連ねていくのもいいが、それは別のテーマとして、別の機会にとっておこうと思う。なぜなら、いまはあくまでも私がデザイナーという職業を辞めるというとても些細な個人的なテーマが主題なのですから、話を戻しましょう。


置き換えるなら「なんでこんなオーダーを請けなければいけないのか」「こんなダサいデザイン本当はやりたくないよ」などの言葉でもよいだろう。

そこで「本当の自分はこんなんじゃなくて」という思考が、それこそそこで言う「ありのままの自分」であるかのような魔法の言葉は、かなり危険だ。

本来の現実を捉えるならば、それこそ「嫌だと思っているのに、不平を言いながら結局、嫌なことをし続けている自分」それこそがまさに「ありのままの自分」なのだ。

それを見てみないふりをさせる魔法の言葉で、せっかく出会えた「不都合なご縁」の有意性から、なにひとつ「気づき」を得ることもなく、実に都合の良い、すべてを外敵要因にスケープゴートするかのような、軟弱な絵に描いた幸せな人生を送ることになるだろう。

そこで言う「ありのままの自分」とは、実に「都合のいい自分」という幻想にも等しい氷山の一角に過ぎない。仮にもデザイナーという肩書きも持つのなら、せめてそんな自分だけはデザインしたくないものだ。

まるで見た目だけが良いおしゃれなだけの広告や、理想的ないいことしか掲げないキャッチコピーのような、そんな商業広告のような人生だけは送りたくもない。

デザインとは正も負も同等に捉え、構造と計画を具現化して世界を構築させることである。

つづく ──

20170309 6:14



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