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誰がために復興はあるのか《 3.11後からの日本を案ず(26)最終回》

── 前回「もしも災害が天罰だったなら」の続きです

命を繋ぐリレー

今回でこの『3.11後からの日本を案ず』というコラムシリーズは最終回にします。いろいろなことに触れて書いてはきましたが、これらの文章は、東日本大震災から10年が経ち、私自身がある意味で受けたショックやトラウマ的ななにかや当時には解決できなかった様々な疑問や気持ちをいま、やっと整理をするために書いたのだと感じています。

連載形式ですので長くなってしまい、いまさらわざわざ全文を読もうなんて方もネットの世界ですので、まずひとりもいないことだと思っています。最初の文章に書いたように、私自身がある意味でそんな過去に囚われていたのだとよくわかりました。そして特に途中では別になにかを解決しようなどとは考えたりはしてこなかったのですが、ただただ時間の経過によって、そんなこだわりが自然に溶けて、心も解けていたことにも気がつきました。

最初に書きましたが、きっかけはテレビドラマ「監察医朝顔2」をただ見ていたら、ただ涙がこぼれました。当時はどこかでひねくれるようなこだわりのせいで、震災によって被災した人間の事実に対しても、ただ素直に悲しんだり涙するという人間らしい反応をも押しつぶしてしまっていたのだと思っています。涙する自分にハッとしました。これが当たり前に人間の感情のあり方なんだと。

多くの被害者を出した大きな悲劇。ただそのことがあったのです。そのことをただ心で感じ、遺された我々はいまも生き続けています。「絆」というワードが流行りましたが、いまでも本当の意味での人間や世界の絆が真っ当に、ただ当たり前に心をつないで、優しく未来へと進んでいけたならと、今後も生きていくこと。そこがなによりもの大切な遺産でもあり、人間がこの星の地表で生きて行くことの本当に大切なことだと、いまになってあらためて強く思います。

ある意味で、あらゆる“おかげさま”によって、いまも私も日本国民も人類全体も生き続けています。そんな『命を繋ぐリレー』の誰もが常にアンカーであって、そして皆がきっとスターターでもあるのだと思います。

そして以前も触れましたが、私自身がもっとも心に捉えてしまってそこから抜け出せなかったものとは、被災者とか誰の責任だだとか、そういう動きに傾いた国民全体の心理的な方向性、それ自体にどこか大きなもどかしさのようなものを感じとり、ある意味でそれは同じ日本人への不信感のような気持ちとなって、それを拭えずに長い時が過ぎていったのだと感じています。


被害者意識という架空の全体性

被災者かそうでないかや、被害者か加害者か部外者なのか関係者なのかとか、そういう分離的な判断は確かに必要なのですが、あまりにも差別や比較などの『評価』として“分断”が強まってしまうと、そこには『格差』が自然に生じてしまうものだと思います。

本当は、善悪や法律でもはっきりとは裁けない現実だというのに、分断され格差の上位に位置するものは怒ったり責めたり、またそのような現実によって、格差の下位に位置付けられてしまうものは、世間や社会の中での評価に、ただ“卑屈”さを覚えたりして、そこにもまた新たな不満や不平が当然生じることによって、事態自体は一向に解決に至らないですし、下位の者の改善や再起でさえも奪う結果となる。

そうなるともう誰が本当の被害者なのかもわからなくなってきます。それさえも上位に位置する者からは、下位にいるのだから『当然の報い』だという正義さえもまかり通ってしまい、より格差の分断は進むことになる。もしかしたら、なぜか部外者である他者でさえもが、皆どこかしらか『被害者意識』なのかもしれない。そんな被害者意識が根底にあって世界の全てに触れるなら、確かにすべての事象が『不都合』で、不平不満や不足を評価されてしまう感覚に陥りやすくもなって、世界のすべてに『怒り』を表明しているのかもしれません。

そのように、現在の日本社会にある意味で巣食ってしまった感情やひとつの全体の主義のようなものこそが『被害者意識』なのではないでしょうか。たとえば政府の発表も芸能人や見知らぬ他者の幸せ演出なども、社会や街のいたるところに溢れているすべての平穏に見える人や事象もなにもかもを、まるで自分の見たくない闇や空虚を脅かすかのような、最初からすべてを『被害者意識』で評価している。そういう社会や自身の在り方に慣れてしまっているのではないでしょうか。


怒りという架空の善意の承認

その実態は、きっと自分の生きることへの根拠の無さなのかもしれないと感じたりします。失ったのはそのような『生きる理由』や『生きる意義』などとも言えますが、つまりは『自分』を失ったのだと思えます。それは自身のなさなどとも言い換えることは可能だとは思いますが、なにかしら、どこかしら、現在の誰もが、自分の命や人生を外部からの『承認』を必要としてしまっている思考や心理的な回路になっているのかもしれません。

ゆえに、間違いはすべて不正として、認められないものだと思い込んでいるかのように、自分も他者も許せないのではないでしょうか。それは国家や自然などに対しても同じで、本当は、誰もが全員が必要で、無意識にでも総てが影響しあい、みんなが生きるためにみんなが生きていることに気がつけたなら、少しは改善すると思います。

それはある意味で『足るを知る』ということかもしれませんし、またそれは、傷ついたり、本当は恐怖だったり、本当はやりたくないことを強いられていたり、また自分自身が自分に強いていたりする『評価』という、架空のイズムによって善悪や正負のように、光と闇とに分離してしまった分断された『自分』を取り戻すように、つまりは『自分に戻る』ということのように思えました。

もしかしたら現代人は自分らしく生きることを、まるでわがままや不正な行為かのように『罪』のように、どこか思い込んでしまっているのではないでしょうか。そして、だれかの評価に値しない自分は価値がないという恐怖心のようなものに常に圧迫されているようにも感じます。そこで被害者意識に自らは弱者だとか、罪もない一般市民だとか、そのようにまるで『善』であるかのように勘違いしてしまったのかもしれません。

まるで鎖に繋がれた象のように、自分には鎖を切るほどの能力はないと思い込み、そんな誰が定めたのかもわからない社会性の中で、正しく生きているはずなのにどうしても湧き上がる得体の知れない圧力や憤りなどに、架空の全体性主義における本来の生きる価値も見出せずに、それさえもどうやって『自分で考える』ことすらも忘れて、ただ『怒り』という感情を被害者意識で共有する。怒っていれば自分は善人であり、か弱き善意の被害者であることができるからです。

本来は、誰だってきっと、誰かのためやなにかの役にたちたいものだと思っています。しかし、まずそこに自分が自分で在ることがなければ、自分が役にたてるはずもないのです。ましてや自分自身が自分を被害者としているなら、正当な自分だけの幸せや自分らしい人生にはならずに、どうしても比較や評価という、ありもしない架空の自分像や架空の幸せや不幸などの形にあてはめた世界に、すべては見えてしまうのではないでしょうか。


一本松を殺したのは誰か

漠然とした私感を垂れ流すかのように説明もなく書いてしまったコラムですが、今回でこの東日本大震災についての内容は最後になりますが、最後にこれまで触れてこなかった『奇跡の一本松』の話題に触れようと思います。これもまたあくまでも個人的な勝手な私感ですので、現実的に当該の一本松について知りたい方は『Wikipedia』『陸前高田市の公式サイト』などをご参照ください。

まだ経過10年として、時勢としてもとても有名なモニュメントだと思われますので、詳細な説明は省き、結論から先に述べます。私はこれを『人間の愚かさのシンボル』と思っています。モニュメントについて、全内容にて『グラウンド・ゼロ』や『原爆ドーム』などには既に既述済みですが、これは正直な思いとして、あまりにもひどかったと、同じ人間としてとても驚かされた上に、そこ知れず残念なニュースでした。

3.11の大津波の被害から奇跡的に逃れ、たった一本だけ生き残り、津波で荒れた荒野にひとり立っていた一本松を、被災の記念碑としても復興のシンボルとしても『奇跡』と称することは、生命力の偉大ささえも感じ得る、まさに『奇跡』と呼ぶにふさわしい一本松であることは確かであったと思っていますし、その象徴としての存在感には、命としての希望やシンボリズムとしても、理由なくなにかを感じ、また見方によっては、希望のように胸を熱くさせられるものです。

しかし、その謂わば『命のシンボル』ですが、あの災害を生き抜いた樹木を残すために、被災地や人間たちがした行為は正気とは思えませんでした。むろん、多くの海水やダメージを浴びたわけですから、根腐れなどの可能性も高く、あのままでは長くは保たなかった可能性は高かったことでしょう。

そこで、なぜに生き抜いた樹木に対して、中をくり抜いてコンクリートで固めて、枝も幹も葉も根もすべてをレプリカとしてモニュメントオブジェにしようなどというプロジェクトが成り立ってしまったのでしょう。せっかく生き抜いた木を殺して固めて、謂わば剥製にして、命のシンボル、復興のシンボルなどとしてしまったのです。

はっきり言って、なんなのでしょう。災害や悲劇があったなら、モニュメントが本当に必要なのでしょうか。なんのために、また誰のためになると言うのでしょう。なんという愚行でしょう。未開たる証の恐れ多い蛮行と言ってもよいと思えます。これが未来への遺産なのだとしたら、彼らはいったい命を奪った屍体を礎として、どんな未来を望むというのでしょうか。

もしも朽ちていくのなら、なぜ自然に生かし、また自然に死なせてあげられないのでしょうか。あの大災害から、いったい人間はなにを学んだのでしょうか。この『奇跡の一本松』については、たぶん私と同感のお方も多いと察しますので、この辺にしておきます。これ以上書いても、『人間の愚かさの象徴』として、ただ悲しい私感を徒然と書き進めてしまうと思いますので。


捏造された化石のモニュメント

ただ、やはりひとつには『世代間』とも言える世代意識を感じます。かつてまだバブル崩壊前の頃は、例えば当選した市長が自身の名の残る事業の証として、大きな建造物や野山を崩してコンクリートで固めて整備したり、橋を架けたり大型商業施設の招致したり、自然の海岸をヨットハーバーやリゾート地に変えたり、どの土地でもそのようなことが行われていました。また個人や家庭でも毛皮の衣服や動物の剥製の置物などが社会的地位のステイタスとして重宝された時代です。

その後、バブル崩壊以降、人間の意識もどんどん変容して、自然保護への意識改革へ時代は移行してきたのもまた確かだと感じますが、未だこうして“目に見える形”を、まるで豊かさや人間の幸福や権利だと思い込んだままの人々は多くいるのも現状です。先進的な都市というのは、本当にそのような方向なのでしょうか。そして、せっかく生き残った生命を、そんな“形”にするために、人間が殺してしまった。

もはや、言葉を失うほどの気持ちに心は落ちてしまうほどの愚行に思えます。そしてモニュメント完成前後の頃も、なぜか『視察』と称して、西日本などの遠い地方からも多くの見物客が、まだ復興も兆しすら見出せない最中にも関わらずに、被災地に団体ツアーを組み訪れたということも、多く聞きました。

たぶん現代人というか、2000年代以降はカルチャー的にも商業的にも、もうある意味で出来上がった社会の形があるのだと感じるところが多いです。小説や映画や漫画でもアニメ作品などでも、第二世代、第三世代として古典や自分が感銘を受けた世界観などを、ある意味で踏襲して形を変えて意味付けして、ただ表すような、何回転も一周回って新しいカルチャーを作り出しては、どんどんそこにある本質はブレていくように感じたりします。

そのような現象と同じで、人々の意識には『災害があったらモニュメント』『被災があったらボランティア』のような、もはや固定化された『形』が、すでに出来上がっているのを感じてしまいます。コマーシャリズムとも言えますが、どこかすべてが『広告的』なのです。広告主義ということは、つまりはすべてが演出であり、すべてがはじめに目的や解答のような『効果』をふまえての、評価ありきの自分以外の基準に合わせた『承認』を捏造しているということです。

この『奇跡の一本松』は、そのような謂わば“出来レース”的な固定化された風情の、即ち『茶番劇』かのように、まだまだなにも復興や被害さえも収まっていない時点から、すでに『モニュメント』として、化石のように風化されたのだと、私は思っています。言うならば、つまりは『“忘れない”ために風化させられた』のです。遠い未来に新たな人類でも宇宙人でも誰かがこれを見るのなら、それはただの剥製でもあり、遺産でも遺跡でもなく、まさに捏造された化石のモニュメントです。

万が一、この先に人類自体が絶えたとして、地上にはこの一本松の死体だけが立ち続けているシーンなどを想像したなら、それはまさに『死のシンボル』として、とても滑稽なエンディングですが、たぶんそうなればすぐに他の植物や菌類などが、その孤独な一本松を飲み込んでは朽ちさせて、長い長い時間の末に、自然に還してくれることでしょう。

つまり『わすれない』などとまだ命ある生命でさえも人間都合で化石化させてしまうような行為こそ、すべてを壊し風化させてしまう行為なのだということです。自然のままに樹木が枯れていくことや、それを微生物などが時間をかけて土に還すことや、波が海岸を削り地形を内外時を経て変えていくことも、それらがあるがままにあってこそ、それは『忘れる』とか『失う』や『無くなってしまう』ではなく、それこそが『生命の循環』であり、この世界で唯一“生きる”方法ということなのです。


みんな誰かの役に立っている

さて、これで最後と致しますが、こうして書いていると、実は私自身が、なにかしらの事柄や他者などの言動について、批判的な視野だったり、異論を述べたりと、多くの勝手な『評価』を下してしまっていることに、気がついて来ます。全体を通して、そのことは私自身が否定できません。

結論のように「比較や評価によって世界を見たり」「批判や怒りはよくない」などと述べてはいるのですが、そんな私自身がこうして同じく、そんな社会の在り方や時勢などに対して『評価』をしてしまっているのです。長々と書くにつれて、そのことが私の脳裏にどんどん大きく感じていたのも事実です。

冒頭で、やっと自然に“涙がこぼれた”と言いましたが、本当に人間とはおしゃべりなものだと、自分自身への皮肉的なアンチテーゼをまさに感じています。本当は、ただ自然に涙や笑みがこぼれるように、ただ感じて、そしてただ自分のままにいまを生きていくことができたなら。そう思っています。インターネットが生活のメインの位置にまで関与して来た現代。多くの情報が溢れかえっています。どうしても人間は喋りすぎると、そこでやはり感じます。

これもまたコラム冒頭あたりで、震災直後の『天気雨』について書きましたが、こんな発言をすると現在の社会では一斉に批判の矛先になってしまうこともまた承知の上ですが、あの時に確かに感じたのです。穏やかな微かな天気雨の光の粒が空気中に舞い踊っていて『地球が喜んでいる』と。

最後に言いたいのですが、自然の中には加害者はいないと思っています。そして被害や被災というのは確かな事実であっても、その現実をいかに捉えるのかで、すべての過去も現実も、そして未来も変わるものだと思っています。それこそ加害者や被害者や善だ悪だと、幸せだとか不幸だとか、そんなありもしない架空の評価にとらわれていては、永久に時は風化していくだけなのではないでしょうか。

また『復興』という言葉やある意味でプロパガンダなどの効果として、自分たちの思想や行動に名称や意義という冠をつけるのもいいですが、なにをもって復興なのでしょう。過去に戻すということでしょうか。もしくは世界の全てを殺して平和や未来へのモニュメントに変えてしまうことでしょうか。そうして本当にこの世界やこの文明というものなどは豊かになるのでしょうか。

一見、悲惨な目に思えても、そこにきっと理由や意味はあって、たとえば、誰の役にも立っていないものなどは、この世界に存在しないのです。誰もが、そしてどんな出来事やすべての万物においても、必ず、みんな誰かの役に立っている。

それを実証できるのだとしたなら、それはやはり『今を生きる』という言葉になって、つまりはすべての出来事も、未来にこそ『活かす』という生き方だけが、きっと『今をつくる』のだと思えます。人間が『復興』などと呼んでいる“時点”が、本当に復元に値した『本来の姿や形』なのでしょうか。私にはただ人間本位な利己的な都合のいい形にでっちあげているだけで、自然万物にとっては不都合な姿にしてしまっているのではないかと思えてしまいます。長い長い時間を要しながら、自然はあるがままに常に生きて『復興』します。戻ることはなく、ただ今に未来や命はあるのだと感じます。


それぞれの復興

最後になりますが、本当はもっと個人的に『知っていること』や『伝えたい真理』のようなことが、実は多くあります。しかし、このコラムだけは、あくまでも現代に生きる人間として、あくまでも個人的な見解として書きたかったような気持ちです。本当はもっと違う別の面からの内容なども多くあるのですが、それらのことはすべて除外して書き表しました。ある意味でそれは、誰のためでもなく自分の10年のためです。

なので、今後はもっと別の話をこのブログなどでは書いていこうと思っています。また最後におかしな発言をしているように思われてしまうとは思いますが、最後の結びとしても、そして今後の本当に書きたかったり、伝えたいことのような内容への結びとしても、最後はこんな感じで締めさせていただきます。

そうですね。ここまで書いて思いが浮かびました。長々とこうして、もしかすると私は過去10年をはじめ、どこかで自分がとどめてしまった時間を再び動き出そうとしているのかもしれません。きっとずっと、私自身も、なにかの『承認』を得たかったのかもしれません。それを自分自身で書いて、どこかで自分を認めてあげたり許してあげたりしているという行為なのかもしれないですよね。

ずっと以前になにかしらの衝撃で自身のままにあることを躊躇してしまった。しかし、外の何者かの承認や評価では、本当の自分の時を自分に戻してあげることはできなかったのでしょう。そういう気持ちの問題が根底にあったのだとしたら、そりゃあ、こうしてグダグダと長くなってしまうのも、自分で理解もできるものです。

他者として、これを読んでいただいた方からは、たぶんどうしようもない内容だったとは察しますが、こういう中にでも、なんとなくどうしても、誰かに伝えたい思いや事柄が多くあるものなのだということも強く感じました。そんなある意味で不純なのかもしれませんが、だからこそ、今後はこんな私でも、なにかの役にたてたならと思い知る期間でした。

今回は『東日本大震災』そして『3.11後からの日本を案ず』という主題として書いてみましたが、それこそ、10年を経過して、ある意味自分の中でこうして精算をして、そしてこんな自分でも今になって、“地球に役立つことができるだろうか”とか、“誰かの役に立つことをやりたい”と、本心で思うのです。また、そんな素直な自分にやっと気がつくのです。

そうです。これをずっと書いて来たとも言えるのかな。誰かや何かや、それこそ自然万物、地球や宇宙、この世界のすべてに対して、その一部でもある自分が役にたてることができるならば、それは『自分であること』であって、自分が自分のあるがままになってこそ、自分の命ができることをすることということが見えてくる思いです。

もしも最後まで読んでいただいた方がいたのなら、ありがとうございました。あの東日本大震災から10年、その10年間にも、他にも多くの災害が世界各地でありました。ある意味で、たぶんこれは、私自身が“復興”するための問答のようなものを長々と書いた文章なのだと思います。

たぶん、どんな出来事でも、例えば自分の中や自分だけにおきたような、周りから見れば些細な事柄でも、心は大きく傷ついたりすることも人間は多いものです。それぞれの復興とは、たぶん、自分が自分になることのようなことなのかもしれません。

『3.11後からの日本を案ず』

20210309 – 20210902 記


あとがきとして

ずっと長く連載として続いてしまった『3.11後からの日本を案ず』というコラムシリーズをやっと書き終えました。最後は無理矢理に終わらせた感もありますが、全26編で約6ヶ月かかりました。

震災直後からずっと心に閉まって塞いでいた気持ちを10年後にやっと表現できました。当時、心に蓋をしたからこそ感覚さえも閉じ込めてしまっていたんだとよくわかりました。悲しみやわだかまりや様々な思いがやっと浄化できたような感じです。

言い出せばキリがなく、もっともっとしゃべりたい事柄などもあるのですが、例えば、地震が人工的におこされたものなのではないか?という説もありますよね。また、なぜ地震や津波は起こったのか?などなど、つまりはこの世界とはどういう仕組みなのか?ということの話になるのだと思いますが、知っていることも実はいろいろあります。しかし、それはまた別の機会にいたしましょう。

長くてしかも荒く、文章的にはとても未熟な文面なので、読みづらいものになってしまったと思っています。しかし、書いてよかったなって自分としては思っています。これをどうにか完結させたので、やっとここからこのブログもスタートできる気分です。次回からはもっとなにかしら役に立てるような内容も書いてみたいと思っています。もしも読んでくれた方がいらっしゃったなら、本当にありがとうございます。

20210903








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