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さよなら商業主義社会 《さよなら商業デザイナー(26)》

── 前回「商業社会のおける肩書きの罠」の続きです

さよなら商業デザイナー

本当であれば「商業主義社会」ではなく『(現代)資本主義世界』という題目をつけるべきなのではないだろうかとも思う私も確かにいる。しかしいま現状では、そこまで追及する必要性を感じていない私がいるということのほうが感覚的に「近距離」に感じている。

第一章として「さよなら商業デザイナー」という表題にて、実際に私自身が商業デザインの受注制作を引退するまでの心情を重ねて書いてきました。
【さよなら商業デザイナー】「辞めたい人」の不都合な心理分析という感じでした。

今後も、現代社会を構成する「利潤の為に不幸をデザインする」商業主義という仕組みに対して思うことなどを、時に気まぐれに記します。 なぜ我々は「生きづらい」のだろうか? どうして我々は「幸せになりたい」のだろうか? 「豊かさ」とはなんだろうか? その手がかりを探して、商業主義社会の中に「時間泥棒」を追って。

「広告よさらば・さよなら商業主義社会」引退を決意したグラフィックデザイナーが辞職までの心情と経緯を独断的に再考し現代社会を構成するデザインの中に時間泥棒とも呼べる「引退の理由とその犯人」を探す。些か反商業主義サイコロジーコラム(・・・とか言いながら単純に辞めるにあたっての私感を書き捨て整理しサヨナラするだけの内容です。)

というか、なにかに「さよならしたい人」にたぶん役立つかもしれない心理学的なコラムかもっていう内容になった気がします。

これからは、第二章以降として気まぐれに単発のコラムとして、商業主義や商業社会などに関する思い付いた事や、よほどの思いなどが残り思い余って書き捨てたい時などがあったなら、記していこうと思います。


商業主義社会からの引退

引退後の、実はここ数日、案の定やっぱり!予想通り「揺り戻し」のような気持ちが、私の中に渦巻いていました。実はここまでの文章も公開しようか否かと、数日間寝かせておいたものです。もっと極端な心情や実際の過剰な出来事についても、実は書いていたのですが、数日間考えた結果、それらの謂わば「怒」や「哀」の、ある意味でネガティブ発言とも呼べる箇所は削除致しました。

予定では、それらの喜怒哀楽の混ざり合った感情や心情の揺れ動き波立つ様こそを『気ままにデトックス雑記』として吐き出すように意図せず徒然と綴ってしまう!という文章を引退直後の期間は掲載して誌面上(Webだけど)で、心と過去の取捨選択や整理をリアルタイムで行う想定でいました。

しかし、結局「そんなことは表に出すものではない」という気持ちになり、こうして書かずに、思考や心の中で消化させることになったのです。まぁ大人(年齢的に)としては、当然のことではあるのですが、しかしわざわざそのような心情の変化を予測していたものを、あえて一旦は公の場に表出させようとしていた自分に対して思います。


なにを自分に思うのかってもう、ひとつですよね。それほどに葛藤してきたのだなってことです。最後に稼ぐためなのか契約条件なのかは知り得ませんが、赤裸々にヌードになったり、全部言っちゃうよって暴露本などを出されて奇怪な晩年を送る方がなぜかよくいらっしゃいますが、きっかけや立場は違うとはしても、私も「言ってやりたい!」って感じの気持ちや出来事や人々との関係が大変多くあったということですよね。そう、ほんと、どうしてもこれは!ってなものがやはりいくつかあります。

しかしそこで思うのですよね。ただひとつで言うのなら、そんなものは自分の中にそもそもの理由があるものなんですよね。もちろんそれは「既に終わったこと」で、私の引退劇で言えば「ちゃんと終えようとしたから、これだけ長引いてしまった」そして「最後まで筋を通して最期の最後まで務め納めた」自分で言ってもしょうがないですが、ほんと、そう思います。私は意志として「有終」を目指していました。

だったら有終のまま終えようと思いました。終えてさっさと念願だった新しい自分をはじめようってことなのですよね。そこで、せっかくネガティブなことも経験したのですから、どうせならそれらのことでさえも受け止めて次に活かそうと。だって、本当に感謝しているのですから。そのお客様や関係者や過去の自分への気持ちは穢したくはないです。


それこそ前々回書いたSNSなどの感覚アレルギー的に発信するのならば、負の事物に対して否定をして発信したり、公言として物申したりすればそれはそれでマイナス面として共感する方もいらっしゃるでしょうし、ネガティブにある方ならばそれもひとつの安心材料にもなるでしょう。

そんな批評や批判や反対意義的な方向でのイニシアチブのような表現手段。それも役に立つことでもあるのかもしれませんが、それらをポジティブ面に転換させるのなら、それらの全ては反面教師でもあり、そこから何を学ぶかによっての貴重な経験として「教訓」にもなります。

そんなことを頭の中で繰り返しながら、ここ数日過ごしていました。先述した様に体は土や汗や自然にまみれて「農作業」を黙々としながら。シンプルな爽快感のような環境にあること、それもよかったですね。これが頭の中だけでぐるぐると発酵していたなら、よくある定年後の元管理職おじさんのように、自爆していたかもしれません(笑)


やはり人間は三次元だと言えるこの物質世界の惑星の表層に生きて五感と共に身体という個体が主体ですからね。自然の中で生きていて救われたとも思いましたよ。土や風や森や草木や花や虫や空や太陽や月や、そういう物達に合わせて生きなければ農作物を育てることはできないですからね。そんな中で汗をかいてとにかく体で動く。


そこで結論思ったことが、大きく分ければ三つ言えます。

◎皆それぞれの役割(善行)を精一杯やって生きて共存している
◎わたしとあの人達は住む世界(常識も価値観も幸福感も)が違っただけ
◎元々わたしが自ら違う世界(社会)に入り込んだというだけのこと

ちょこちょこ過去の発言には出ていますが、もうハナっから私は、違和感を感じて生きて来たのです。そしてそれなのにずっと現代の社会の中で流されながらも行き着いた仕事で、これまたずっと違和感を覚えながらなんだかんだ20年も続けてきました。その違和感は時間や経験の経過とともに自分の中でも明瞭になり、いつしか憤りや不満を明確に自分の中に生み出していきました。


しかし、それもこれも前述した「3つのこと」であり、私がこの社会って変だよ!っていうのは、そもそもおかしな話であって、私こそがその社会に紛れ込んだウイルスのような存在だったんだよなぁって、そもそもこちらが「はいお仕事してますよー」ってやっちまってるんだから、お客様は来られて当然なんですよね(笑)

それなのにそこで「なんであんたらそんなことをお願いしに来るんだよー」って愚痴ってるようなものなんですよね。皆に似せて同じ看板出してるのにも関わらず、誰も来るんじゃねーぞ!って言ってるようなもので、私のほうこそがおかしい感覚の異邦人的な者だったのだろうなってことに、いまさらながら気がつくことができました。(たとえ話までも変ですね…)

まぁ、表現というか比喩的にはおかしいですが、私が三つ目人だったとして、二つ目人の世界に外から勝手にやってきて、二つ目人の皆様は私を歓迎してくれているのに「おい!おまえ!なんで目が二つしかねーんだよー!」って言ってる感じだったのです。きっとこれまでずっと。で、いまやっとよく見てみたら、周りのほぼ全員が二つ目だったってことに気がついて「あ、すみませんでした…」って、まさにそういう感じ。


—— 今日いきなりこんな文章を読んでいただいた方がいたら、意味もあまり伝わらないでしょうし、こいつヤベーって思うでしょうけれど、もしも興味を持ったらこれまでの経緯として纏めてあるテーマカテゴリー『さよなら商業デザイナー(旧題)』(マガジン)を読んでください。長いですけれど、引退迄の心情のようなことと極端な商業理論(異論)や偏ったデザイン概論的なことをブツブツ書いてありますから。——


引退して、きっと少しですが外側から視ることができたのでしょうか、そういう感じのことをやっと思いました。そこで、ちょっと前に掲載した『理解と同意は別物』という内容の中身に戻ってまとめると、私はそういった「自分が同意できないご依頼」や、それらによって「自身の意思や思考を隠す」のも、もうこれ以上はすることは避けるほうが良いと思ったのです。つまりは「限界」を感じたのです。

今後は、ある意味で「私が本心で応援できるもの」のみを作っていきたいのですよね。創造的なものとであれば今後もいくらでも繋がろうと思いますし、協力やご依頼もお引き受けすると思っています。それこそ意志をもって。そこには様々な多数の理由があるのですが、一番には、本当にまいっちゃってるのですが、私の思考は、本当の本当にこれほどまでにかと言いたい程に、要は「社会不適合」なんです。

お客様も現代社会もなにも悪く言いたいわけじゃないでのです。ただ、私があまりにも不適合なんです。見てる現実は同じでも、観念や感性や価値観や基準において、きっと住んでる世界が違いすぎるような感じなのです。このことに辿り着く迄に20年かかったというだけの話です。ずっと躊躇して来た自分がいたということでもあるのですが、そんな躊躇(自分では遠慮のつもり)がむしろ迷惑をおかけしてしまってきたのだと思っています。


だから今後は徐々に、社会不適合なそんな視界を表していこう(三つ目の方だけに向けたサービス展開のような^^;)と、やっと覚悟したまでなんですよね。ここではこんなことを書いていますが、もう今も既に別の場所では新たなることを小さくはじめています。いろいろと検討しながら、公表するかどうかもいまはわからない気持ちですけどね。

ここで注意点のようなことをやはり思います。それは、やはりなぜ20年も続けて来られたのかということです。それはやはり多くの方々に支えられ見守られてきたことなのです。そしてなによりも、好きでなければ物事や仕事はそんなに続かないとも思うのです。

また逆説的に思うのは、これだけ不満や文句を言えたり、要は欠点を捉えることができるということは、裏返せばそれだけその視点や観念を正攻法で表すことに向けるのなら、とても有効的な活用が出来得るということでもあります。欠点をついて評論家になりたいわけではありませんからね。むしろそういう人や表現が一番好きじゃないですからね。しかし、そういう方もそれはそれで意義ある世界でやるべきことをされているのですよね。


不満があるということはもっと美点のある価値に本当は気がついているということあって、その理想的視界があるからこその不満なのですから、欠落点や欠損点を利点や美点に向け代え、つくることができる人間でありたいのですよね。本当の自分の心は。と、感じるのです。

続けて来られたこと、少しでも誰かの役に立てたこと。だからこそ私にはそんな世界で培ったものや、学ばせて頂いたことがとても多くあるのですよね。それをこれからは、私なりのやり方で私の世界観で、この社会との接点の中で生きる自分として、そのご恩に惜しみなく報いることを今後の人生にしたいと思うのです。

商業社会における委託制作デザインを引退したのですが、私としてはここで引退したのはデザイナーやものづくりを引退したのではなくて、つまりは現代の商業社会として商業主義からの引退をした所存なのです。その上でももちろん現代社会の中で生きて行くわけですから、改めて社会との接点をはじまりからはじめようと思っています。

総論的にとも言える感想のようなものですが、営利優先的な商業主義というのは、とてもクリエイティブではないと思うわけです。そうですね。これが私の引退の本当の理由です。もっと個人的に言うのならば、もっと自分をこの世界ですべて活用して死んでいきたいのでしょうね。そう思う頃になったのですね。やっと私は。

つづく ──

20180407 4:11

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