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理解と同意は別物 《さよなら商業デザイナー(24)》

── 前回「最終日」の続きです

前回の内容にあったように、しばらくは気分次第に、徒然と思い浮かんだものを吐き出すように書き出してしまおうということで、少しだけこれまでよりも、こうして書いたり発言したりする内容も、ある意味で自由になっていくと自分では思っています。制限なんて別に無いのですが、個人的な性分として、自分の中でモラル的にやはり一線が存在してしまうのですよね。(こんな私でも…)

これまでの委託制作という職業上、様々な業種や個性や、時には独特な思想をもった不特定多数のクライアントと期間限定だとしても、深く関わってしまうものでした。そして広告をはじめ、時には異業種の企業の代表に成り代わって、私が代表の言葉や企業や商品のコンセプトや宣伝コピーなどを代筆することも多くあったので、やはりご縁が繋がっている間は、その企業や商品はもちろんのこと、関連する業界全体についても、発言には慎重にならざるを得なかったのです。

架空な例として言えば「抗がん剤治療のすすめ」についてのPRの企画の依頼を請けていながら、個人的な意見として「抗がん剤はやらないほうがいい」とは、やはり言えないですからね。(あくまでも架空の話です)

なので関係性が続いている間は、様々な個人的な私の感覚は、ほぼ閉ざして生きてきたと言っても過言ではないくらいに、職業上、自分の中のルールとしてその点は守ってきました。

別にそういうルールや契約は存在しないですけれどね。秘密保持は勿論だとしても、個人的な思想や思考に対しては自由ではありますから、これに関しては、ただの私の個人的な性質なだけなんですけどね。自分の中でのモラル的な部分ですよね。


やはりどんな個人も法人も、やはりそこには理由や意図や、簡単に言うと、なんにでも「存在する意義」と「いいところ」は必ずありますから、制作を担当するにあたり、もちろん倫理的に「嘘」は描かないですが、マイナスを隠してプラスを最大限に拡張する方法をデザインしますし、やはり出会いですから、やるからには個人的にも相手の気持ちや将来性を優先し、その意志や意思を応援して制作を行うのです。

応援しながら、その対象に対してマイナスになることは、そりゃあ私には出来ませんからね。公私の人格は完全に分けたような感じでもありますが、そうしてやってきました。強要されたわけでもないのですけれどね。単に性分です。子供に腕相撲しようと言われて、きっと誰でもそこは芝居するじゃないですか、ある意味で本気でね。

相手の気持ちは察した上で、例え同意は無理でも、理解まではできます。それに、相手は私に同意を求めているのではなくて、制作や企画を依頼しているわけですからね。仕事として「理解」があれば、成立するのです。

私はそれをこの社会でのモラルだと思っているのですが、全くそうではない方々もいっぱいいましたけどね。「やられたー」っていう場面にも、結構遭遇しましたけどね。それでもこちらはその点を守ってきました。さて、ここからが本題です。


そこで困ってしまうこともよくありました。それは特定のお客様や、そうでなくても関係性が長くなると、どうしても「理解」ではなくて「同意」を求められてしまうようになってくるのです。人間ですからね。それはそれで理解しますけどね。。。しかし、先日の内容で述べましたが、私個人の本音は、かなりの高確立で社会では適合しないのです。

以前述べた —— 特に自分の観念や感性とあまりにも違う性質を感じていた「社会人」という方々に対して、仕事でどうしても関わらなければならないので、ご迷惑をおかけしないように言動は制限を強いて距離感をとても意識して来た… ——

信頼や気に入っていただけることはとても嬉しいのですけどね。しかし、同意を求めないでよ…って。私は、あくまでもお客様の代わりにお客様を描く「委託制作業」なのですから…って。 そういう場面に直面して私の頭の中では、いつも大抵、同じこの言葉が浮かび上がります。

「えー!? 私が本音を言っちゃったなら、あなたとは真逆だし、あなたのやろうとしている事や業種の完全に敵ですよ…」って、かなり困って必死で誤摩化します。どうしようもなくて、本当にこの言葉を伝えたこともありますけどね。無論、この言葉の意図を「理解」されるであろう方にしか言いませんけどね。


それを理解できない方に言ってしまったなら、怒りだしたりする方もいらっしゃるでしょうし「おまえには頼まない!」とか、言い出す人もいるでしょうね。(いや…別に、こちらがやらせてくれって頼んだわけじゃないんですけどね。)

別にデザイン業だけの話ではないでしょうけれど、物でもなんでも、委託されてデザインするということは、その意図や依頼者の要件を把握し「理解」するからこそ、はじめて制作が可能なんです。

それは制作者が「同意」をする必要はないのです。そして、依頼者が全てを「理解」する必要もないのです。

ちょっと激しく言うのなら、案外、人間は自分のことすらも理解していないものです。依頼者側が自身の商品を勘違いしているケースは非常に多いですからね。またデザイナーでも雛形の営業マンのように「同意」しかしないで、相手の本意は読み取ることもせず、全く「理解」していないっていうケースもあるでしょう。

ブランディングとか企画やデザインというのは、そんな依頼者が知らない(気がついていない)プラスやマイナスも両方合わせた客観的実像の演出を、より魅力的に表すことでもありますから。

このことがわかっていないデザイナーや企画業を名乗るコンサルタント的な方(結構居ますよ)に依頼をすると、大変なものが出来上がってくる可能性もありますから、皆様はご注意くださいね^^


今日は「理解と同意は別物」ということで、気ままですから、次回はまた何を書いてしまうのか?どうなるかは不明ですけれどね^^こんな感じにしばらくは、思考のデトックス的な整理整頓をしていきたいと思います。


引退劇という喜劇

先月末日で、デザイン委託制作の事業を終了して引退したのですが、実は何件か「大丈夫?がんばっていこうね!」みたいな励ましの連絡をいただいたりするのです。その度に、人としてはそんな優しさにとても嬉しく思ったりしているのですが、あのですね… 悲劇なわけじゃないんです(笑)

一応言っておきますが、私は元気です。普通に楽しく生きています^^
まず、そうですね。終わってすぐの現在なので、完全に言い訳にもなってしまう今ですが書いちゃいます。思えば今回の委託デザイナー引退劇でひとつだけとても残念だったことがありました。

それは「身体の不調」を理由としての引退になってしまったことです。事実、私の不摂生がなによりもいけないことなのですが、それによっていい引退の機会をいただけたのだと個人的にはとても有り難く思っているのも事実です。


しかし、残念に思うのは身体のことではなくて、身体の不調という、それを「理由」にしてしまったことです。いまになって言い出すのは確かにあまり良いものではないかもしれませんが、それを公としての引退や契約終了の理由としては決して言うつもりはなかったのです。

然しながら、多くのお客様が引退を笑顔で御理解いただき、有り難きお言葉で送り出してくれる中でも、どうしても御理解いただけない方も数名いらっしゃいました。幾度に渡るお願いの中で、関係者とも話し合い、もうしょうがなく「失明の危機」として、確かに事実ではあるのですが、もう病気を出すしか理解していただけないという、それを代表的な理由に挙げるしかないという決断に至り、やむを得なく平等に公文書として、お客様にその旨をお伝えすることになってしまいました。

個人的な自身の性質としても、職業人としての自分の思う在り方としても、そんなことは引退への小さなこだわりではありますが、そんな最後になってしまったことは、自分としては恥じる程にとても残念に思っています。


実際はそんな切り札を出しても、こうして一年も延びてしまいましたけどね(笑)この社会には他人の失明の危険性よりも自身の事業の都合や儲けのほうが大事だという方も稀にいるものですね。そのあまりのビジネス強者っぷりに正直感服して、もう「笑うしかない」とはよく言いますが、私の場合は断るという方法もあったけれど、もう「大笑い」して引き受けました(笑)そう、それを受け容れたのも自分。そんな自分を決めたのもまた自分です。

そしていま、結果的に後の祭りではありますが、やって(やり遂げて)よかったと本心でそう思っています。視力は一年前と比べるとやはり随分と進行というか、確かに減退してしまったことを感じざるを得ないのですが、それにも勝る程の「復習」や「仕上げ」のような時間でした。結果、そのおかげで多くの事を人間として学ばせていただきました。

おかげで、私がこれまで居た「社会」や「ビジネス」という世界とか、自身が行ってきた職業や、その必要性なども含め、私がこれまで生きて来た世界は、こんな場所だったんだなと、改めて深々と切々と思い知ることができました。ある意味で20年余の集大成に感じる程の有り難い期間でした。


いま私が思っているのは、ある意味で幸も不幸も、良も不良も様々なことがありましたが、その全てにこれまで私がお世話になってきたことであり、それらご縁のおかげで、これまでの私も在ったのです。すべての巡り会いも事象も、その全てが私には人生の鏡でもあり糧であったのですよね。いま、本当にすべてに心から感謝しています。

視力は落ちましたが、心の眼はよりよく見えるようになりました。また、自分の感覚に20年かけてやっと少し信頼を持つことができました。有り難う存じます。おかげさまで、やっと歩き出せそうです。

つづく ──

20180404 3:39

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