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好きなこと⑤吹奏楽/ホルンとの出会い・吹奏楽部の世界・大好きなホルンパート・レジェンド顧問・宝物

好きなことシリーズ、5つ目は吹奏楽♪歴史系が続いていたので、書けるか、また不安になってきましたが、、よろしくお願いします笑

ホルンとの出会い

私は、小学校4~6年生まで金管バンド部に所属していました。小学校の部活は、どこも4~6年生なのでしょうか?入部理由は「文化部が良かったから」。以上。音楽が特別好きというわけでもなく、そもそも音痴だと思っていました。本当に音痴だったかは分かりませんが、リズム音痴なのは確かです笑

私の地区は、吹奏楽が盛んで、小中合同演奏の機会も年に何度かありました。そこで、ホルンと出会ったのです。補足すると、金管バンドにはホルンはありません。
トランペットだった私は、合奏中、前から聴こえてくる、どこか神秘的で、でも温かく柔らかい、包み込むような優しいホルンの音色に釘付けになったのです。
当時は、ホルンの名前すら知らず、あのカタツムリ🐌みたいな楽器が好き!となりました笑

ホルンは、↓です。栞ですが。

本好きホルン吹きとして、買わない訳にはいかなかった笑

吹奏楽部の世界

中学に上がり、トランペットで芽が出ず、トランペットを続ける気のなかった私は、あのカタツムリを求めて、吹奏楽の門を叩きました。その頃には、ホルンを認識してます笑
念願叶い、ホルンとして吹奏楽人生がスタートしました。

先述した通り、私の地区は吹奏楽が盛んです。=強豪揃いです。=、、、厳しいです。笑

私の学校は、新設校でした。(身バレしそうなので、伏せるつもりでしたが、話が伝わりにくいので明かします笑) 強豪×強豪×レジェンド顧問。最強じゃん!と思われそうですが、そんな甘くありません。大いに荒れました。皺寄せもありましたが、蚊帳の外だった私達1年は、お気楽なものだったかもしれません。

縦社会実力主義。ビシバシ叩き込まれました。礼儀、返事、挨拶。多くのことを学びました。
仮入部時から比べると、引退まで残ったのは、1/3程度だったと思います。

それでも、頑張れたのは、音楽の力です。
コンクール本番。サポートとして、連れていってもらい、舞台裏で聴いた先輩達の演奏。今でも耳に残っています。鳥肌もので、「CDみたい、、、!」と溢してしまったのを覚えています。きっと、中学生とは思えない。プロのようだ。と感じたんだと思います。
そこからは、先輩達のように!と夢中でした。

舞台上では華やかに見える吹奏楽部の裏には、直向きな努力の積み重ねと、先輩から後輩へ繋がれる確かなバトン対立をも乗り越えた固い絆がありました。

大好きなホルンパート

縦社会。と述べましたが、私のホルンパートは、その点、他のパートよりも緩かったです。

先輩達は偉大でした。圧倒的実力を持ちながらも、とても朗らかに後輩たちに接してくれました。もちろん、技術面では、厳しく指導して下さりました。そのお陰で、ホルンを演奏する楽しさを、実感できたのだと思います。

1つ上の先輩が大好きで、音もパフォーマンスも最高にカッコ良くて、誰よりもホルンを愛していて、いつも明るく無邪気で優しくて。だけど、練習になれば、心を鬼にして厳しく指導して下さったり、できたことがあれば、一緒に喜んで褒めてくださって。。
2年生の時、先輩はいつも1stだったのですが、3rdで近いパート吹けるのも嬉しいのですが、2ndが特等席過ぎました。。当時の私にとっての最高級の音色が間近で聴けるのですから。。

ホルンは、右側にベルが向いているので、良くも悪くも、左隣の人の音が自分の音より聴こえるのです笑 憧れの先輩の右の席は特等席だけど、左の席は地獄。ホルンあるあるではないでしょうか。

ホルンの更なる魅力を伝えてくれたのも先輩でした。ハーモニーも、リズム隊も、主旋も、対旋も、全部こなす万能パートなのだと。何よりそれを体現するかのように、どんな曲でも楽しさが溢れ出ている先輩の演奏に、魅了されました。
私のイチオシは対旋律です。ホルンの対旋、気持ち良いんですよ。リズム悲惨でした笑。「ホルンと言えば裏拍」というほど、裏拍が多いのですが(マーチ曲はエンドレス裏拍)、まあ、悲惨でした。行進しても、メトロノームを見ていても、ずれていくのです。

後輩にも恵まれまして、優等生だけど少し天然な1個下と、明るくパワフル、でも繊細な2個下と。。可愛い2人に癒されながらも、技術面では刺激を受けつつ、楽しいパート時間を過ごしました。

あと、同級生の相棒1人。本当に仲が悪かった。いや、仲が悪いと言うか、嫌いでした。
私は、意見をぶつけ合いたい派ですが、相手はとことん沈黙の人だったので、やり方が合わなかったのです。
それでも、ホルン奏者として、尊敬している部分もありましたし、互いに持っていないものを持っているという感じでした。大きな括りにすれば似た者同士でありますし、同じクラスにいた頃は、行動を共にしていました。他の人には言えないこと、頼めないことも頼めると言った信頼関係もあったように思います。
だからこそ、ついけんか腰になってしまうことも多々ありました。不思議な関係性です。
相棒という言葉がしっくり来る相手でした。
今では、結構仲良しです笑

総称して、大好きなホルンパートです。

一目惚れしたホルンブローチ。落とすの恐くて使ってない笑

レジェンド顧問

私の吹奏楽人生を語るにあたり欠かせないのが、顧問の存在です。2人目の恩師です。

1人目の恩師は、下の記事で書いてます。よろしければ読んでいただけると嬉しいです。

先生のパーソナリティーな話をすると、ある程度の人にはバレてしまいそうなので伏せますが、レジェンドです。

先生に出会えたこと、先生のもとで吹奏楽ができたこと、幸せ者だと思います。
厳しい先生ではありましたが、あんなに生徒のことを思い指導し、あんなに輝かしい舞台まで導いてくれる先生はいません。何度も何度も怒られました。けど、決して見捨て切ることはない先生です。遅刻魔だった私を、毎回叱って下さいました。本当にごめんなさい。その日でも、上手くいったことがあれば、褒めて下さいます。笑顔が素敵な先生でもあります。

何より、音楽を心から楽しみ、その楽しさを伝えてくれる先生です。

私は、音楽が特別好きではありませんでした。ですが、先生と出会い、音楽が大好きになりました。音楽の力を知りました。そして、大好きになった音楽に何度も救われました

卒業式の日、当時まだスマホを持っていなかった私が、友達に写真を撮るように頼まれ、上手くタップできないでいると、いつもの笑顔で、「あなたのそういう地味なとこ好きだよ」と言って下さったこと、複雑過ぎて、ずっと覚えていました。
でも、今は褒め言葉だと受け止め、嬉しく思っています。「地味」で居続けることの難しさ、大切さを知ったからです。ずっと忘れないでいようと思うエピソードです。

宝物

引退式で話す言葉を考えていませんでした。その時感じたことをそのまま話そうと決めていました。いざ、話すとなった時、頭が真っ白になりました。
そこで出てきたのが、
「私にとって○中吹奏楽部は、宝物です。」
だったのです。

たくさんの思い出があって、色んな想いをして、伝えたいことも山ほどあったけれど、「宝物」が全てだったのです。出会ってくれた仲間、先生、ライバル、先輩、後輩、曲、時間の全てが宝物なのです。

ここで成長した私だからこそ、その先の道があったと思えますし、中学で吹奏楽に出会えたことが、その後の生活に更なる彩りを与えてくれました。

マイ楽器は買えなかったので、ホルンは簡単には吹けませんが、OGとして定期演奏会に参加したり、吹奏楽の演奏会に足を運んだり、、今も吹奏楽に触れています。

私の吹奏楽人生はこれからも一生続くのです。


読んでいただきありがとうございます🙇


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