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烏賀陽弘道 ~フクシマからの報告~

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京大卒の元朝日新聞記者が、フクシマの今をレポートしています。 福島の一部地域は、もう人の住める場所ではありません。マスコミが報じない衝撃の事実が沢山レポートされております。 記事…
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#大熊町

フクシマからの報告 2022年春    除染解体で消えゆくふるさと      福島第一原発3.5キロの商店街で      11年を経てゆっくり姿を現した破壊     これは戦争と同じではないのか?

フクシマからの報告 2022年春    除染解体で消えゆくふるさと      福島第一原発3.5キロの商店街で      11年を経てゆっくり姿を現した破壊     これは戦争と同じではないのか?

下の2枚の写真を見比べてほしい。同じ、福島県大熊町にあるJR常磐線・大野駅の跨線橋に立って撮影したものだ。13ヶ月の間に、駅前にあった4階建てのビジネスホテルがそっくり姿を消した。

同駅は、福島第一原発から西に約3.5キロ。事故前は、原発に往来する人が利用する最寄り駅だった。東日本大震災のあった2011年3月11日夜に全町民1万1505人に避難が命じられ、大熊町から人の姿が消えた。

原発直近の

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フクシマからの報告 2021年冬      10年前見た行方不明の家族を探すチラシそのお父さんにようやく会えた             自宅跡は核のゴミ捨て場に       それでもなお娘の体を捜し続ける

フクシマからの報告 2021年冬      10年前見た行方不明の家族を探すチラシそのお父さんにようやく会えた             自宅跡は核のゴミ捨て場に       それでもなお娘の体を捜し続ける

2021年3月で福島第一原発事故の取材を始めて10年が経つ。その10年の間、ずっと気がかりでありながら、取材をする勇気が出なかったことがある。

震災直後の2011年の春、私は福島県南相馬市に入った。同市は原発から約25㌔のところにある「浜通り」(太平洋沿岸)地方の基幹市だ。

原発から20㌔圏が国の命令で「警戒区域」として立ち入り禁止にされ、30㌔圏は屋内退避になったころの話だ。私は、まさにその

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フクシマからの報告 2021年冬    渋谷区より広い核のゴミ捨て場が  4500人のふるさとをのみこんだ    撤去されるのは2045年        帰還人口2.5%の大熊町を歩く

フクシマからの報告 2021年冬    渋谷区より広い核のゴミ捨て場が  4500人のふるさとをのみこんだ    撤去されるのは2045年        帰還人口2.5%の大熊町を歩く

福島第一原発事故の被災地に行けば、延々と続く黒いフレコンバッグの山を目にしないことはない(下の写真は2014年5月14日、福島県大熊町で)。

中身は除染ではぎとられた汚染土や、解体された家屋の廃材である。福島第一原発の原子炉から噴き出し、一帯を汚染した放射性物質が含まれている。

政府は、住民を強制避難させている間、ばらまかれた放射性物質を除染し、それが済むと「帰ってよろしい」と避難を解除した。

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フクシマからの報告 2021年春    汚染土の埋立地にされても       家族が幸せに暮らした街を守る     津波で娘・妻・父を亡くした       大熊町・木村紀夫さんの静かな抵抗

フクシマからの報告 2021年春    汚染土の埋立地にされても       家族が幸せに暮らした街を守る     津波で娘・妻・父を亡くした       大熊町・木村紀夫さんの静かな抵抗

 今回の報告は、2021年2月11日付け「フクシマからの報告」で書いた記事
「10年前見た行方不明の家族を探すチラシ そのお父さんにようやく会えた 自宅跡は核のゴミ捨て場に それでもなお娘の体を捜し続ける」の続きである。

(上は木村さんが2011年春当時、避難所や市役所に貼って回ったチラシ。私は南相馬市役所ホールの掲示板で見た)

 福島県大熊町、福島第一原発から南に4キロの海岸部に住んでいた木

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<フクシマからの報告>2020年春   福島第一原発に近づくと                             JR常磐線車両内で                                        線量計の警告音が鳴った        その車両が東京に毎日6本やってくる

<フクシマからの報告>2020年春   福島第一原発に近づくと JR常磐線車両内で 線量計の警告音が鳴った        その車両が東京に毎日6本やってくる

 2020年3月14日、JR常磐線が全線復旧し、東京・上野駅と宮城県・仙台の間が直通で行き来できるようになった。そのニュースをご覧になった方は多いと思う。2011年3月の東日本大震災以来、9年ぶりに電車が全線を往復できるようになった。これが「復興」の象徴だとして、新聞テレビは大きく取り上げた。

 福島第一原発事故を発生初日から取材している私にとって、これは大きな動きだった。

 かつて現地で目撃

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