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ミステリー小説から学んだこと


引きこもり宣言から17日


僕は最近はビジネス書とか自己啓発系の本をよく読んでいるのですが、せっかっく時間もあるので以前書店でちょいちょい見かけて気になっていた小説を読んでみました。


『medium』霊媒探偵 城塚翡翠 (相沢 沙呼)


こちらの本なのですが、自粛期間に入ったせいか新品の文庫だと結構売り切れているほどの人気作らしいです。

小説なのに結構マンガっぽい表紙絵ですし個人的に絵のタッチが好きだったのでずっと気になってたんですよね。


流石に書店に行く勇気はちょっと無かったので電子書籍で買いました。

いやーやっぱり電子は目が疲れるわ疲れるわ笑


休み休み読まないとしんどいけど続きが気になる...

という焦らしプレイを受けている気分でした笑


【簡単なあらすじ紹介】
ミステリー作家の香月史郎霊媒師の城塚翡翠の二人がタッグを組んで様々な殺人事件を解決していく物語となっています。
城塚は霊的な力を持つものの、物的証拠を証明する力はないので作家の香月が論理と証拠集めを担当する、といった王道でありながらも少しSFチックな面もある小説です。


一見すると設定がちょっと凝ってるくらいでそこまで目新しさみたいなものは無い普通のミステリー小説かと思うのですが


最期に読者全員が「騙された」


と口に出してしまうような本です笑


僕はものの見事に騙されましたね。
人間不信になるレベルです笑


さて、本の話はこれくらいにして

今日話したいことは

見えてるものが全てではない


という話です。

話しの流れ的に霊的なスピリチュアルな話かと思うでしょうがそうではありません。


ミステリー小説全般に言えることかもしれませんが

終盤で誰もが騙されたと感じるように作られているじゃないですか?


そう。この騙されたに着目しました。


結局のところ僕たち読者は自分の見たいようにしか物事を見てないということです。


騙された

と感じるってことは自分の物事の捉え方を物語に投影していることになります。

そこに作者による新たなレールが現れることによって自分とは違う物事の捉え方が突然降ってきて

自分が考えていた筋書きが否定される。

だから騙されたと思ってしまうのです。


たかが小説で何を大事なことをと思うかもしれませんが

現実世界でも同じことです。


それぞれの物事の捉え方、言ってしまえば価値観って違うから衝突が起きるわけですよね?


つまりは自分の見えている価値観でしかものを語れないから

ヲタクはキモイ
大学は行くべき
眼鏡はがり勉

みたいな固定概念に縛られてしまうのです。



まぁなんでもかんでも意見を受け入れてても

右往左往してしまうだけなのである程度軸みたいなものは必要です。


相手はこんな人だと思っていても

その日の機嫌だったり

体調だったり

悩みだったり

それらの相手の見えない部分で印象は全然変わります。


誰かと衝突してしまった時にお互いが相手を否定するのではなく


互いに見えていない部分があるんじゃないか?

そう考えられたら建設的な議論もできそうですよね。

疑うべきは相手ではなく自分の物事の捉え方かもしれませんね。


___________________________

はい。

小説からは学びは得られないと思ってしばらく小説は避けていたのですがそれこそ僕が見えていない部分でした。


とにもかくにも『medium』

は久しぶりに小説を読んだということもあってか
めちゃくちゃ面白かったです。


最期の100ページくらいはもう頭がついていけてない感じでした笑


そうそう
どうでも良い話なのですが、小説は読み上げ機能のある電子の方が良いみたいな事を以前の記事で書きました。


小説は感情的な表現が多いのですが、棒読みの読み上げだと興醒めすることに気づきました笑

脳内でアテレコしたほうが感情移入しやすいので結局は普通に読んだ方が楽しめました笑

というどうでも良いご報告でしたとさ。


ではでは今日も

素敵な一日をお過ごしください。


うじまる



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