蹴散らせ。進まずして何が挑戦だ

わりと笑ってる方だ。時にはちょっと仲間を笑わせたりして、自分も笑っていたい。
インフルエンザで約束を延期した知人にも言われた。

さすがのお前も、インフルに勝てなかったかぁ

どういうわけか、根アカと思われているらしい。確かに、人前では明るくヘラヘラ振舞っている。


ところがどっこい、僕はとんでもない小心者だ。

人の顔色を窺い、空気を読み、言葉を選び、発した言葉が正しかったかを省み、自分の言動で空気が悪い方に変わらなかったか、常に不安でいる。

ちなみに、これは今の話。20代前半の頃なんてもっと酷かった。


我が家は比較的、父親の言うことが正論的な空気があった。幼少期から世の中のことを何でも教えてくれる父を、僕は尊敬していた(今も尊敬してる)。

しかしそれを続けた結果、自力で正解を出す過程を知らぬまま、気づけば大の大人になっていた。無論父は悪くない。僕が考えるという作業を避け、常に正解だけを欲したのだ。父のことは、今も大好きだ。

とはいえ人生の基盤がこんなだから、キャリア選択の時期は地獄だった。
職人の父と、パートの母しか見てこなかった僕は、大学3年で突然現れるリクルートスーツに、異常な嫌悪感を抱く。スーツを着て満員電車に揺られる自分を、どうしても想像できなかった。


そんなこんなで、僕は就活戦線からいとも簡単に脱落する。人生の答えを見出さなければならない大海の水に、どうしても慣れることができなかった。こんな僕を、父はどう見ていたのだろう。

そこから数年は、両肩に不安を纏って生きた。挑戦せず、出来るだけ目立たぬよう、大学時代のアルバイトを卒業後も続け、何とか今の職場と巡り合って正規採用していただいてから10年以上経つ。

母はいつも言っていた。
「正社員は安定してるから。保険も年金もちゃんとしてるから、絶対正社員になりなさい」

僕は、親の言うことが間違っていたとは思いたくないし、ある側面から見れば間違っていないと思う。
しかし今、組織崩壊の危機を目前に、安定などただの幻想だったことを改めて思い知った。一寸先は闇。組織に属しようが、フリーランスだろうが、安定なんてものは、絵に描いた餅だ。


僕は胃を痛めるほど悩み、ここの文字を連ね始めた。
ブロガーと呼ばれる人たちが世にたくさんいることは知ってるし、その方々と肩を並べる程度の面白い文章が綴れる自信など、今は皆無だ。そもそもそれで収益をなんて、話が早すぎる。

でもなぜだろう、今の僕は、僕にしか書けない、僕らしい文章を綴らねばと、身体が勝手に動いているような感覚なのだ

30代半ばで、信頼していた安定という基盤が揺らぎ、今後の人生を考え、決して悲観的になるまいとどうにか自分を鼓舞し、いい歳こいて文章の練習を始めた丸腰の気持ちは、30代半ばで、信頼していた安定という基盤が揺らぎ、今後の人生を考え、決しt・・・

・・・めた丸腰にしか分からないはずだ。


状況が悪化した時、僕には「この状況をどう乗り越えるか」という思考しかなかった。現にそれを考えるのが最優先ではある。

ただ、少し時間をおいた今、組織が消滅した後の生き方という道をも、うすらぼんやりと描き始めた。

誤解なきようにいうと、僕は現職が大好きで、不可抗力さえなければ、今後も続けていくつもりだ。この仕事をするために今まで辛い時間を過ごしてきたのだという、何物にも変えられない意味を見出している。

しかしそれが脆くも崩れるかもしれない不安、やるせなさ、やり場のない悲しみを、他の誰が綴れようか。

この状況でも僕は仲間の前に出れば、悩みなどなく明るく元気に生きているかのように振舞わねばならない。もっともそれは、僕が勝手に作り上げた客観的な"僕らしさ"なのだが。

身体が勝手に動くのは、誰かに分かってほしい、気づいてほしいという、小心者の我儘な欲求の表れかもしれない。


僕の人生は、選択肢を最大限に広げた上で、僕が選択する。いい歳こいて、もう不安になどなりたくない。

んなもん蹴散らせ、今更年齢なんか気にすんな。

抗ってる暇があるなら、可能性あることに挑戦すると決めた。優柔不断な僕が決意できたのは、皮肉にも組織崩壊の危機のおかげだ。

僕の不安を消せるのは僕だけだ。恐れるな、挑め。失うものはない。

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