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父がいない環境で育った自分は、なにかが欠けた人間であると思っていた私の人生を少しだけシェアします

時間が経ってしまいましたが、5月28日の #人生シェア会 の資料を一部ですが載せてみます。

主催のaimiさんの記事はこちらです。
(要はマネしています…)



小3のときのこと

当時の私は、入院していた父が家に帰ってくることを嬉しがるどころか、「帰ってきてほしくない!お父さんなんか死んじゃえばいい!」と学習机の下に潜り込んで大泣きして、母を困らせていました。

そんな私を母は一度も怒らずに、「怒らないようにって今度こそ約束してもらうから」と言ってなだめてくれました。

でも、その約束は一度も果たされなかったと記憶しています。
そのことで父や母を恨んでいるわけではなくて、「母を困らせて申し訳なかったな…」という気持ちになります。

父の病状を全く知らなかったし、まさか亡くなるなんて考えてもいなかったから、そんなことを言ってしまったのだと思います。

だから、父のお葬式で親戚のおじさんに「お母さんを泣かせちゃダメだよ」と言われたときに、「死んじゃえばいい」と言ったこと、そう言って母を困らせたことを指摘されたような気になってしまったのだと、今では考えています。

私がそう言ったから、亡くなったのかもしれない…という罪悪感があったのかもしれません。


暗黒期

特に高校生のころの私は、学校生活でイヤなことがあるたびに「父親がいないからだ!この家に生まれたせいだ!」と本気で思っていました。

今振り返ると、なぜこれほどまでに思っていたのだろう?という感じですが、当時はうらやましいを超えてねたんでいたというほうがしっくりきます。

あるとき、顧問の先生に家族について相談しました。
(当時の我が家は、いろいろと問題がありまして…)

そして言われた言葉が、「あなたよりも辛い環境の人はいる」でした。

勇気を出して家族のことを話したのに、ばかにされたような気持ちになったことを覚えています。

誰かに話したって意味がない、傷つくだけなんだ。
そう思うきっかけになった出来事でした。


最後に

子どものころから、
父親がいない環境で育った私は、なにかが欠けた人間である

そんな思いがあった気がします。

だけど、ここ1年くらいで少しずつそんな思いが減ってきました。

自分に自信を持って生きているわけではないけど、「私にも魅力がある」とか、「欠けていたって私は愛おしい存在なんだ」と思えてきたという感覚です。


資料のいちばん下に載せた歯医者さんの話ですが、これは弟の話です。

大人になった弟が久しぶりに、子どものころから通っている近所の歯医者さんに行ったとき、院長先生から「きみのお父さんがきみを抱っこしながら散歩をしていたことをよく覚えている」と言われたそうです。

私はその話を聞いたとき、「きっと私もそうしてもらっていたのだろう」と感じました。
記憶はないけど、父が私を抱っこして散歩をしている姿が目に浮かんだのです。

これは父が亡くなってから20年くらい経ったころの話ですが、こんなふうに大切な人が亡くなってから何年後、何十年後に愛が届いたり、愛を受け取るという経験があるのでは?と思います。


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こちらの記事も読んでいただくと、より内容をご理解いただけるかと思います。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました💐

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