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AIはクリエイティブになれるか?(倉田幸信)

倉田幸信 「翻訳者の書斎から」第7回
"The Creativity Code" (クリエイティビティ・コード)
by Marcus du Sautoy (マーカス・デュ・ソートイ) 2019年3月出版

AI(人工知能)には何ができて、何ができないか──。このテーマは現代人の最大の関心事だ。
計算や記憶では、人間がコンピュータにかなわないことに議論の余地はない。さらに最近のAIは、チェスや碁などのゲーム、写真の分析、翻訳など、かなり複雑なことも上手にできるようになってきた。
では、芸術はどうだろう? AIにひたすらレンブラントの絵を学ばせたら、レンブラントのような絵が描けるようになるのだろうか? 小説や音楽はどうだろう?
人間の最後の砦とも言うべき「創造性」をAIが持てるのかどうか、それが本書のテーマだ。

120桁と300桁の違い

数学者である著者が「AIの創造性」に注目するようになったきっかけはゲームだ。
チェスというゲームは、勝敗が決するまでのパターンが星の数ほどある。存在しうる棋譜の数は120桁(1の後にゼロが199個並ぶような数)にもなる。チェスよりさらに複雑な碁になると、パターンの数は300桁にもなるそうだ。
普通の人にとっては120桁も300桁もただ「膨大な数」というだけで、実質的な違いはない。感覚的にはどちらも無限に等しい。ところがプロのプレーヤーやコンピュータにとって、この二つの数には大きな差がある。というのも、チェスのパターン数程度の複雑さだと、次に打つ自分の一手が将来どのような結果をもたらすか、論理的分析ができるのだ。そして、論理的分析はコンピュータの得意分野である。それゆえ、人間(チェスの世界チャンピオン)にコンピュータ(IBMのディープ・ブルー)が勝ったのは20年以上も前、1997年のことだ。

一方、パターン数が300桁にもなる碁だと、次の一手が将来どのような結果をもたらすか、複雑すぎて論理的分析が及ばない世界になる。分析だけでなく「直感」や「創造性」が必要になるのだ。これはコンピュータの苦手な分野である。したがって、AIが碁で人間に勝つのは遠い将来の話だと思われていた。

ところが2016年、AI(グーグルのAlphaGo)が人間(世界トップレベルのプロ棋士)に完勝する。AIが自ら学ぶ仕組みを導入したことで、飛躍的な進歩が起きたのだ。このアルゴリズムの作り手は、碁の正しい打ち方についてなんらAIに指示する必要はない。AIが隠れたパターンを見つけ出し、まるで直感を駆使したかのように勝手に「コツ」を学ぶのである。

数学者である著者はこの事実に衝撃を受ける。直感的なパターン認識や創造的ひらめきが必要な数学者の仕事も、いずれAIに奪われるのではないか、という危機感を抱く。そして、芸術作品にはアーティスト自身も認識していない隠れたパターンが存在するケースが多いことから、AIは創造性すら学ぶことができるのではないか、と考えるのだ。

3種類の創造性

本書はまず、創造性の定義として次の3分類を示す。

1)探索型の創造性……既存の枠組みを使い、その境界線を押し広げるような創造性。人間の創造性の97%まではこれに当たる。例えば歴史あるバロック音楽を頂点まで高めたバッハの音楽は探索型創造性の典型だ。

2)結合型の創造性……まったく異なる2つの枠組みやルールを組み合わせることで新しいものを生み出す創造性。数学における創造性の多くがこれに当たるし、クリエイティブな料理は地域的にかけ離れた2カ国の料理を融合することからも生まれる。

3)変容型の創造性……ゼロからまったく新しいものを生み出す創造性で、最も不思議な創造性。

このうち「探索型の創造性」は、既存のパターンやルールを推し進めるという点で、コンピュータ・アルゴリズムにうってつけではないかと筆者は考える。さらに「結合型」や「変容型」さえもアルゴリズムで実現できる可能性があるのではないか──本書はそのような仮説に基づき、近年の取り組みを紹介していく。

例えばこの絵を見てほしい(リンクはこちら)。これは2016年に公開された“レンブラントの最新作”である。もちろん本物ではない。マイクロソフトとデルフト工科大学が、1年半かけてAIにレンブラントの絵を機械学習させたのだ。346枚のレンブラントを徹底的に分析させ、そこから学んだ手法でAIに絵を描かせたのである。素人目には本物にしか見えない。

また、パリのソニーコンピュータサイエンス研究所(CSL)で開発された音楽用アルゴリズム「ザ・コンティニュエイター」は、ミュージシャンが途中まで演奏した後を引き継いで、そのミュージシャンらしいアドリブ演奏を続ける。実際に使ってみたフランスのジャズ・ミュージシャン、ベルナール・リュバットは「今の私より何年も先を行っているが、間違いなく自分の音楽だ」と評価している。

こうした事例は確かに「AIの創造性」について可能性を感じさせはする。だが、AIの作ったレンブラントをみた美術評論家は、「感性や魂がまったく感じられない、ひどい贋作」と酷評する。人は本物のレンブラントの絵を見たとき、画家の感じた苦悩を打ち明けられたと感じ、彼の内面世界を通して自分の内面世界に気づく。いわば2人の人間の出会いが起きるわけだが、AIレンブラントにはそれがないというのだ。
アドリブ演奏を引き継ぐ「ザ・コンティニュエイター」も、そのミュージシャンらしい演奏はできるが、その音楽には大局的な構造や方向性といったものがなく、退屈な音楽になってしまう。結局、表面的なのだ。
さらに、詩やストーリーをAIに作らせる取り組みも紹介しているが、こちらは「興味深い実験」程度で箸にも棒にもかからない。

AIの限界と自意識

アルゴリズムの生み出す作品と本物の芸術の差はどこにあるのか。
実は創造性とは「自分を知りたい」とか「自分を他者に知ってもらいたい」という自意識と密接に結びついている。それゆえ自意識を持たないAIにできるのは、人間の創造性を強化したり模倣することであり、自身の創造性を発揮することはできない。
結論として、筆者は「自意識を持つ機械が誕生しない限り、機械にできるのはせいぜい人間の創造性を拡張する程度だ」と断言する。これはユヴァル・ノア・ハラリが繰り返し指摘する「AIとAC(人口意識)の違い」──AI脅威論の多くは、AIがたんなるアルゴリズムであって自意識を持たないことを忘れた誤解である──と同じ指摘だ。

本書はテーマこそ派手だが、結論はいたって地味で驚きはない。また、「数学の創造性」に関する記述がかなり多い点も、門外漢の読者には退屈だろう。とはいえ、創造性を軸にしてアルゴリズムとはなにかを冷静に示し、人間の創造性について考えさせる好著と言える。

執筆者プロフィール:倉田幸信 Yukinobu Kurata
早稲田大学政治経済学部卒。朝日新聞記者、週刊ダイヤモンド記者、DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部を経て、2008年よりフリーランス翻訳者。

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