ぼうしゃ

Photographer/東京/写真撮りたい人/格好いい写真愛好家。 ギャラリー行った…

ぼうしゃ

Photographer/東京/写真撮りたい人/格好いい写真愛好家。 ギャラリー行ったり、美術館行ったり、舞台見に行ったり、自転車乗ったり、散歩したり。 https://tune28.wixsite.com/index

最近の記事

七里ガ浜、腰越

湘南なので朝ご飯はコンビニの「湘南しらすと菜飯」のおにぎりにした。 夏なので海沿いは混雑するのは当然として、それを避けての散策。大船から湘南モノレール西鎌倉駅に出て、鎌倉広町緑地という緑地公園を抜ける事にした。鎌倉広町緑地は鎌倉市の西に広がる約48haの公園で「都市林」と謳っているが、かつての谷戸、谷筋がいくつも入り込む森林公園だ。平地エリアはボランティアが田や畑を復元しているが、山筋に関しては森林の様相。谷の崖からは水が出ている。整備された道は泥濘もあるが、春の落葉が覆い

    • 大崎

      大崎駅はかつては山手線でも1、2を争う寂れた駅であった。それは駅前に工場しかなかった為だが、副都心計画が策定されて90年代から00年代にかけて工場跡地は再開発されー一時はキャッツシアターなども建てられたりしたがー多くの高層ビルが建ち、景色は一変した。鉄道も山手線の終着駅の一つであったものが、山手線のほか、埼京線・湘南新宿ライン・りんかい線の乗り入れ乗換駅となり最近では相鉄線の乗り入れも行われ、再開発と交通利便性の向上により大規模なオフィスビルが立ち並ぶビジネス街へと変化した。

      • 池袋

        「東が西武で西東武」とはよく言ったもので、この歌詞のお陰で迷わない。有り難い。近年は東側のデパートの勢いが無いが、私鉄駅の立地のおかげで助かっている。 池袋はもちろんターミナル駅であり、デパートを始め多くの飲食店が立ち並んでいるが、新宿西口のような巨大なビルが立ち並ぶ光景はない。もっとも池袋といえばサンシャイン60もあるのだが、それはかつての東京拘置所、巣鴨プリズンの跡地でありまとまった土地が確保できたから建てられたものでもある。駅周辺の再開発が難しいのはこれはまとまった土

        • 浅草橋

          やはり間違う人が多いようで、地下鉄の案内には「ここは浅草ではありません」と書かれている。浅草橋はいわゆる浅草、雷門あたりから2kmほど南にある神田川にかかる橋だ。イメージとしては秋葉原の東側の隣町である。JRと地下鉄が通る浅草橋駅前は人が多く、特に正月明けから夏にかけては雛人形、五月人形を買い求める人々で賑わう。 仕事の用事でよく訪れる町なのだが、私はいつも落ち着かない。自分なりに落ち着かない理由を考えてみたのだが、やはり一番なのは平坦な町だからだろうと思う。山の手とよばれ

          竹芝 その2

          最近はウォーターズ竹芝という、ホテル、オフィス、店舗、劇場などからなる複合施設が完成し、人の流れも変わった。もともとは汐留の貨物鉄道ターミナルに隣接するJR以前の国鉄の施設が立ち並ぶ施設だったので、そのため現在も変電所が残り、エリアを通過するゆりかめもの軌道はかつて汐留から分岐して湾岸に至るルートに敷設されていた貨物路線の軌道跡の直上にある。 国鉄の施設はJRに移管された後、90年代にJR東日本アートセンターという名称で劇団四季のJR東日本四季劇場[秋]・JR東日本四季劇場

          竹芝 その2

          長者丸3

          この辺りは90年代のいわゆるトレンディドラマの嚆矢とされた「東京ラブストーリー」(1991年フジテレビ系列)のロケ地としても知られている。これは渋谷や目黒に撮影スタジオがあり、ロケに便利だったからかもしれない。 主人公、ヒロインの二人の住居とされた建物は現存しているし、なによりドラマ史上に残る名ゼリフが記憶される白金桟道橋、国内に現存する数少ない古レールを構造材に利用した人道橋も健在である。ちなみに白金桟道橋と名前がついているが、住所は白金ではない。 「やってらんないなん

          王子

          治水対策により近年では石神井川が氾濫したと言う話は聞かない。本流は水害対策として飛鳥山の地下を貫通しているバイパストンネルを通り隅田川に注いでいるが、かつての複雑な流れは公園として、また飛鳥山下では音無親水公園として今もその姿を残している。音無親水公園の細々とした流れはJR王子駅の下をぬけて南にカーブし、都電荒川線のホームにそって流れ、トンネルの下を流れてきた本流と合流する。 音無親水公園の辺りは盛り場として賑わっていた時期もあったそうだが、風光明媚の残り香を感じるものの、

          新宿歌舞伎町

          世界的にも良くも悪くも知られた観光地、飲食街ではあるが、かつては巨大な劇場、新宿コマ劇場があった。”演歌の殿堂”とも呼ばれ、多くの昭和の演歌、歌謡スターのショーが行われていた他、サザンオールスターズやYMOなど昭和のポップスターのコンサート、平成に入ってからはモーニング娘。のミュージカルなども行われていた。コマ劇場の「コマ」は、舞台上の円形の回る舞台装置がコマのようということで名付けられたそうである。 青梅街道の方に向かって正面口があり、建物左手側、西武新宿側にも出入り口が

          新宿歌舞伎町

          銀座の裏道

          あまり知られていないが、銀座には多くの「裏道」がある。 そもそも銀座の区画は細長く、建物は通りに面して建てられており、区画の間にある建物の裏側には路地が多数存在した。その残りが今だにいくつも残っている。多くは日が当たらず薄暗く、またビルの配管などが配され、人通りはほとんどない。場所によっては働く人の休憩スペースになっている所もある。しかし小さな社が残っていたり、また表通りとは趣を異にする小さな居酒屋が残っていたりするのも裏路地だ。 出世街道と呼ばれた路地がある。総理大臣に

          四谷荒木町

          四谷三丁目駅からほど近い北東側に荒木町はある。そもそも四谷は四方に谷があるから四谷ということだったらしいが、その一つがここなのかは定かではない。もっとも荒木町は都内でも地形マニアには知られた場所で、都内有数の窪地である。その窪地がどうやってできたのかというのはwikiや知見のある方が書かれているので割愛する。 現在の荒木町は飲食店街に住宅街が隣接している。かつては花街・三業地の一つとして知られたとのことだが、昭和になり、近くの河田町にフジテレビが、そして市ヶ谷に自衛隊駐屯地

          四谷荒木町

          由比、田子の浦(静岡県)

          富士川から清水にかけて、車やバイクでバイパスを行くと景色を楽しむ余裕がない。しかし当然ながらバイパス以前の道はあるし、そこは比較的交通量も少なく、側道を歩いていても心配はない。 由比駅で降りて一駅歩いた。この辺りだと駿河湾にせり出している薩埵峠が名所として有名だが、その前後は海側になだらかに下がっていく地形の場所に街がある。地域の鎮守の神社も階段登っていった先に社があり、昔から変わらない、そこからの景色が素晴らしかった。 バイパスの下は誰もいなくて静かだ。近くのコンビニで

          由比、田子の浦(静岡県)

          長者丸2

          長者丸の北側は、港区、品川区、渋谷区の区境が複雑なのだが、それはかつての川の流路をベースにしているからに他ならない。現在でもかつての暗渠跡を見ることが出来るのだが、つまりこの辺りは川が流れる低地になる。東側は東京都庭園美術館、国立自然博物館付属自然教育園の森が広がり、これらは現役の水源である。 この水の流れは現在の首都高二号線の下辺りをいくつかの筋となって流れ、天現寺交差点で渋谷方面からの渋谷川、青山方面から流れてくる笄川と合流し、下流は古川となる。渋谷川以外は暗渠なので、

          山中湖

          出かけないと後悔しそうな陽気の日、急遽思い立ってバイクでソロツーリングに出かけた。荷物も少なめ、カメラも忘れた(スマホは持った)。 多摩川沿いから多摩ニュータウンを抜けて道志みち(R413)へ入るルート。通るのは久しぶりだけど、慣れた道だ。城山湖を過ぎた辺りからライダーが目に見えて増えてきた。事故も一件目撃、気を引き締める。 途中の多摩センター通り辺りでは散ってる桜も多かったけど、山間を走る道志みちの桜は満開だった。春の光、桜を眺めながら進んでいく山の中の道は楽しい。道の

          長者丸1

          長者丸はJR山手線目黒・恵比寿間の東側、首都高速2号目黒線との間に挟まれた一帯の古い町の名前で、北は小さな谷を挟んで恵比寿ガーデンプレイスに、南は目黒通りに隣接している高級住宅街だ。室町時代に移り住んだ白金長者と呼ばれる豪族の子孫の居住地から長者ヶ丸と呼ぶようになったらしい。由来は白金長者の「長者」と中近世の城郭(館)を意味する「丸」から名付けられたものらしく、長者丸に隣接する地区には「中丸」という古い地名も町会の名前として残ってる。 昭和初期にかけて大規模な宅地開発が行わ

          桐ヶ谷

          この辺りは西五反田ではあるが、古い地名は桐ヶ谷である。今も桐ヶ谷斎場があるし、第二次世界大戦前までは、五反田から出発する東急池上線に桐ヶ谷駅というのがあったそうだ。 落語の「黄金餅」の話の中で亡くなった人を運ぶくだりがあるのだが、下谷山崎町(現在のJR上野駅東側)から上野広小路に出て神田、日本橋、京橋、新橋を経て愛宕下、神谷町、飯倉、麻布十番を通り、今の南麻布あたりのお寺での読経を経て桐ケ谷まで行くのを情景描写とともに語る(この落語の見せ場である)。現在で言うと、上野から中

          川崎大師

          京急大師線は京急川崎で乗り換える必要がある。京急本線は高架を通っているが、大師線は地面に敷設されており、2階のホームから一階に降りるとこじんまりとしたホームに電車が佇んでいた。もともと川崎大師へ向かう参詣路線だったそうである。JR川崎駅、京急川崎駅より海側は工場地帯の印象が強かったのだが、今やその工場が撤退、その跡にはマンションが立ち並び、沿線人口が増加しているそうだ。 川崎大師に近い廃工場で撮影した。廃工場というのは心躍るものだ。それはやはり刑事ドラマだったり特撮モノだっ