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発達凸凹育児では、過保護なくらいがちょうどいい。

こんにちは!ツナです。
新年度が始まって2週間。息子は毎日元気に学校に行っていますが、そろそろ疲れが出てきたよう。早起き習慣はどこへやら、朝起きる時間がどんどん遅くなっているここ数日です。

「普通に」生活するって難しい!

ここ信州では春休みが長ーいんです。このあたりの小学校だと3週間ほどあります。そんな長期休暇の後に新年度がやってくるなんて、どのお子さんにとってもしんどいんじゃないかな?

発達凸凹があるお子さんならなおさらのこと。変化が苦手なASD(自閉スペクトラム症)の息子にとっては特にハードな時期だなぁと思います。



ASDの特性がある息子は、言ってみれば社会的マイノリティ。多数派の中で「普通に」生活すること自体に困難を伴います。周りの人や環境に適応しようとする中で神経をすり減らすからです。

規則を守り、集団活動を余儀なくされる学校に毎日通うなんて、どんなに疲れることか…。想像するだけでも辛いし、息子の苦しさを本当の意味で理解してあげられないのが親としてはさらに辛いところです。

とある調査によると、「学校文化は従来、90%の『普通』の人たちをターゲットにしている」そうです。

毎日元気にはしているけれど、今の息子はこんな状態なんです。
 ・いつもと比べると覇気がない
 ・ぼんやりしがち
 ・(若干)強迫症のような行動がある
1つめ、2つめについては慣れっこだれど、母は3つめが気になる…。相当ストレスがたまってるんだろうなぁ。

息子の様子は気にかかるけど、学校生活に伴う心的ストレスを取り除くのは難しい。もちろん息子本人がヘルプを出すようであれば可能な範囲で対処しますが、正直私(親)にできることは限られます。

疲れを軽減させるため、何してる?

ならせめて、身体の負担だけでも軽減させたい!

「身辺自立」という考えはひとまず脇に置きます。普段なら自分でやらせている身の回りのことごとについて、この時期だけはなるべく手を貸すようにしています。
もちろん様子見しながら、息子の意向を尊重するのが大前提。サポートすべき時かどうかはその都度判断します。

マイペースで何をするにも時間がかかる息子にとっては、母の手が入るだけで日常生活がかなり楽になるよう。「いつもなら自分一人でやらないといけないこと」をママと一緒にできるのも、息子にとってはうれしいみたいです。
何気ない親子の関わりが増える=心の安定につながるのもメリットだなぁと感じています。

読書ペースが速い息子。自分でもさくさく読めるけど、寝る前の読み聞かせを毎日楽しみにしています。これもきっと心の安定につながってるんだろうなぁ。

朝学校の近くまで車で送っていく…とかも同様。普段なら相応の理由がなければしないサポートも、この時期は様子を見ながら加えるようにしています。ちょうど昨日、この手↑を使ったところです。

息子が望むなら習い事も休めばいいし、学校だってお休みすればいいんじゃない?
ついでに言うと、そう考えてもいます。

過保護だと思われるかな?
でも、いいんです!

「過保護なくらいがちょうどいい」

数年前、「発達障がいの考え方」という講座に参加したことがあります。発達凸凹のお子さんを持つ親を対象にした内容で、この講座を通してすごく理解が深まったことを記憶しています。

その中で印象に残ったのが「幼児期~学童期は過保護なくらいがちょうどいい」という言葉でした。
特有の性質/世界を持つ発達凸凹の子どもと、「普通の世界」の仲介をするのが親の役目…という意味合いで、話をうかがった時すとんと腑に落ちたんです。

講師の先生が言わんとすることからは若干ズレた解釈(拡大解釈)かも?正直、そこはなんとも言えません。

でも少なくとも、今のわが家ではこの落とし込み方がちょうどいいみたい。捉え方はさまざまかと思いますが、ひとつの例としてシェアさせていただきました◎

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